ちょっと出てくるね。それだけ言って、クレアは外へと出て行った。
家主のいないそこは、アルバにとって気兼ねするような空間ではない。寧ろ勝手知ったる人の家。特に気にすることもなく、アルバのために準備された布団の上でごろごろと転がっているだけだった。
軽くなった髪に指先で触れて溜息を一つつく。長い時には気づいていなかったけれど、やはりあれはそれなりに重かったのだと改めて知った。それだけの重みを好きでもない相手から寄せられたら、それはやっぱり迷惑だろう。
そうは思うが、あの日から一週間がたってもまだ、その軽さに慣れることはない。
昔はずっと短い髪だった。アルバはずっと女の子であることがいやだった。もっというのなら、アルバは男の子になりたかった──そうすれば、皆とずっと一緒にいられると思っていたから。
けれど、アルバが男の子らしくしようがしまいがシオンもレイクも離れていった。それは親の事情でしょうがなかったといまではわかる。しかし、幼かったアルバにそんなことが理解出来るはずもなく、ただわんわんと泣いていたことを覚えている。クレアが困ったようにアルバを抱き上げて、慰めてくれたけれど、それでも泣き止まなかったと母は今でも笑い話のように口にするから恥ずかしい。
伸ばそうと思ったのはいつからだっただろうか。シオンとレイクがこちらへと戻って来てからしばらくたってのことだったはずなので、まだ十年は経っていないだろう。
確かにきっかけはシオンの言葉だった。彼が褒めてくれることなんてあまりなかったから、特に嬉しかった。肩を越したところで記念としてシオンがくれた髪飾りは今でも一等特別なものでお守り代わりに宝物入れの中にいれている。アルバ自身があまり几帳面でないせいか、ちらほらと髪飾りがなくなってしまうことがあるのだけれども、シオンがくれたものだけは最初に貰ったものだけでなく他のものも大切にとってある。決して他の人から貰ったものが大切じゃないわけではないのだけれど、やっぱり好きな人からのプレゼントは特別だった。
シオン。
彼のことを考えればつきんと胸が痛む。
手を繋いでくれるクレアでも、一緒に歩幅を合わせて歩いてくれるレイクでもなく、アルバが好きになったのは、アルバを置いて行ってしまうようなもう一人の幼馴染──シオンだった。シオンは二人ほど優しくないし甘やかしてもくれない。具体的には、手が出る口が出る、さらに言えば足も出る。ツッコめば物理で返されて泣かされたことも一度や二度ではない。思い返せば泣いてることが多かったような気もする。
だけど、アルバはシオンが本当は優しいことも、アルバのことをちゃんと大切にしてくれていることも知っている。置いて行くように見せかけて、前を見たらちゃんとちょっと離れた所で立ち止まってアルバを待っていてくれることを知っている。他の女の子と比べてはいけないのかもしれないけれど、アルバはシオンを見ている他の子よりもずっとずっと距離は近かったし、何よりそれをシオンが許してくれていた。
幼馴染だから。理由はそれだけかもしれないけれど、それでもアルバにとっては嬉しかった。好き、という気持ちが、身体の成長に合わせてどんどん大きくなっていったのも多分、当然のことなのだ。
ふわふわと甘くて、少しだけ苦いようなそれは、時に痛いほどの苦しさをアルバに与えたけれど、それでもアルバは幸せだった。届かないとわかっていて、それでもずっと走って追いかけていたかった。
そこに、少しだけ願いを掛けた。彼がきれいだと言ってくれたこの髪に。
『ちょっとでもいいから、女の子として意識してもらえたら』
シオンから想いを返してもらえる、なんて思えなかった。
アルバにとってシオンは年が近いほうとは言え五つも年上の男の人だ。彼は顔が良くてとてももてたし、実際にきれいな女の人と一緒にいる所を何度かみたことがある。
それに対し、いつだってアルバは子供だった。届かないとわかって、ずっとずっとシオンを追いかけて走っている子供だ。
それでも、子供は子供なりに、恋をする。
好きな人に逢えたら嬉しい。笑ってもらえたら嬉しい。近くにいたくて、特別になりたくて。アルバなりに色々と頑張っていた。勉強も、苦手だけれども頑張った。
少しでも褒めて欲しくて。頑張ったな、と言われることが嬉しくて。
そんなアルバを、相変わらず子供だとシオンはそう言っていたけれど。
けれど、それも全部無駄だった。
『そういうの、重いですよね』
一週間。
その期間を、もう、とみるか、まだ、ととるかは心一つだけれども、アルバにとってはもう、でもありまだ、でもあった。
離れないあの言葉。正直それ以外は覚えていない。彼に拒絶された想いを抱えたままではいられなくて衝動的に切ってしまった髪は今はない。
重いと言われた想いを捨ててしまうつもりで髪を切り落としたのに。それでもやっぱり消えずに、それはアルバの心の真ん中にどんと居座っている。
シオンが好きだ。重いと言われた今でも。
ずっと好きだった。本当はずっと子供じゃなくて、一人の女の子として見て欲しかった。
もう、叶わないことだとは知っているけれども。
そっと差し込む西陽が陰り、部屋の中も暗くなる。時計を見れば、まだそんなに遅い時間ではないのだが、冬は夜がはやい。
部屋の電気をつけて、もう一度布団へとダイブする。ぼすんとアルバ専用になっている巨大なクッションに顔を埋めていると外から誰かの足音がした。
それはこの部屋の前で止まり、かちりと鍵の開く音がした。
危ないからね、とクレアはいつもアルバを残して部屋を出る時は鍵を掛けていく。
「おかえりなさー、」
帰ってきたクレアへと、声をかけるつもりでアルバはころんと布団に転がったままで顔だけをドアへと向けた。
しかし、開いたそこに見えた顔に思わずアルバは動きを止める。
「…………」
「…………」
交わる視線と落ちる沈黙。
ぐるぐると廻る思考に、けれど、身体は正直だった。
「……失礼しましたァ!!」
そのまま布団から跳ね起きると、ドアとは逆方向へと足を動かす。玄関にいくにはあのドアを通らなければならない。でもそこは通れない。シオンがいるからだ。
じゃあどうすればいい?奥には窓がある。幸いなことにクレアの部屋は二階だ。確か足場もあったはず。
そうして窓に手を掛けて鍵を開けた瞬間に、その腕を後ろからぎゅうと掴まれた。
振り払おうと思った。そして逃げてしまおうと。あの時と同じように。だってアルバはもう傷つきたくなかった。好きな人に、自分の抱えた恋心を『重い』と言われて、どうして傷つかずにいれようか。
「……逃げるな」
──けれど、結局逃げることは出来なかった。
それは、後ろからかけられた声が普段よりずっと、小さく掠れていたことと。
アルバの腕を掴むその指が、小さく震えていたからだ。
「…・……………にげないでください」
もう一度、彼は呟いた。命令というよりも懇願に近いそれに、アルバは開けた窓の鍵を閉める。
もう逃げないという、無言の返答。それをちゃんと理解してくれたのか、それとも違うのか、掴まれた腕に更に力が加わった。
痛みさえ感じるそれは、けれどすぐに解放された。
「ッ!?」
そのまま腕を引かれて、アルバの身体がくるりと反転する。あ、倒れると思って反射的に目を閉じたけれど、想定していた痛みはなく、身体に触れるのは包み込むような暖かさだ。
そろりと薄く目を開いて、前を確認する。瞬間その暖かさの正体に気づいてアルバは思い切り固まった。
「……し」
抱きしめられている。しかも顔が胸にくっつくほどしっかりと。
そう、気づいてから、ばくばくと心臓が煩いぐらいに鳴り出した。切り捨てられなかった重い感情。本当はずっとこうしてほしいと思っていた。
離れて欲しい。放さないで。
せめぎ合うような二つの感情が心の中でぶつかりあう。
そんなアルバの心境など知ってか知らずか、いつのまにか腰に回されていた腕に更にぎゅうと力がこもった。
「話を、させてください」
まるで止めていた息と一緒にぽろりと漏れだしたような、そんな声。
重々しい感情をまるごと内包したようなシオンの声に、アルバはこくりと一つ頷いた。
「まず、謝らせてください」
そのままの体勢で、シオンはアルバへと語りかける。
俯いているためにその表情はみえないけれど、きっと笑ってはいないだろう。
けれど、逃げられないだけましだ。話を聞いてくれるだけでも十分なのに。
「『重い』って言ったこと……あれは、」
そこまで言って、シオンは一旦言葉を切った。少し考え、息をつき、そしてまた改めて話しだす。
「……オレはずっとアルバさんがクレアのことを好きだと思ってたんです」
ぴくりとアルバの身体が震える。その身体をぎゅっと抱いて、小さく自嘲するように、シオンは呟いた。
「だってアンタはクレアがその髪を触る時、凄く嬉しそうに笑ってた」
だから、シオンはアルバも、そしてクレアもお互いがお互いの一番特別だとずっと思っていた。シオンが絶対に入っていけないと思っていた二人の間。それをシオンはずっと、じりじりと灼けそうな感情を抱えて見ていたのだ。
「だから……重い、って言った時にあれだけ傷ついた顔したアンタをみて、正直凄くムカついた」
そう言って、シオンは重い息をつきながら目を閉じた。
瞼の裏に思い浮かべるのは、アルバの泣きそうで今にも壊れそうなあの表情。それを振り切るように小さく頭を振り、そっと瞳を開く。
そして、まるで絞りだすような声でぽつん、と一つ呟いた。
「……傷つけばいい、って思ったんです」
そこまで言ったシオンの胸に、アルバはこつんと額をぶつけて小さく呟く。
「……本当最低だよ」
「すみません」
「許さない、」
「……はい、」
低いアルバの声に、シオンは頭を下げる。
言い訳なんて出来ない。最低なことをした。髪を切ったのは彼女自身だったが、切らせたのはシオンだ。謝っても、許されることではない。そして、シオン自身許されるとは思ってなかったし、許されたくもなかった。
「……ばか、ばかばかばかシオンのばか」
アルバが下げていた腕を上げて、シオンの胸を叩いた。
一回、二回。
力の篭もらないそれは、それでもシオンにとっては痛かった。
それでもこれは自分が負うべき痛みだ。そう思いながら、シオンはただアルバの行為に身を任せていた。
「重い、って言われたのいやだった。一緒にいられないって思った。……このまま家に戻らなきゃ、あわなくていいかなとも、思ったよ」
ぽつりぽつりと零れる言葉と共に、夜色の瞳には涙がじわじわと滲んで視界が次第に水分で覆われていく。
泣いたら、もう何も言えなくなるだろうから、溢れないように目元に力をいれる。
でもじわりじわりと胸元からせりあがる感情は止められない。視界が潤んで、前がよく見えなくなっていく。
「シオンを想って伸ばした髪だったから、あれがなくなれば好きって気持ちもちょっとは消えるかなって思ったけど無理だった」
少しでも気持ちをなくしたくて切り落とした髪だったけれど、思うようにはいかなかった。
髪を切り落とした今でも、やっぱりアルバはシオンのことが好きだ。
この一週間、泣いて、考えて、至った答えがそれだった。
「髪の毛、軽くなって確かに重いなぁって思ったよ。でも、シオンにだけは言われたくなかったんだ」
あ、だめだ。そう思った瞬間にぽろりと涙がひとつ落ちる。
一度落ちたそれが止まることはなくて、次々に頬を伝い、そしてシオンの服を濡らしていく。そうして縋るようにシオンの胸においていた拳をぎゅうと握りしめる。
「ずっと好きだった。シオンが、シオンだけ」
その言葉を聞いてか、ぼろぼろと泣くアルバを抱き締める腕の力が強くなった。そうして、背中から項へと、軽くその毛先にシオンの指が触れる。
掠めるようなその手つきはとてもこわばっていて、でもとても優しい。
まるで壊れ物を扱うようなそれに、アルバは詰めていた息をそっと吐き出した。
「……短くなっちゃいましたね」
「……」
アルバの切り落とした狐色の髪。長かったそれは一週間前のあの日に見事に地面に落ちた。
シオンを思ってアルバが伸ばした髪。本業であるクレアが褒めてくれるぐらいには、きちんと整えられた髪。
それもこれも全てはシオンのためだった。少しでも女の子として見て欲しい。また、もう一度褒めてほしい。
そんな小さな願いを一つ掛けて伸ばし始めた髪だった。
だから、シオンにその想いを否定されたと思った瞬間に衝動的に切ってしまったけれど。
「また、伸ばしてください」
「……」
その言葉に、そっと顔をあげる。滲む視界に映るのは、シオンの真剣な顔だった。
「勝手なこと言ってるってわかってます」
じっと見つめるアルバに、シオンはそっと微笑んだ。
「でもオレは、アルバさんの長い髪、結構気に入ってたんです」
「……けっこう、ていどなの?」
拗ねたような物言いになってしまって、口にした瞬間後悔する。可愛くない。子供っぽいそんな自分がいやになる。
けれどシオンは、おや、と一瞬目を瞠り、そして薄く笑って耳元で囁いた。
「……クレアに嫉妬するぐらいには、あなたの髪に触りたかったです」
その言葉に、アルバは再び俯いてもごもごと口ごもる。
ばかじゃん。髪じゃん。しおんのばか。などと口から漏れる可愛くない文句にも、シオンは気にしていないようだった。
「……だから伸ばしてくれませんか」
そう言って、シオンがその指でそっとアルバの顔を持ち上げる。
間近に見えるシオンの紅色の瞳。そこにはアルバの顔が確かに映っていた。
暫くの見つめ合いの後、沈黙を破ったのはその見つめ合いに耐え切れなくなったアルバのほうだった。
「……た」
「アルバさん?」
「わかった、……伸ばす……」
だからちょっと放して、と視線をそっと外しながらアルバが呟く。
その顔は耳まで真っ赤で、それをシオンは見て「約束ですよ」と微笑んだ。
夕食を食べ、入浴も済ませた後、べたりとシオンが背中に張り付いてきた。
甘えたようなそんなところをあまりアルバは見たことがなかったから、少しだけびっくりした。
「しおん?」
名前を呼べばぎゅうと更に抱きしめられる。首筋に当たるシオンの少し濡れた髪がくすぐったくて、アルバはもう一度名前を呼んだ。
「シオン」
「……こうやってアルバさんと一緒にいられるのが嬉しくて」
ぽつり、小さくシオンが呟いた。その言葉に、ああ自分だけじゃないんだと、嬉しくなる。
さっきのことは確かに現実だったのだと。
「……ボクも、だよ」
顔を長く合わせなかったことだってはじめてじゃない。寧ろ、シオンが一度遠くへと引っ越していた時は碌々連絡さえとらなかったのだ。
それでも、この一週間は長かった。逢いたくて、でも逢いたくなくて。何度も夢に見て、その度にやっぱり好きだと実感していた。
握られた掌に視線を移す。自分より大きな手。五つ年上の彼は大人で、自分は子供で。ずっと届かないと思っていたけれど。
ぎゅうと無言で握られた手を握り返す。いつもならばアルバよりも少し低めの体温は、今は触れ合った掌から分け合った熱で、ちょっとだけ熱かった。
沈黙が落ちる。さっきみたいな、居たたまれないような居心地の悪さはない。
ゆったりと揺蕩うような時間。これも多分一つの幸せなのだろう。
好きな人と想いを一つにして、抱きしめられるほど近くにいる。何かを話すこともなく、ただ空間を共有しているだけでそれだけで十分だ。
そこまで考えて、アルバははっと今更なことに気づいた。
「…………そう言えばボク肝心なこと、聞いてないんだけど」
そのままの体勢でアルバが言えば、シオンは、そうですね、と一つ呟いた。
ちらり、アルバがシオンのほうに視線を向けた瞬間、シオンの紅色とばっちり目があった。そうして、シオンはにこりと笑う。
「好きです、アルバさん……オレと結婚して下さい」
「ボクも……って、アレ!?結婚!?」
初めて言われた『好き』という言葉に、うっかり頷いたら後半の言葉を聞き逃していた。
そこに改めてツッコンだけれど後悔先にたたず。そしてそのままにこにこと笑うシオンのペースへといつものように飲まれていく。
「はい言質とりました。これで晴れてオレたち婚約成立ですね。ほら、左手だしてください、あ、よかったピッタリですね」
「いやえっシオン、アレッ!?」
気づけば左手の薬指に指輪が嵌っていた。シルバーリングに嵌る石はシオンの瞳によく似た赤い色だ。
驚きのあまり、いやいや、と呟きながらその輪をまじまじと見つめる。宝石の価値なんて微塵もわからないアルバだけれども、なんとなく空気がした。コレは高い。多分高い。
アルバの一年間のお小遣いとお年玉全て合わせても多分いや絶対買えないだろう。
「……これ凄い高いんじゃないの、こんなのボク貰えないよ」
少なくとも高校生が持っていていい代物ではない。そう思いながら呟けば、シオンは大きな大きな溜息をついた。
アレ、と思った瞬間にアルバの身体は反転する。さっきまでは指輪の向こうに床が見えていたのに、今はシオンの向こうに天井がみえた。
ふと顔を指輪からシオンへとうつせば、そこには酷く落ち込んだ表情が浮かんでいる。
「アルバさん、自分で言ったこと早速反故にする気ですか?……そうですよね、あんなことしたオレのことなんて許せませんよね、」
「いやいや、えっとシオンほら包丁放せって、それどこからって、いや、エッだってけっこんってアレ!?」
ぞくりといういやな予感に従って横に掲げられたシオンの右手に視線を向ければそこには本当にどこから持ってきたのか鈍く光る包丁があった。
わーわー言っていればシオンは包丁をどこかへと置いた。それがどこにあるのかアルバから見えないことは非常に不安だけれども。
そう考えながら、アルバはもう一度シオンへとツッコミを入れた。結婚って!まだボク卒業してない!
「だってアルバさんもう高校卒業じゃないですか、オレはアルバさんが好き、アルバさんもオレが好き。何か問題あります?」
きょるん、と擬音がつきそうな可愛らしい仕草で首を傾げるシオンは、元々の顔が良いこともあってとても可愛らしく見えた。
けれど残念ながら、アルバはその中身をしっかりとわかっているのでその可愛らしい表情が見たままじゃないこともまたよくわかっている。
「問題だらけだよ!?なんで恋人すっとばして婚約者!?」
「……アルバさん、いやですか?」
真剣な表情。困ったように下がる眉、まっすぐに見つめてくる紅色の瞳。
そのどれもがすぐ近くにあった、アルバの心臓がひとつ大きく跳ねた。
「い、や……じゃ、ない、けど」
もごもごと言いよどむアルバに、シオンはまたいつものように、小さく鼻で笑う。
「じゃあいいじゃないですか。アルバさんのくせにムードとかなんとか拘りあるんですか?」
「くせにって!だって結婚とか、プロポーズって……一応、女の子の夢じゃん」
「……すみません」
女の子だったんですね、みたいな返事が返ってくると思っていたから、シオンの言葉にアルバはそっと目を丸くする。
そんなアルバの表情に、シオンは困ったような笑みを浮かべた。
「今日のこれは、じゃあ仮ってことで……また改めて、プロポーズしますね。意外とロマンチストなアルバさんに合わせた超乙女チック仕様で」
真剣になったと思えば、すぐにいつも通りのシオンが顔を出す。けれど、正直ずっとあんな調子だったらアルバの心臓が持たなかっただろうから平気だ。
真剣な表情のシオンはいつもの五割増しぐらいでイケメンだ。そんなシオンに見つめられたり真面目な話をされたりすると、正直に言おう。身がもたない。
「なんか怖いよ!?」
「でも、ここには」
シオンは反射的にツッコミを返したアルバの左手をとり、薬指にそっと唇を寄せた。
かちりと固まったアルバなど気にせず、指輪と指の境目に舌を這わせて、そのままの体制で視線をアルバへと向ける。
「これ、ちゃんと嵌めててくださいね。また新しいのが欲しいなら言ってくれればまた改めて送りますので」
指に触れる舌の熱さに、心臓が痛いぐらいに鳴っているのをアルバは自覚していた。
まっすぐにぶつかる紅色から視線を外すことも出来なくて、う、と小さく声を漏らすが、なんの意味も持っていない。
うすく笑むシオンの唇はまだ、アルバの左指に触れている。それを意識しないように、そちらへと話題を向けないように、と必死に頭の中で代替と成り得る話題を探す。
「……あ!えっと、そういえばお、クレアさん」
脳裏に蘇ったのは、ここの家主、クレアのことだった。
別にシオン一人泊まっても余裕はあるような部屋だから問題はないけれど、シオンがここの鍵を持っているのなら、彼は鍵を持っていないのではないだろうか。
そう思ってアルバがクレアの名前を出せば、シオンのテンションは目に見えて急降下した。
「クレアなら今日は戻ってきませんよ。明日の朝までここの鍵貸してやるって言ってたんで明日もどってくるんじゃないですか?」
苛立たしげなその顔をまじまじと見る。さっきまでの態度とは完全に別物だ。
そんなシオンを見ながら、アルバがふふふと笑っているとぺちんと額に掌が降ってきた。
「……なに気持ち悪い顔してるんですか叩きますよ」
「もう叩いてる!……嬉しいなぁって、」
いつもどおりのシオンも、いつもとは違うシオンも。どれもアルバの好きな人、だ。
そんな相手が、自分を特別に思ってくれている。それを表に出しているのをみて、どうして喜ばずにいられるだろう。
シオンに叩かれてからも、口元の緩みを抑えることは出来なかった。
「もう逢えないかなって思ってたから」
笑みの中、ぽつんとアルバが呟いた言葉に、シオンはきゅっと眉を寄せる。
「勝手にそんなことかんがえてたんですか」
「だってシオン『重い』とか言うし」
「オレもオレなりに……いや、すみません」
言い訳をしようとして、けれどシオンは首を振ってそれを止める。
理由はさっきも聞いたからアルバも知っている。正直に言ってしまえば何をバカなことを考えていたのだろう、だ。
「まさかボクがクレアさんのこと好きって勘違いしてるとか……」
「だって」
「結構ボクわかりやすかったと思うんだけどな」
視線を外してぽつり一つ呟いて。そして、そっともう一度視線をシオンに合わせて、呟く。
「ずっと、シオンしか見てなかったんだけどな」
「……」
ゆるりと腰に回った手に、不穏な空気を感じる。
「ダメ」
「なんでですか」
拒絶のあとのシオンの言葉に、アルバは自身の勘が当たっていたことを知る。
若干切羽詰まったようなシオンの表情に、それでもアルバは引けなくてじっとシオンの顔を見つめる。
「なんででも、ダメ。……ボク初めてなんだよ」
「初めてじゃなかったら殺します。ああ安心してください、アルバさんじゃなくて相手の男です」
「いないからね!?」
「まあでしょうけど、アルバさんに男が出来てたらオレが気づきます」
それだけずっと見てましたから。
言外に含まれた言葉に、また心臓がひとつ大きく鳴った。
「……ばか」
「それでいいです」
悔し紛れのそんな文句に、シオンが優しく答える。
そんな態度に、アルバは片手で口元を覆って、もう一度ばか、と呟いた。
言いたいことを言って、安心したせいか、それとも話しが一段落したせいか。アルバを眠気がふわりと襲う。
うとりと瞼を下げたアルバに、シオンは静かに「眠いですか?」と尋ねた。
「……すごく、ねむい……」
「……わかりましたよ、じゃあねましょうか」
幼い口調で答えたアルバに、残念そうにそう言って。だけど、シオンはとてもきれいに微笑んだ。
それをアルバは見て、ゆるりと笑みを浮かべる。
「……ぎゅって、してて、」
シオンの首に腕を回してするりと身体を寄せる。とくりと聞こえるシオンの鼓動に、ここに確かに彼がいると実感することが出来た。
規則正しい心臓の音と、触れた所から伝わる熱に、今までの不安や悲しみがほどけていくようで。
ずっとずっと追いかけていたシオンが今、ここにいる。アルバのすぐ傍に、いる。
優しいその温もりと、確かな幸せを感じながら、アルバはその瞳を閉じた。
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