長い長い彼女の髪。それを見るのが苦しいのがどうしてなのか、答えなんてわかりきっていることだった。
"誰か"のために伸ばされた髪。その"誰か"が彼だということをシオンがわからないはずがない。
それを、ずっと見ないようにしてきたのだけれど。
だってシオンはずっと彼女を、彼女だけを見てきたのだ。だから認めたくなんてなかった。けれど改めて突きつけられた現実に、思わずシオンはぽろりと心を一つ零してしまった。
『そういうの、重いですよね』
けれど、シオンはそのぐらいの重さでアルバに思って欲しかった。
シオンの抱えるアルバへの感情は、それよりもずっとずっと重いものだと自覚がある。好きだと自覚して十年程。それからずっと、アルバを想って生きてきた。
ともすれば醜いとも言える妬心と独占欲を孕んだ感情をもってずっと少女を想い続けているシオンに、まるで願掛けのように髪を伸ばす少女の想いは酷く神聖なものにみえた。
しかし、その彼女の想いは決してシオンのものにはならない。重い、という言葉は自分を顧みての言葉でもあった。大きな絶望と僅かな諦観と、それでも消すことのできない途方も無い恋情と嫉妬がそう言わせたのだ。
けれど、彼女はそうは思わなかったらしい。その想いを抱く咎めにも聞こえたのかもしれない。その言葉を耳にした瞬間にアルバの表情は確かにぎしりと固まった。
それをみて一瞬の間にやらかした、と後悔したけれど、同時にもっと傷つけばいい、という思いも浮かぶ。どちらも紛れもないシオンの本心だった。アルバの想いが、誰に向いているものかを知った今では尚更のことだ。
触れたら壊れそうなその表情は、はじめて見るものだ。幼いとばかり思っていたのに、子供はすぐに大きくなる。子供らしい愛情ではない、ただ一人に向けられた恋情がここまで彼女の中で育っていたことにシオンは気づかなかった。
そして、シオンの見る前。泣きそうに歪んだ夜色に薄い水膜が張ったのはすぐのことだった。
シオンにとって、アルバの泣き顔はそう珍しいものでもなんでもない。
泣きやすい上に、シオンはよくアルバを泣かせた。ヤダもう、といいながらえぐえぐと泣く彼女を笑ったことだって両手両足使っても数えきれない程だった。
泣かせたいわけじゃない。けれど素直になれなくてシオンはアルバへと手を出したり、口を出したり。好きな女の子に対するには滅法ひどいことをしてしまう。
しかし、その時は泣いても割とすぐに立ち直るから徐々にその泣き顔を見るのも楽しくなっていたのだと知ったらアルバは怒るのだろうか。
ただ、珍しいものではなくとも、自分が泣かせようとも、アルバの涙はシオンへの凶器と成り得る。呆然と立ち尽くすシオンに、アルバは何かを言いたげに口を開いたけれど、それははくりと言葉にならずに吐息が漏れただけだった。
訪れる沈黙。暫し続く重苦しい均衡を破ったのは、惚けたままのシオンではなく、アルバの言葉だった。
『……そっか、重いんだ』
そして、アルバは手に持っていた鞄の中からカッターナイフを取り出してきちきちと刃をを出す。
眼前の現実についていけないシオンの前で、アルバは自身の髪を一房握り、その狐色へとカッターの刃を当てた。
『アルバさんッ!?』
『……ごめん』
言葉とともに、ぼろり、と涙と、ぷつりと切られた髪が落ちた。
アルバの言う『ごめん』が何に対しての謝罪なのか。それすらシオンにはわからない。ただ、アルバをとめなければ、とそれだけが頭に浮かんだ。
『……』
もう片方も切り落とそうとするその腕をシオンは掴む。
指だけで掴んでしまえるような細い腕。そこに込められた力は思いの外強かったけれど、シオンの行動に驚いたのかアルバは握っていたカッターをぽろりと落とす。
惚けたようなアルバの夜色の目は、いつもより丸く大きくなってシオンの姿を映していた。
『……うして』
『危ないですよ、アルバさ』
何を言えばいいのかわからず、取り敢えず一般論を口にすれば、それを言い終わる前にアルバはシオンの腕を振り払った。そして、落ちたカッターナイフもそのままにアルバは走り去る。帰宅部とはいえ、陸上部からも勧誘を受けたこともある彼女の足ははやく、シオンがその名を呼ぼうとした時には、もうその姿は見える範囲のどこにも見当たらなかった。
そのまま、どうやって家へ帰ってきたのか。正直、シオンは覚えていない。
気づけば部屋のベッドの上で壁を背に座り込んでいて、兄が呼びに来なければきっとまだそのままだっただろう。
しかし、我に返った所で食欲はなく、折角作ってくれた母には悪いが断った。
ふとした時に、アルバのあの表情が浮かんで、胸が詰まる。どうして彼女が想いを寄せるのが自分じゃないのかという身勝手な想いと、その対象となる親友への嫉妬。そして、彼女の感情を揺さぶる事のできる自分への少しの喜び。
それら全てを綯交ぜにしてただ心を浸すのは、後悔という名の感情だった。
どうして言ってしまったのか。傷つけるつもりなんてなかった。
泣き顔も嫌いではないけれど、やはり何より好きなのは彼女の太陽のような笑顔なのだから。
ぼうっと布団の上においていた視線をそっと上へとあげる。そこから見える窓は、アルバの部屋のものだ。
アルバの部屋はシオンの部屋の真向かいで、よく彼女はそこからシオンの部屋へと訪れる。特にクレアやレイクがいれば尚更で、次第に四人で集まる時は必ずシオンの部屋になった。危ないからやめろといっても聞かないやんちゃ娘のその行動は、その頃からずっと続いていて、いい年をした高校生になっても変わらなかった。それをシオンは子供だとからかっていたけれど。
彼女のことをずっと子供扱いしていたのは、自身への戒めでもあり、一つの願掛けでもあった。
けれど、シオンが作ろうとしていた檻からするりとすり抜けて、彼女はただクレアを追いかけていた。想っていた。そう思うと、心臓を鷲掴みされるような心地になる。
その目の前の窓から光が漏れることはない。もう日付も変わる時間だというのに、彼女はまだ帰っていないのだ。どこにいったのか。考えたくもないけれど。
できれば、帰ってきて欲しかった。あのカーテン越しに彼女の部屋の灯りを確認できれば少しはこの胸の支えもとれるだろう。顔を合わせる勇気などないくせに、それでも彼女の存在を感じたいとおもうのだから結構末期だ。
今は暗い、閉じたカーテンの向こうの部屋を、シオンはよく知っている。
性格は女の子らしいとは決して言えないけれど、意外と可愛らしいものが好きだということも。
彼女はあの長い髪をとても大切にしていて、特に髪飾りの種類は豊富だった。
シオンやレイク、クレアなども誕生日だ記念日だ、といってプレゼントとして渡すものがそれなのだから無理はないかもしれないけれど。
けれど、やはり自分があげたもの以外はなんとなく気に触って、こっそり彼女の部屋へと入り隠してしまったことも一度や二度ではない。
そんなことをぐるぐると考え続け、結局意識を窓の向こうから外せないままで夜が明けてしまった。今日は平日だというのに、彼女はどこに行ってしまったのか、と考えて、自由登校中の彼女が別に学校へ行く必要はないのだ、と思い出す。
そして昨日のことから考えて、きっとアイツのところにいるのだろう。かんがえたくなかったことを自分で導き出してしまい、自分の思考に死にそうになった。
カーテンが開いた音に、慌てて視線をそちらへ向ける。
しかし、その目に映るのはシオンの望む少女の姿ではなかった。
「ごめんね、シオンくん。昨日からアルたんクレアくんのとこに泊まってるのよ」
窓越しにばっちり目のあってしまったアルバの母は困ったように眉を下げる。その言葉に、シオンはそれこそ文字通り一瞬固まった。
やっぱり、という諦観と、どうして、という嫉妬と。彼のところでよかった、という少しばかりの安堵と。
そんなシオンの様子など気にもせずに、アルバの母はころころと笑う。
本当仲良くて。クレアくんが結婚する時あの子泣くかもしれないわねぇ、なんていう彼女の言葉に再度シオンは固まったけれど、その動揺を悟られまいと無理やりに笑顔を再び貼り付けた。
腹の底から絞り出すように、シオンは彼女へと同意を述べる。
「……そうですか、本当アルバさんクレアのこと好きですもんね」
そこの好き、がどういうものか、なんて、考えたくもなかったけれど。
そうなのよね、いつまでもクレアくんばなれできなくて、とにこにこと笑ったままのアルバの母に一つ頭を下げてシオンはそのまま窓から視線を外す。
そして、ベッドに頭からぼすりと突っ込み、一つ溜息をついた。
いつから、だろうと考える。
自覚は確かに十年ほど前だったけれど、思えば最初からアルバはシオンの特別だった。
五つ年下の彼女と出会ったのは、彼女が生まれてわりとすぐのことだった。
隣に住んでいた夫婦に子供が産まれたらしい。
それを聞いて、やんちゃざかりの兄と親友は夫婦からの誘いがあったこともあり、「よしじゃあいこーぜ」ととても軽いノリで子供を見に行くことに決めた。
二人が行くとなったらシオンが一緒に行くのはもう既に決定事項である。
面倒くさいと溜息をつきつつ、まだ幼かったシオンは初めて見る赤子の存在に好奇心と興味を抱いたことも真実である。
そんな三人を、隣の若夫婦は喜んで迎えた。
寝てるからいつもより静かにしてね、と母親は三人のための飲み物とお菓子を準備するためにキッチンへと向かった。
はーい、と良い返事をした三人に、父親はにこにこと笑って手招きをしていた。
部屋の隅に置かれた小さなベッド。そこを覗きこめば、そこには小さな小さな子供が眠っていた。
「わーかわいいね」
「ちっちゃいなー」
「そうだろ、うちのこ超可愛いだろー」
シオンたちの反応に、気を良くしたのか。父親はいつも以上にでれでれとその顔を崩している。
親ばか乙、と言いたくもなったが、確かに目の前の子供はちゃんと人に見えるし、可愛く見えないこともない。
テレビでみた産まれたばかりの子供をみて猿のようだ、と思ったことを思い出す。
ちょい、と指でその掌に触れるとひどくやわくて壊れそうだとそっと手をひっこめた。自分の手とも、兄の、友人の手とも違う。人に見える、と思ったけれど本当にこれは人なのだろうか。柔らかく、壊れそうなそれはシオンにとって未知の生物だった。
「ねぇねぇおじさん、このこの名前なんていうのー?」
クレアがそう尋ねると、父親は待ってましたとばかりに、とても得意そうな表情を浮かべた。
「聞きたい?」
「うん、オレちょーききたい!」
「えーどうしようかな」
「えーおじさんひどいよ!」
そんな二人の文句を、前にアルバの父親はドヤ顔で腕を組む。そうして、ゆっくりと、その口を開いた。
「このこの名前は日の出前の時間……暁をさす言葉、アルバだよ」
「あるばー?」
「あかつきってなーに?」
カッコつけていったくせに、幼子二人の質問攻めにまだ隣では父親が何かを言っていたが、シオンの耳には届かない。
クレアとレイク、そして新たにミッドナイトと名乗るらしい父親の声をBGMに、シオンの視線は目の前で眠る赤子へと向けられていた。
「……アルバ」
一つ、名前を呼ぶ。これが本当に自分と同じ人間なのか、を確かめるために。
「あるば、さん」
もう一度、こわごわとその柔い指に触れる。壊れるかと思ったそれは、シオンが触れた瞬間に、その指をそっと握った。
「シーたん?」
誰かが、自分の名を呼ぶ声すら聞こえなかった。
多分、それが始まりだった。
あれから十七年。
ずっと傍にいたわけではなかったけれど、シオンの中でアルバが一等特別な女の子であることに変わりはない。少し離れていた間に、"女の子"になっていた少女にこの想いを自覚してから、もう十年。
「……どうしろって言うんだ」
呟いて、机の上の小さな箱を見つめる。
嫌われてはいないだろう。彼女の特別の範囲に確かに入っているとシオンは思っている。
けれど、彼女が一番キレイに笑うのは、クレアといる時だ。クレアがあの髪に触れる時、とても幸せそうにアルバは笑う。決してシオンには入っていけない二人の関係に、苛立ち紛れの暴力で介入していったのはもう両手では数えきれない程だった。
箱の中身を考えて、頭を抱える。
今度の彼女の十八歳の誕生日にこれを渡して、そして告げるつもりだった。
拒絶されない自信はあった。その時は受け取ってくれなくとも、なし崩し的に押せばどうにかなると思っていた。
あんなに、クレアのことが好きだと知るまでは。
きっと幼い恋なのだろうと思っていた。子供が抱える淡い初恋のような。
やわらかく、甘い、そんな優しい感情で出来た想いなのだろうと。
伝えるべきか、それとも──。
そう考えて、小さく頭を振る。どうせ、諦めることなど出来ないのだ。
それならば、足掻くべきじゃないだろうか。
特別でありたいのなら、もっと優しくしてあげればよかったし、もっともっと彼女のために何かできたはずだ。
それはクレアが彼女の髪を切ってきたように。
傷つかずに何かを得ることなど出来ないのだ。欲しいものはならば、苦労すら厭わず行動すべきだ。
けれど、今はまだ、行動するための勇気はシオンにはなかった。
そして、あの日から一週間が過ぎた。しかし、未だアルバは部屋には戻っておらず、ずっとクレアのところにいるらしい。
らしい、というのはあの日からあの部屋に電気が灯ったところを見ていないことと、レイクがそう話していたからだ。
生活スタイルの関係上、夕食の時くらいしか顔をあわせない兄はシオンよりよっぽど周りのことを知っている。母の作ったカレーを食べながら、レイクが近所のことや、シオンの知らない様々な話をするのをシオンはじっと聞いていた。
「本当あの二人仲良いよな。まあアルバくんみたいに可愛い妹ならわからないでもないけど」
間違いだけはなけりゃいいけど、ってあの二人別に兄妹じゃないから間違いもなんもないか。
あはは、とレイクは笑っていたけれど、シオンにとっては笑えない。
一週間帰ってこないアルバ。彼女がクレアの元にずっといる、ということはきっとそういうことなのだろう。頭の中でわかりたくもなかった答えを弾きだして、シオンは重い息をついた。
覚悟を決めなければ、と思って延々と伸ばしてきた結末がこれだった。
それを打破するには、今まで以上の心構えが必要だとそう思ったくせに、シオンはそんな覚悟すら出来ていなかったのだ。
たまには買い物行って来い、と珍しく家にいた兄に追い出されたシオンは運の悪いことに逢いたくて、だけど逢いたくない人を人並みの中にみて、足を止めた。
案の定、と言うべきか、彼女の隣には、親友であるクレアがいて、なにか楽しそうに笑っている。
ずきりと痛む胸。しかし、何よりシオンへダメージを与えたのは首元ほどまでの短い髪だった。
あれだけばっさりといったのだから、切らなければどうしようもないだろう。
クレアのために伸ばした髪。そうと気づいてから、あの髪を見ることが少しだけ辛かったけれど。
けれど、あの長い髪が好きだったという気持ちも、嘘ではないのだ。
気づかれないようにそっと踵を返す。
逢う覚悟なんてできていなかった。伝えることなど出来るはずがない。
アルバの顔を見た瞬間に、あの日の壊れそうなアルバの表情が脳裏へと蘇る。
触れたら壊れそうな小さな女の子。あの日は壊れなかったけれど、今度も本当に壊れないかどうかなんてわからない。
一歩、二歩。歩いているうちに、その足は速度を増していた。
最終的に全速力で、近くの公園へと逃げこむようにして入る。
ベンチに腰掛けて、息を深く吐く。
情けない。
覚悟なんて出来やしない。けれどあんな二人を見てもまだ諦められないのだからどうしようもないけれど。
ゆっくり息を整えているといきなり声と共にペットボトルが飛んできた。
誰だ、とそちらへと視線を向けるとそこには、今二番目に逢いたくなかった相手がいた。
「やーい弱虫」
にやにやと笑ってクレアはシオンの前に立つ。しかも、きっちりとシオンの腕の届く範囲外に。
飛んできたペットボトルを握りながら、クレアの顔を見ていれば妙な苛立ちが湧いてきた。
「笑いに来たのか」
「笑って欲しけりゃ笑うけどさ。ちょっと今日はおにーさん怒ってるから」
にこにこと笑うその空色に滲む怒りに、まあ、そりゃそうだろう、と湧いた苛立ちが軽く萎む。
クレアにとってシオンは大切な人を泣かせた相手だ。しかも、あの髪を切らせてまで。
あの髪に触れるクレアの顔はとても幸せそうだった。それがそのままアルバへの感情を示している。
最初から入る隙間などなかった。それを改めて思い知って、シオンは視線をそっと地面へと落とした。
「アルバくんがあの髪切ったの、シーたんのせいでしょ」
単刀直入。ざくりと切り込まれたその言葉に、否定など出来はしない。
頭を垂れたまま、小さく首肯する。下を向いているためにクレアの表情は確認できないけれど、きっと先程よりも眉間に皺が増えているのだろう。
いつもにこにこ笑っているが、幼馴染の中で一番怒ったときに恐ろしいのはクレアだ。
「ねぇ重いって、そんなにアルバくんの好意は迷惑だった?」
重い声に、シオンは何も返さない。好意。その好意が自分に向いていればいいのにと何度思ったことか。
迷惑というなら迷惑だ。彼女の特別が、他人に向いているのが嫌だった。
「そんな、ひどいこと言って泣かせちゃう程、アルバくんの何が気に入らなかったの?」
「ハァ?」
気に入らないなんて、そんなのお前に向ける感情に決まってる。
思わず顔を上げ、イライラとした衝動で返事をすれば、クレアも売り言葉に買い言葉のノリで、ずばりと切り込んでくる。
「好きな子程いじめたいって、本当シーたんガキだよね」
「なんでオレがアルバさんのこと」
「だってシーたんアルバくんのこと好きでしょ?なのに重いって」
小さく舌打って、そう返せばクレアは呆れたようにそう言った。
「……十七年もずっと想ってるって重いだろ」
「十七年?」
「自覚をしたのは十年ぐらい前だが、多分オレは最初に見た時からアルバさんのことが好きだった」
「………………うん、ちょっとちゃんと話しようかシーたん」
暫く考えた後、先程の怒りがクレアの顔から消える。変わりに現れたのは呆れたような、理解し難いというような、そんな色だ。
話をしよう、と言われたけれど、何を話せと言うのか。
「お前に話すことなんて何もない」
「ちょっと、多分、シーたん盛大に色々勘違いしてるかなって」
勘違い、その言葉にシオンは眉を潜めたけれど、クレアにはクレアの考えがあるらしい。
抱えた憤りをどうにかして沈めて、二三度深く深呼吸をする。
「……まずさ、シーたん。アルバくんにあの日何言おうとしてたの」
あの日。
シオンにとっての絶望の日。そしてそれは、アルバと逢った最後の日でもある。
長い髪を二つに結んで、下校途中の彼女に声を掛けた、あの日。
「誕生日に渡したいものがあったから、予定を聞きたくて」
昔は予定なんて気にしたことはなかった。誕生日といえば大体四人で集まっていたし、年は皆違えども、何かあれば四人で遊ぶのが常だった。
けれど、年を経る毎に変わっていく。
学校が変わり、クレアもレイクも、今はシオンも社会人で、アルバは学生だ。
以前みたいに容易く集まれるわけでもないし、それぞれにそれぞれの付き合いがある。
そして、今度の誕生日はシオンにとっても特別だったから、今までのようになあなあではなく、しっかりとアルバ自身を予約しておきたかったのだ。
「誕生日に、コレ渡して卒業したら一緒に住もうって言うつもりだった」
「……………へ、へぇ」
「誕生日、近いだろあの人」
「…………うん……そうだね」
「告白、しようと思ってて」
ずっと伝えてなかった想いを、この機会ならば言えると思った。
そうすれば、なし崩し的に自分のものにしてしまえるのではないかと。
「でもアルバさんはお前が好きで」
「ちょちょちょ、ちょっと待った。なんでそうなるの!?」
驚いたようなクレアの声に、シオンはただ息をつく。
簡単なことだ。わかりやすいたった一つの理由がある。
「……アルバさんが髪伸ばしてる理由」
「……あーそこか、だから」
頭を抱えて、クレアは大きな息をついた。
いやいや、ああでも、などとぶつぶつひとりごとを言った後、もう一度顔を上げてクレアはきっぱりと言い切った。
「シーたんそれは違うよ」
「なにが──」
「オレが言っちゃダメだと思うけどね、でも多分シーたん言わなきゃ気づかないとおもうから言うけど」
さっきまでの呆れた表情とも、怒りに満ちた表情とも違う。真っ直ぐに空色の視線がシオンを刺す。
逃げちゃ駄目だ、とシオンはそれを真正面から受け止めた。
「確かにアルバくんが伸ばしてる髪は、好きな人のためだよ」
そう言って、クレアはすっと目を細めた。
懐かしいことを思い出すように、クレアは優しく微笑んだ。
「ずっと、ってほどでもないぐらい前の話なんだけど。その好きな人が、伸ばせばいいのに、って言ったんだって」
『アルバさん可愛いんですから、女の子らしい格好も似合うと思いますけどね』
『本当?』
『髪も、ほらキレイなんですからロングだって似合うと思いますよ』
「あまり女の子らしいこと好きじゃなかったけど、大体肩を越したぐらいで褒めてくれて、プレゼントくれたんだって。」
『結構伸びましたね、メンドクサイっていってすぐ切っちゃうと思ってました』
『そ、っかな!』
『はい、結構似合ってますぷすー』
『バカにしてる!?』
『してませんよ、可愛いです』
『えっ、あ、……ありがと』
『……コレ、あなたにあげますよ。これだったら自分でもつけることができるでしょう?』
「……あ」
記憶の片隅にあった過去の出来事。
忘れかけてたそれを思い出して、膝に乗せた指をそっと組み合わせる。
「…………嘘だろ」
「マジだよ。そんでもって、そんなシーたんはアルバくんになんていった?」
『重いですよね』
同じ言葉。それも前提を変えて考えれば違う答えが見えてくる。
アルバが髪を伸ばした理由がシオンだったと言うのなら。
アルバがあんなに傷ついた顔をした理由。それは。
「アルバくん泣いてたよ」
クレアの言葉に、組んでいた指に力を込める。
脳裏にまたあの日の泣き顔が浮かぶ。
泣かせたのはシオンで、でも泣いた理由もシオンで。
痛い程胸が苦しいけれど、同時に酷く、嬉しかった。
「本当は逢わせるもんか、って思ってた。シーたん優しいのも気が利くのも知ってるけど、アルバくんに対してはちょっと空回ってるよね」
静かに呟くクレアの声に、穏やかなだけではない色が混ざる。
「……」
それを聞いて、シオンは軽く首をかしげた。
「ワー……」
自覚なし?とクレアは呟く。呆れたような、諦めたようなそこには渇いた笑いさえ浮かんでいた。
「いやでも指輪……同棲?」
「だってそうでもしなけりゃあいつ流されないだろ」
「…………シーたんそれやばい。エゲツナイ」
たっぷりと溜めた後、ぼそりと言われた言葉に、シオンは何も言うことは出来なかった。
最低な自覚はある。普通ではないこともわかっていた。
恋は盲目という言葉通り、手順も倫理も何もかも全てすっ飛ばしたやり方なのは自分で否定できないからだ。
「……アルバさんに謝らないと」
そしてずっと伝えてなかった想いを伝えなければならない。
「シーたん!」
思わず駆け出そうとしたシオンを呼び止めて、クレアが何かをこちらへ放る。放物線を描いて飛び込んできた銀色のそれを見て、シオンは目を丸くした。
「……クレア?」
「今日一日シーたんにそれ貸してあげる。でも明日の朝には戻ってくるから返してね」
つまり、アルバは今もクレアのうちにいる。そして、明日までに片をつけておけ、ということだ。
呆然とクレアを見つめるシオンに、クレアはにやっと笑う。
「アルバくん泣かせちゃダメだよーもし拗れてたらオレアルバくん持ってっちゃうからね」
惚けた思考に、クレアの言葉が滑りこむ。
じゃあね、とひらひら手を振って去っていく親友の背中を見ながら暫くその言葉を頭で回す。
そして、理解した瞬間シオンは思い切り舌打った。
「誰がやるか!」
「あははは!じゃあシーたんうまくやれよー!!」
クレアの背中へと言葉を投げれば、クレアは振り返って大きく手を振った。
言われずとも。これまでずっと間違え続けてきたのだから。
今度こそは、間違わない。
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