(一睡の夢と、荒寥の望)
時々、夢をみる。
その殆どが内容も覚えていないようなものだったけれど、覚えている夢はその大半が過去のことだった。中には何度も見る夢もある。
失ったものや手に入れたもの。自分のこと、他人のこと。
その中には失った記憶の欠片もあるのかもしれない。だから、たまにそれが現実のものかどうかわからない時がある。
朝はまだ来ない。けれど、今寝たらきっと今日の勤務には間に合わないだろう。狛枝は自分の寝起きの悪さを知っていた。
まだ覚醒仕切らない頭で狛枝はぼうっと天井を見つめる。そしてちらりと隣に眠る男の姿を見て、先程の夢を脳裏へと蘇らせた。
『苗木クンって本当普通だよね』
この会話には覚えがある。夢でもみて、記憶にもある。
まだ希望ヶ峰学園にいた時のことだ。『超高校級の希望』となってしまった苗木誠との他愛もない思い出。
隣で眠る彼は多分覚えていないだろう。狛枝と違って、苗木はあの頃の記憶を持っていない。
こういうふうに、小さな身体をまるで自身を守るかのように更に小さく丸めて眠る彼の姿はあまりみないから新鮮だ。いつもならば、狛枝が起きた時にその姿はもうないのだから。
どんな夢を見ているのだろうか。夢もみないで深い眠りについているのかもしれない。狛枝は苗木ではないから、彼の睡眠についてはよくしらない。
けれど、些細なことで眠りから目覚める彼を見ている限り深い眠りにはついていないのだと思う。
可哀想に。狛枝は苗木を哀れんでいる。普通でしかない彼が今現在『希望』と呼ばれていることも、それについてまわる様々な柵も。
分不相応なその呼び名に相応しい人であれと、皆が願っている。それを苗木は受け止めてただ『希望』であろうとする。けれどそれは苗木誠ではありえない。
可哀想に。いつか、崩れてしまうだろう。それこそ、糸がきれるようにぷつりと。そう思いながら、狛枝は何も言わない。ただ、馬鹿だ、と言うだけだ。それを彼は笑って流すだけだ。
同時に、どうでもいいと思っていた。他がどんなに彼を希望として扱っていても狛枝の中で彼は希望ではない。彼は狛枝の求める希望とは異なる存在だ。
狛枝の求める希望は、前向きな意思と才能が生み出す絶対的な良きものであったけれど、彼にはその才能が欠けていた。
何より狛枝は自分と同じ幸運でしかない彼には希望という呼称はあまりにもそぐわないと考えていたからだ。幸運なんて、屑でゴミのようなものだ。そんな才能が希望と呼ばれること自体烏滸がましい。
彼が希望と呼ばれたのは、ただ運が良かっただけ。そう考えると、狛枝が、『超高校級の絶望』江ノ島盾子を何より悍しい絶望と呼んだのは間違っていたのかもしれない。
きっといつか、狛枝の求める希望が現れるだろう。それは、多分苗木の前に現れると狛枝は思っている。そして、偽りの希望を打ち破り本物の希望が輝く日がくるだろう。
その日を狛枝は待っている。だから、きっとこういうふうに一緒にいることができるのだろう。
『狛枝先輩は本当変わってますよね』
呆れたような声は、それでも笑っていた。狛枝も笑っている。今の自分と彼とは全く違う関係。それでも、これは狛枝の記憶に残る過去と一致する。
こんな会話なんて今は殆どないけれど、数年前──まだ狛枝たちが希望ヶ峰学園の生徒だった頃には有り触れた光景としてそこにあった。
ただの『超高校生の幸運』同士、学年が一つ差ということもあって、狛枝と苗木の仲は良好だった。それなのに、関係が変わってしまった理由には、きちんと原因がある。
その幾つかの原因の果てに、狛枝には苗木をあの頃のように優しく見守ることなんてできなくなった。
『でもなんでだろうね、キミと一緒にいるのがボクは楽しいみたいなんだ』
こんな風に思うことなんて、今はない。ただ、楽なことには代わりがないけれど。
狛枝の幸運の代償としての不運は、彼には向かわない。だからこそ狛枝は彼の元にいれば気楽だった。
どんなことがおこっても、大丈夫。恐れることはない。今までだってそうだったのだ。なれかもしれないけれど、狛枝はそう信じていた。
不運が向かわない理由なんて考えて挙げ連ねればいくらでも思いつくけれど、突き詰めれば彼が『超高校級の幸運』であるからだと狛枝は思っている。
『それをボクに聞かないで下さいよ』
拗ねたようなものいい。頬も膨らませている。一つ下には見えないそんな幼さが狛枝は嫌いじゃなかった。
あまり人と親しくしてこなかった狛枝にとって、苗木は初めて出来た"後輩"だった。
そんな"後輩"である苗木を狛枝は多分気に入っていたはずだ。
そこにどんな感情が付随していようが、狛枝にとって苗木誠という存在は確かに特別なものだった。
『あはは、それもそうだね』
『……でもまあ、ボクも狛枝先輩と一緒にいるの結構楽です』
『ふうん?』
苗木は誰とでも打ち解けいつの間にか人が周囲にいるような少年だった。
『超高校級の幸運』として希望ヶ峰学園に入学した、平凡過ぎるほど平凡で普通過ぎるほど普通だった彼の話を聞いているだけでそれはすぐにわかるだろう。
まるで普通の高校生のようなその話を聞くことが狛枝にとって小さな楽しみになっていたと苗木は知っていたのだろうか。
そんな彼が「狛枝先輩と一緒にいることが楽」といったことは確かに狛枝の感情を揺らした。
理由を少し考えて口に出すと、苗木は少しだけ間をおいたあとで小さく笑った。
『皆特別だから?』
『……まあそんなところですね』
その他にどんな理由があったのか、狛枝は知らない。考えていることが顔に出てわかりやすい苗木だったけれど、狛枝にとって苗木の前向きな思考は理解できないことも多々あった。
だから、狛枝は苗木と一緒にいてその話を聞いていることが楽しかった。彼の暖かさが心地よかった。
夢はここまでだった。けれどこれには続きがあったはずだと思い起こす。
確か、あの時狛枝は勝負を苗木に仕掛けたような気がする。
他愛のない、遊びの延長線のように気軽に。
『ねぇ、苗木クン。勝負しようか』
『勝負?』
『ボクの幸運とキミの幸運と』
『……狛枝先輩に勝てるわけないじゃないですか』
呆れたようにいう苗木にいつもの前向きさはどうしたの、と聞きたくなる。記憶の中の狛枝も多分同じ事を考えたのだろう、軽く笑ってその頭を撫でた。
それに抵抗をしないということは、それは多分許されていた距離感なのだろう。
『わからないよ。キミだって一応この希望ヶ峰学園の『超高校級の幸運』だ。条件は対等だと思うけど』
『いや、ぜんぜん対等じゃ……』
『勝ったほうのいうことを聞くってことで』
あっさりとそういってのけた狛枝に苗木は首を振って否定する。その言葉すら聞かずに狛枝はにっこりと笑って自分の考えを押し通したのだった。
こうなればどれだけいっても引かないと、苗木はわかっていたのだろう。大きなため息を一つ吐いて、渋々ながら返事をした。
『……なんですか』
『簡単だよ、あのね』
どちらが勝ったか、そしてその時の賞品がなんだったのか。狛枝は今でも思い出していない。
何度も見た夢だったけれど、この続きは一度も見たことがなかった。
どうせ大したことじゃない、そんなことも思うけれど、思い出せないというまるで喉の奥に何か刺さったような不快さがいつも湧き上がる。
誰かに聞ければいいけれど、もう一人の当事者である苗木はあの頃の記憶が殆ど戻っていないというのだから話にならない。
しかし、たとえ苗木がその時の記憶を持っていたとしても聞かなかっただろう。狛枝は苗木に聞いてまで、この時の結末を知りたいと思っているわけではないのだから。
次第に白んできた外の景色に、朝が近いと知る。
狛枝の出勤にはまだ時間があるけれど、苗木はどうなのだろうか。
狛枝は苗木が今何の仕事をしているのか知らない。あのコロシアイ学園生活を生き抜いた『希望』の話は聞くけれど、それだけだ。
未来機関にとって、彼は体のいい偶像だ。絶望に染まらず、弱さを見せることなく、それでいて失った者たちの思いや存在を背負いながらただただ前向きに走り続ける彼は機関にとって一番都合のいい存在だったのだろう。
扱いやすく、動かしやすい。彼が元々何ら才能も持たない普通の一般人であったことも原因だろう。親近感を抱かせやすい、身近な存在。
「……」
そっと、その瞳が開く。次に目を擦りながら身体を起こした苗木は、狛枝が起きていたことを知って驚いたようだった。
「……狛枝クン、ちゃんと寝てた?」
「寝てたよ、一応」
第一声がそれか、と狛枝は息をつく。寒いのか苗木はもそもそと毛布を手繰り寄せた。
それを視界の端で見ながら、狛枝も身体を起こした。
「何時?」
「えっと…‥すぐ出るよ、一旦家に帰らなきゃ」
時計を確認した後で苗木は毛布を手放し、そのまま洗面所へむかったようだった。その後姿をみて、狛枝は小さく息をつく。
時間は六時過ぎ。狛枝は八時半までに家を出れば十分だからまだ余裕だけれども、苗木は少しだけ焦っていたようだった。
一旦家に帰って、そこで準備をして、と考えても彼の生活態度からすると七時過ぎには家を出れるだろう。
今着ている服をその辺にぽいと投げて、それでハンガーに掛かったスーツを着るぐらいのものだろうから。
そういうところは面倒くさがりで、クリーニングに出せば十分だと彼は言ってのけた。事実最近はその忙しさにかまけて全ての洗濯物をクリーニングに出してるようだった。
狛枝も人のことはいえないけれど。金があるのと、面倒臭いのとで狛枝自身も大概人に任せていたからだ。
「ありがとう、狛枝クン」
ぱたぱたとそれだけ言って苗木は嵐のように去ってしまった。
誰もいなくなった部屋。さっきまでばたばたとしていた筈の部屋がしんとしている。
狛枝は、下に落ちかけている毛布を拾った。まだ温かいそれには、少しだけ苗木の匂いが残っている気がした。
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