救い出してくれた、光をくれた大切な人。
恩人と形容していたそれが友人になるのに時間はいらなかった。
ただ前を向いて歩く彼を支えたい。そう思ったのがはじまり。
次に、強く、皆の望む【希望】であろうとする彼の弱さを知りたいと思い。そんな淡い想いは、隠された弱さも含めて自分が守ってあげたい、というものへと変化した。
そこではじめて日向は、自分が彼──苗木誠に抱いている感情が特別であることを認識したのだった。
その特別な感情が一般的に恋と呼ばれるものであることを認識したのは、仲間の一人──狛枝凪斗の話をした時のこと。
皮肉にも、苗木が狛枝へと向ける瞳に自分と同じものが浮かんでいることに気付いた時。
気付いた瞬間に失恋なんてよくある話だ。そうは思ったけれど、日向には笑えなかった。

その色を見とめた瞬間にこの思いが消えてしまえば楽だったのに──そんなことを、今でも思っている。
叶わないと、知った。報われないと、理解した。
それでも、好きでいるのは自由。そう思った。
告げるつもりなんてない。ただ、苗木が笑っていらればいいと思った。
まだ自覚したばかりの思いだ。すぐに消えてしまうだろう。
そう思っていた日向は、自分の目論見がいかに甘かったかを知った。
結局、自覚した小さな恋心は燻り続けた挙句の果てに、口にできないような欲望まで含んだ立派な恋愛感情へと進化していた。

それでも、日向は苗木の想い人を知っていたし、他の面々から昔の二人の関係を聞いていたから、当初の考えの通り告げようなどと思いはしなかった。
そして、焦げ付くような胸の痛みにも慣れてきた頃。苗木の想い人──狛枝凪斗が目覚めたのだった。


狛枝が目覚めた、ときいて苗木をはじめとする未来機関一四支部のいつものメンバーが島へと来た。
嬉しそうな苗木を見ると複雑な思いが湧き上がったが、笑ってるのだからいい、と無理矢理押さえつける。
苗木の想いを受け止める先はそこにある。それを心から喜べるような広い心はまだ持てないけれど、彼が幸せなら。
想いを心にしまっておくのは今までと変わらない。想いを融かしてしまう切欠ができたことを喜べばいい。そう思った。
だけど、日向は自身のそんな考えが甘かったと痛感する。
「…は、」
「はじめまして、苗木誠クン。…でいいんだよね?『超高校級の希望』であるキミがここにいるなんてなんて素晴らしい幸運なんだろう!」
にこにこと、望んでいた【希望】を目にした衝動のまま、狛枝は口を開いた。
それを目にした苗木の顔が僅かに固まる。それでも笑顔を崩さないのが、酷く悲しく思えた。

日向たちがプログラム内と、そしてそれ以前の記憶を取り戻したことも奇跡だったのだ。皆が皆そんな調子だったから日向はそのことを忘れていた。
はじめまして、と笑う狛枝はプログラム内のことを覚えていた。そしてそれ以前のことも覚えていたけれど、それは狛枝が絶望化してからのこと。
つまり、希望ヶ峰学園にいた頃の記憶は殆どないということだった。

苗木はそれを知ってから初対面の『超高校級の幸運』として狛枝と接している。
その姿を日向は少し前、見たことがあった。
日向たちが目覚めてから、苗木が島に来るとき。そんな時の苗木の態度と同じだった。
普通に、自然に。けれど線はきっちりと引いている。それを崩したくて言い争いをしたことまで思い出した。
それでも、きづくことがある。ふとした瞬間。多分隠そうとしているだろうその感情が時折その瞳に映っているということ。
すきだ、とその目は語っていた。
その目が自分に向けられないことが悔しくて、それを隠そうとする苗木が悲しくて。
気付こうとすらしない狛枝への態度が悪くなるのは多分当然のことだった。


それは、偶然が結んだことだった。
たまたま休暇中だった苗木が、たまたま島に立ち寄って。
たまたま天候が悪くなって、たまたま苗木は島に留まることになった。
夕食の後、様々な理由で皆が早々にレストランを後にしたのも偶然だろう。

では、苗木が日向と話したい、といって本来の当番だった九頭龍とかわったのも偶然だったのか。

雨の音が響く。大分酷い天気になりそうだ。話は当番を終わらせてから、コテージに戻ってしたほうがいいかもしれない。
「苗木、話って長くなりそうか」
「そんなにはかからないと思うけど」
苗木はどうして?と小首を傾げて尋ねる。横目で見えるその姿は本当に成人男性だと思えないほど幼い。
そんな相手に性欲を抱いてしまう自分自身に罪悪感も覚えたこともあるけれど、今では好きという言葉を免罪符にして開き直っていた。
全てがゆるされるわけではないけれど、脳内で汚すことぐらい、苗木も男だからわかるだろう。
そんな勝手なことを頭の中で思い描きながら日向は苗木から渡される皿を受け取った。
指が触れたらまた意識しそうだから、触れないように注意して。
「雨酷くなりそうだから、コテージに戻ってから話したほうが後々いいんじゃないかと思って」
「うーん、そうだね。じゃあはやく終わらせて戻ろうか」
納得したように苗木は一つ頷く。そして、泡だらけになった指で水の中に潜った皿を取り上げた。

レストランの清掃と翌日の朝食の準備まですませて、日向達はコテージへと向かった。
先程までの雨の音が嘘のように、雨足は弱まっている。
「ちょうどよかったな、濡れないうちにいくぞ」
そう言って日向はばっとレストランを飛びだす。その声にうん、と頷いて苗木は後を追った。
日向のコテージの前。少々濡れたものの、これぐらいなら気にすることもないだろう。
「苗木、」
大丈夫か、と振り向くとなぜか日向より濡れている苗木の姿。
シャツの胸元に視線を向けてしまったのは恋する男の性かもしれない。
透けて見える肌色に少しだけ顔が熱くなるのを自覚した。
「大丈夫、っていいたいけど」
日向がコテージの屋根の下に着いた瞬間に強くなった雨。それで濡れてしまったらしい。
「ごめん、服かしてくれないかな」
そう、申し訳なさそうに笑う苗木を見て、日向は選択を誤ったことを知った。

タオルとTシャツ。そしてジャージ。
それを手渡して数分後。それらを身につけた苗木が脱衣所からでてくる。
「…日向クン、おっきい」
少しだけ拗ねたような声で苗木は呟いた。
Tシャツはずるずる。ジャージはぶかぶか。そして、ぎゅっと絞った腰回り。一応とばかりに渡したジャージの上は手に持っていた。
日向は自分と苗木の体格差を目の当たりにして、そっと口元を抑えた。
本当の欲を抑えながら、笑みを浮かべる。
「っ笑わない!」
「いや、だってほら苗木」
緩みそうになる口元を隠すと、きっと上目遣いで苗木が叫ぶ。
なんといっても言い訳にしかならなそうだったので、日向はそのまま口を噤んだ。
くく、と漏れる笑いに「日向クン!」という声。それは日向の笑いが落ち着くまで続いた。

「…ごめんな」
「いいよもう、どうせボクは日向クンとかと比べるとちっさいんだから」
完全に拗ねてしまった苗木を宥めるように、声をかける。
そんなところにすら欲情しそうになる自身の堪え性の無さが憎い。
「笑わなくてもいいでしょ」
「悪かったって」
謝った後、暫くして苗木ははぁ、と息をついた。
「…ごめん、ちょっと八つ当たりだったかも」
呟いた声に、そうか、と生返事。
さっきとは違う理由でゆるりと緩む口元を再び手で抑えこむ。
八つ当たりされるということ。苗木の性格から考えるとそれは多分ある意味で特別扱いということだと思う。
どんな形であれ、苗木が自分を特別な相手だと思ってくれている。それがこんなにも嬉しい。
「ほら、話したいっていってただろ」
笑っているのがバレたらまた拗ねてしまうかもしれない。そんな懸念も含めて日向は表情を必死に作り上げた。
優しい友達。相談できる友達。それでいいと自分自身を騙すように。
本当はそれで我慢ができるはずがないと知っていても。
「…うん」
真剣そうな表情で苗木は頷いた。

話は、大体予想がついていたけれど狛枝のことだった。
狛枝が目覚めてからの日向の態度。
プログラム内で起こったことを鑑みれば不自然ではないが、日向創という人間を知るものなら頭を傾げるぐらいのそんな違和感。
話さないわけではない。行動だって共にすることもある。けれど、そこに流れる空気が違う。
何がおかしいと尋ねれば、口にはできないそれを皆一様に感じていたのだ。
「喧嘩でもしたの、って」
「…違う」
日向が勝手に距離を置いているだけだ。一緒にいるとどうしても苗木のことを思い出す。それで勝手に苛立ってるだけのこと。
苗木は多分、他の仲間から聞いたことを日向に伝えただけだ。けれどそれが日向の神経を逆撫でる。
結局、苗木は狛枝だけを見ているのだと思い知らされたようで。そうじゃないと頭では理解っていても、心が納得しない。
苗木の言葉の一つ一つが日向を煽る。
理由をいえれば。この思いを伝えてしまえば楽になるだろう。
けれど、それを伝える時ではない。今はまだ。
「皆、心配してたよ」
そうは思っていたけれど、苗木のそんな些細な言葉が胸を抉る。
皆が心配しているのは誰だ。
言葉を単純に考えるとそれは日向を指している。
だけど、日向にはそうは思えなかった。苗木は皆という言葉を借りて、日向を心配するふりをして、本当は狛枝の事を考えているのだと邪推してしまう。
ぐるぐると廻る嫉妬と苦い恋心。
それは、苗木が真実想う相手が狛枝凪斗ただ一人だというその事実を改めて日向へと突きつける。

「…それ、お前が気にしてることじゃないのか」
「え?」
少しばかり、というには誇張が過ぎる意趣返し。
いきなり話題の矛先が自分に向いたことで、苗木の表情が強張った。
「そんなことない」
「そんなことあるだろ」
「…なんでボクが」
「だってお前狛枝の事好きだろ」
核心をついた日向の言葉に苗木はぴたりと口を噤んで、それから俯く。
暫くの沈黙ののち、苗木は小さくぽつりと呟いた。
「…やっぱりばれちゃうかな?」
やっぱり、ということは何人かに指摘されたのだろう。思ってたよりもあっさりと認めたことに少しだけ驚いた。
決して苗木の態度がわかり易かったわけではない。寧ろ大分うまく隠せていたと思う。
日向が気付いたのは、それこそずっと苗木を見ていたからだ。苗木が狛枝を見るような、恋い慕う相手を見る目で。
それを言うわけにもいかなくて、日向は曖昧に口を歪めた。
「確かにボクは狛枝クンのこと、すきだよ。でもそれとこれとは関係ない」
苗木は真剣な眼差しでそう言い切った。
「嘘をつくなよ」
「嘘じゃないよ」
肩を掴んで顔を近づける。
触れたい、と思う。近くに香る苗木の体臭に、抑えていた欲が持ち上がる。
けれど、至近距離から見る苗木の大きな瞳。
そこには日向の切羽詰まった顔が映っていて、それが日向の理性を取り戻させた。
「わ、悪い」
日向は自分のしていた体勢に気付いて謝罪と共に身体を離した。
ぱ、と手まで離して上へあげる。
「大丈夫だよ」
にこ、と形だけの笑みを浮かべて苗木は呟く。
キスされるかと思った、と冗談めかしていう苗木の声は泣いているのかと思うほど震えていた。
今にも泣きそうな弱々しい表情。押したらすぐに倒れてしまいそうな脆さ。
それを見ていられなくて、さっきまで肩を掴んでいた手でぎゅっと抱きしめる。
初めて触れたその身体は思っていたよりもずっと日向の欲を煽る。さっきの欲の比ではない。
首筋の匂いとか、ぱさりとした髪の感触とか。日向よりずっと細く華奢な身体は、力を込めれば折れそうだ。
夢の中で何度も夢想したその身体がそこにある。何度も抱きしめて、何度も口付けて、何度も汚した
そんなことを考えている内に、仕舞い込んでいた、言おうとは思っていなかったはずの本音が口から滑り落ちていた。
「好きだ」
ふ、という息遣いが漏れる。苗木の表情は見えない。
「や、だな…日向クンじょう──」
「冗談じゃない」
否定をしようとしていただろう苗木の言葉に、言葉を被せる。
震える苗木の身体をもう一度ぎゅっと抱きしめて、耳元で囁く。
「苗木が、好きだ」
このまま、奪えたらどんなにいいだろう。敵わないならばいっその事。そんなことを考えなかったわけじゃない。
ああ、ずっと。プログラムから目覚めて、苗木に惹かれて。多分日向は考えていた。
こんな風に触れたかった。それがゆるされる唯一になりたかった。
そのために、何を傷つけたとしても。
認めたくなかった醜い執着と、育ちすぎた恋情に日向はただ目を覆っていた。
狛枝に近づかなかったのは、それもあったのだろう。今更そんなことを思った。
「苗木が狛枝を好きでもいい。…俺と」
それは真実と嘘が綯交ぜになった言葉。
自分だけを見て欲しい。自分だけを選んでほしい。そう思いながらそれが敵わないと知っている、そんな諦めの言葉。
少しだけ腕を緩めて真正面で向かい合う。そこに浮かんでいたのは困惑の色だった。
見つめ合う中で、苗木がゆるく首をふる。そして、悲しそうな顔でぽつりと呟いた。
「でもやっぱりだめだよ」
それだけ言って、苗木は俯いた。頭一つ分下にあるそれが伏せられているとその表情は日向にはわからない。
どれくらいの沈黙が流れただろう。長いようにも、短いようにも感じられたその静寂を切り裂いたのは苗木の放った一つの言弾だった。
「ボクは狛枝クンがすきだよ。彼が受け入れてくれなくても」
強い決意の篭った言葉には隙がない。それでも日向はどこかに傷がないかと言の刃でそれを断ち切る。
「それでもいいっていっても?」
一番でなくてもいい。ただ苗木の特別になりたい。
本当に望むのは苗木の唯一だけれども、それは絶対に無理だと理解っているから。
「…それでも、ダメかな」
ようやく苗木が顔をあげる。笑顔で告げられたのは完全な拒絶だった。
「日向クン優しいから。ボク好きになっちゃうかもしれない」
くすくす、と笑う苗木に日向は冗談はよしてくれ、と呟いた。本気にとってしまいそうで、困る。
日向の想いを苗木は手に握っている。それをどうするかも苗木次第だった。
そんな状況でもやっぱり苗木のことが好きだと日向は思う。惚れた弱みにしても
「…でもね、狛枝クン怒ったら怖いんだよ?記憶戻ったときに、ボクが日向クンといっっしょにいたら約束したでしょ?って怒られちゃう」
「苗木、あいつの」
「…ううん、狛枝クンにはあの頃の記憶は【ない】んだよ。だからボクのことも【忘れてる】んだ」
そういう苗木の目は、とても澄んだ色だった。
そこで日向は知る。苗木は全部わかって、それでも尚待っていることを。
敵うはずがない。だって、苗木の想いはまだそこにある。
全てを包んでゆるす強さがそこにはあった。
「だから、ボクはまってなくちゃいけない。狛枝クンが、ボクのとこにきてくれるのを」
そういって、笑った苗木の笑顔をみて、やっぱり好きだ、と思う。
だけど、それを笑って見られる余裕が多分今、うまれた。
笑っていてほしい。それが誰のための笑顔であっても、それを見ていられたら多分満足できるだろう。
狛枝に負けたんじゃない。苗木の狛枝を想う心に負けたんだ、なんて。
くさすぎることを小さく呟いて、一つ心の中だけで決めた。
一番綺麗な苗木の笑顔が見れるのは、かなり癪だけど狛枝の前だということを思い知らされたから。




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