苗木誠は夢をみる。
目覚めた後。その内容は殆ど覚えていないのだけれども、不思議と同じ夢だと誠は知っていた。
それを唯一の家族に話すと、彼はいつも楽しそうに笑うのだ。
「気になるの?」
うん、と頷いても彼はやっぱり笑うだけだ。ただの夢でしょう。そんなふうに彼が笑うから、誠もそう思った。
いつだって優しく誠を愛してくれる彼は、いつだって正しいし誠に嘘をついたことはないのだから。
何より誰より近くにいる彼が『ただの夢』だというのなら、きっとそれが正しいのだ。
けれど、十五の誕生日を迎えてからというもの、夢に対する思いは少しずつ形を変えていった。
たまにしか見なかったはずなのに、今では眠りにつくと毎日のように夢に見る。
あんなに覚えていられなかったはずの夢なのに、目覚めた後でも夢の内容が頭の中に残っている。
それは、夢のカケラが少しずつ誠の中へ積もっていくような小さな小さな変化ではあったけれど。
例えば、夜の中で光る赤い目。
例えば、約束だよ、と呟く誰かの声。
例えば、治ったはずの傷痕から流れる赤い血。
例えば、恐ろしいほど優しく触れてくる冷たい指。
例えば。例えば。例えば。例えば ──。
ぞっとした。怖かった。
それはいやに生々しくて、目覚めはいつでも悪かった。
眠ることが怖くなった。眠れなくなった。
家族である彼に言おうとは思ったけれど、言えなかった。
小さな頃ならいざしらず、夢を見て怖いから眠れない、なんて今の誠は口に出せなかったのだ。
けれど、日毎夜毎に増えていく夢の記憶が誠は怖くて眠れぬ夜を過ごすことを選んだ。
その結果、当然のことだけれど誠は寝不足で倒れたのだった。
「……誠クン?」
目覚めた誠の目に映ったのは、唯一の家族 ── 狛枝凪斗だった。
怒っているような、心配するようなそんな彼を見た瞬間。誠は身体を起こし、その手を握る。その確かな温もりを感じた後、ほうっと息をついて小さく笑顔を浮かべ、そしてその頬にすうっと一筋涙を伝わせた。
まさかそこで笑顔を浮かべるとは思っていなかったのだろう、凪斗はそんな誠をみて慌てたように誠の身体をそのまま引き寄せて抱きしめた。
「……びっくりしたよ、倒れたって聞いたから」
優しく言葉を紡ぐ凪斗に、誠はただ身体を委ねた。握る手から、抱きしめられた身体から感じる温かさに安心する。
何も言わず目を閉じている誠に凪斗は尚も言葉を連ねた。
「お兄ちゃん失格だね、ボクは。誠クンがこんなになるまで気付かなかったなんて」
ごめんね、と凪斗は呟く。
夢の中身を凪斗は知らない。だから誠が眠らない夜を過ごすわけも知らないのだ。
それなのに、全てが自分のせいだというように謝る凪斗を誠は見ていられなかった。
「……夢をね、見るの」
「夢?」
誠は全部話した。幼い頃から見る夢を。今になって変わったことを。
それを凪斗は時に相槌を打ちながら、それでも茶化すことなくただ聞いていた。
最後まで話を聞いた後、凪斗はぽつりと小さく呟いた。
「……一緒に寝ようか」
「凪斗クン?」
「ボクがずっと抱きしめててあげるよ、もし夢を見ちゃっても起きたらボクが傍にいる」
大丈夫だよ。ボクが誠クンを守ってあげる。
そういって凪斗は優しく笑った。ぎゅうと抱きしめる腕は優しくて、誠はうん、と小さく呟いた。
疑いはしない。凪斗が大丈夫、といって大丈夫でなかったことなんてなかったのだから。
だからゆっくりお休み、とそう言った言葉に従って誠はもう一度ゆるゆると瞳を閉じた。
それからも眠りにつけば夢をみた。
それでも、目覚めればそこには凪斗がぎゅっと抱きしめていてくれたし、時には優しく「大丈夫だよ」と声を掛けてくれた。
まるで意志を持っているようなその夢は怖かったけれど、それでも凪斗がそこにいるから誠は眠ることを恐れなくなった。
大丈夫。何があってもきっと、凪斗クンが守ってくれる。
今までもそうだった。だから、きっと平気。
盲目的なまでに誠は凪斗を信頼している。それは凪斗からの絶対的な愛情が疑いようのないものだからこそだった。
それは、ずっとずっと幼い頃からのことで、誠にとっての当たり前だった。
何があっても変わらない ── それが、苗木誠と狛枝凪斗の距離だったのだ。
誠の十六の誕生日。
友人たちからの誘いも断って、誠は走って家へと帰った。
今朝の夢で見た、じゃあ、十六歳まで待ってるから ── という言葉が恐ろしかったこともある。
けれど、何より誠は誕生日を誰より大切な家族である凪斗と一緒に過ごしたかったのだ。
「ただいま」
「おかえり、誠クン」
いつものように、凪斗は笑顔で誠を出迎えてくれる。
それはいつだって変わらない誠の日常だった。
たまには家の外に出ればいいのに、と誠は言ったけれど凪斗は肌が弱いらしく太陽の光が苦手だといって日中出歩くことは殆ど無かった。
殆ど、というのは誠と一緒の時はそれなりに外出するからだ。
肌の白さから太陽の光が苦手というのは事実だろうが、外出しないのは、意外と物臭なところのある凪斗の性格的なものだろうと気付いてから無理強いするのはやめた。
何をしているのか詳しくは知らないけれど、凪斗はお金持ちだ。この若さで高校生男子を一人養うことができるぐらいには。
夕食を食べて、ケーキも食べて。
凪斗が入浴している間に、誠は一足先に寝室へと向かった。
いつもの同じように、部屋に戻ってベッドに横になる。
凪斗と一緒に寝るようになって、もう一年近くが経ったのだ、と改めて思う。
夢はやはり怖い。たかが夢、と思えなくなるほど現実味を帯びたそれらは誠の心に暗い影を落とす。
今朝の夢が真実だというのなら、今日、何かあるのだろうか。
ぞく、と背筋が泡立って、誠はもそり、と毛布の中に潜り込んだ。
はやく、凪斗の顔が見たかった。
あの優しい笑顔でいつものように「誠クン、大丈夫だよ」と言って欲しかった。
時間が経つのがいやに遅い気がする。自分で凪斗の所まで行けばいいとは思うのに、どうしてか身体が動かない。
心臓の音が煩い。首と腕、背中と指に残った傷痕に感じないはずの痛みが蘇る。
(なぎと、くん)
がしゃん、という音と共に電気が消えた。ひっ、と息をのんで誠はますます身体を縮こませる。
暗い所が嫌いだった。一人が嫌いだった。
家族を喪ったあの日のことを思い出すから。
ずっと考えないようにしていたあの時のことを、本当は誠は殆ど覚えてなかった。
それでも覚えている幾つかの事 ── 暗い所で触れた誰かの手の感触、呼んでも返らない言葉は考えるだけで痛くて苦しくて。
思い出さないように封じていた記憶の扉をするすると開いていく。それは多分ずっと見ていたあの夢のこと。
そして、ぼうっと掠れていく意識の中で誠は誰かの声をきいた。
「……、誠クン」
「なぎと、くん?」
どれくらいの時が経ったのだろうか。気がつけば電気は付いていて、傍には凪斗がいた。
その髪はまだ水気を含んでいて、多分慌ててここへと来てくれたのだろう。
凪斗は誠が暗い場所が嫌いなことも、一人になることを恐れることもよくしっている。
だからだろう、その緑灰色の瞳にはただただ誠を案じる色が浮かんでいた。
「……大丈夫?」
「うん、へいき……」
ベッドに座って誠は凪斗が作ってくれたホットミルクを飲んでいた。
蜂蜜のたくさん入ったそれは、幼い頃から好きだった味の一つだ。
飲み終えたカップをベッド脇の机に置いて、誠はぽすんと凪斗の身体に体重をかける。
そんな誠を凪斗は笑顔でぎゅうと抱きしめた。
ぎゅうぎゅうと抱きしめる凪斗の腕の中で、誠はじわりとさっきのことを思い出す。
「……怖いの?」
「え?あ、……うん、ちょっと、ね」
口に出してもいいのだろうか。躊躇う素振りを見せる誠に凪斗はただ微笑んだ。
目が語る。隠し事はなしだよね。その強い視線に逆らうことなどできなくて、少しの逡巡のあと、誠はぽつりと呟いた。
「凪斗クン、」
あの悪夢のような日。その時に聞いた声。
返らない声、冷たい手の感触。
そして、あの日から繰り返される夢と、新しく始まった日常。
優しいそれに誠はただ流されていたのだけれど。
「……約束って、言ったの……凪斗クン、だよね……?」
何より近しい人の声。他の誰を覚えていなくても、誠が凪斗の声を聞き違えるはずがない。
それでも気付かなかったのは、人は見たいものを見て、聞きたいことを聞くからだ。
あの夢の中に、凪斗が出てくるなんて多分誠は望んでいなかった。
「……ねぇ、凪斗クン、凪斗クンは」
「誠クン」
問いかけようとする誠の声を遮って、優しい笑顔を浮かべた。
それはいつもの笑顔とはどこか違って見えて、誠は無意識のうちにそっと身体を後ろへ逸らす
「逃げちゃダメだよ、だって誠クンはボクのお嫁さんなんだから」
逃げ腰になった誠の身体を強く抱いて、凪斗はそっと耳元で囁いた。
そして、呆然としている誠の額に口付ける。
「……は?」
お嫁さん?お嫁さんって何?
さっきまでの深刻さは霧消し、誠の頭は凪斗の言った「誠クンはボクのお嫁さん」という言葉でいっぱいになっていた。
「ボク男だからお嫁さんにはなれないよ?!」
「あ、誠クンじゃあ女の子だったらお嫁さんになってくれるってことだよね。嬉しいなぁ、嬉しいなぁ」
にこにこと笑う凪斗に誠はぶんぶんと大きく首をふる。
「っじゃなくって!」
「だって誠クン、大きくなったらなぎとおにーちゃんのお嫁さんになるっていってたじゃない」
「それはもう忘れて!」
過去の黒歴史まで引っ張りだされて、誠の顔は真っ赤に染まる。
幼稚園とかそのぐらいの言葉なんて、子供の可愛い戯言ですませておいてほしい。
うーうー、と唸りながら頭を抱え込む誠の頭をそっと撫でて、凪斗は呟く。
「その時から、ボクは誠クンをお嫁さんにしようって決めてたんだ」
あまりにも嬉しそうなその響きに、誠は言い返す言葉がなかった。
完全に凪斗のペース。それも多分いつものことだった。
「あのね、誠クン。ボクは吸血鬼なんだ」
「……は?」
二度目の衝撃。お嫁さんよりは、心を抉らないけれど、それでも結構なダメージだ。
誠の頭はもう考えることを放棄した。凪斗クンがそう言ってるのなら、多分そうなんだろう。
「だから、誠クンが大きくなるのを待ってたんだ」
にこにことしながら、それ、と凪斗は誠の左薬指を指さす。
「それが指輪の代わり。誠クンに首の痕とそれ、あと小指に糸付けてるからね。誠クンはボクのものってこと」
左薬指の根本から第二関節まである、まるで何かが巻きついたような赤い痣。
そして、凪斗のいうことが本当ならば、首にある痣も小指にある赤い痕も全て凪斗が付けたということだ。
糸、ということはこの先には何かが繋がっているのだろうか。
それは確かな所有痕。苗木誠の所有権を主張する、凪斗の独占欲の顕れ。
「……」
「本当はちゃんと待とうと思ったんだよ。もっと普通に、ボクの正体を明かして、キミに選んで欲しかった」
そこまで言って、凪斗はぎゅっと眉間に皺を寄せる。
少しだけ、間をとって凪斗は小さく呟いた。
「でも、あの事故が起きた」
誠が十歳の時、家族旅行に行く途中のことだった。
走っていた苗木家の車に普通車が尋常でないスピードで突っ込んできた。
それに押し出された苗木家の車はガードレールを突き破り七メートル程下を流れている川へと落ちた。
冬の夜だった。月は空にあったけれど、雲が多くて暗い夜だった。
事故を引き起こした普通車の運転手はそのまま逃げ、暫くしてから飲酒運転で捕まった。
その翌朝、破れたガードレールから事故が発覚した。
「あの時、生き残ったのは誠クンだけだった。それは確かだよ」
崖の下から発見されたのは、家族三人の遺体と重症を負った子供一人。
その子供が誠だった。
出来れば思い出したくなかった記憶を思い起こしながら、誠は凪斗の声を聞いていた。
「……でもね、誠クンはボクを呼んだんだ」
「呼んだ……?」
「うん、生きたいって死にたくないってキミは言った」
多分、覚えてないと思うけど。
そういって、凪斗は小さく笑った。
「だからボクはキミにいったんだ」
十六までは生かしてあげられる。だけどその後のキミを全部ボクに頂戴。
これから辛く悲しいことが沢山あると思うけど、その全てからボクがきっと守るから。
だから、ボクのものになって。
「約束、って」
「多分、ね。……ボクもキミを失いたくなかった」
凪斗は抱きしめる腕に力を込める。
「キミが夢を怖がるのは、ボクを怖がってるからだとおもったら何も言えなかった……それでも、もうこれ以上引き伸ばせないんだ」
ねぇ誠クン、これはボクの勝手かもしれない。
でも手放してあげられないんだ、ごめんね。
そう呟いて、凪斗は誠の首筋に顔を埋めた。
首筋に息が掛かる。はぁ、と熱ささえ感じるそれに妙な既視感を覚えて誠はぎゅっと目を閉じた。
「っあ、」
感じたのは、熱さと痛み。そして何かが入ってくる感触とよくわからない ── 感じたことのない何か。
凪斗の抱きしめる腕に更に力が篭る。くらくらとするような感覚は貧血にも似ていた。
ああ、血を吸われてるんだな。そんな冷静な判断を下す自分もいて、少しだけ驚く。
視界の中に入る凪斗の瞳は赤く、まるで血のようだ。いつもの優しい色はそこにはない。
(本当に吸血鬼なんだ)
ぼんやりと考えながら、誠はされるがままに凪斗へと身体を委ねていた。
啜り、溢れてしまった血を舐めて、そして最後にちゅっと口づけを落とした後、凪斗の唇は誠から離れた。
「やっぱり、誠クンの血凄く美味しい……甘くて、」
うっとりするように呟いて、凪斗は真紅に染まった瞳を誠へ向ける。
「怖い?」
少しだけ遠慮がちに呟いて、凪斗は笑う。そんな凪斗に誠はただ首を二三、横に振った。
凪斗が吸血鬼だということを疑ってはいない。実際血を飲まれたし、日頃は緑灰色の瞳が今はまるで血のように赤い。
先程までの恐怖などもうとうに飛んでいた。夢は怖かったけれど、その正体が凪斗だと知った今何を怖がることがあるというのか。寧ろほっとしたぐらいだ。
人間ではない存在だと知った今でも、凪斗に対する思いは変わらない。
一人の兄であり親であり慈しんでくれるたった一人の大切な家族。
吸血鬼だから、と今までのことが変わるわけではない。彼に対する感情が今更変わることはない。
だからきっと、そんな事実など些末事だ。苗木誠にとっての狛枝凪斗は、そういう存在だった。
「よかった」
本当に嬉しそうに凪斗は笑った。それにつられるようにして誠も笑う。
その瞬間にぐるんと視界が反転する。気がつけば、凪斗の肩越しに天井が見えていた。
「なぎと、くん?」
「ねぇ、誠クン。もう選ばせてはあげられないけど」
多分これは押し倒されてるのではないだろうか。凪斗の目に浮かぶ情欲の色をなんとなく直視できなくて誠はそっと目を逸らす。
力を込めようと思っても先程の吸血のせいか、うまく力が入らない。抵抗する気なんてなかったけれど、今の体勢はどうにもそういうものを想起させるから。
凪斗の思いを誠は知っていた。好きだよ、愛してる。口癖のように囁くその言葉が本物だと凪斗は隠そうともしなかった。
けれど、凪斗は何も求めて来なかった。欲の滲んだ視線を向けることもそういう熱をもって触れることもあったけれど、決して誠を無理に奪おうとはしなかった。
それも、今になって思えば凪斗自身が決めた枷だったのかもしれない。十六の誕生日が約束の日。それを凪斗は律儀に守っていたのだろう。
けれど、今の凪斗はいつもの彼とは違う。枷を解かれた獣のような荒い光を瞳に宿して、ただ誠だけを見つめていた。
二者択一ですらない。
誠がどう答えたとて、凪斗はもう決めているのだ。
だから、本当は誠への問いなどいらなかった。無理やりにでも奪えばよかった。
それでも、凪斗はゆるしを求めるようにこうやって誠へと問いかける。
凪斗が本当に望むもの。それを誠は知っている。
伏せた目を上げ、真正面から凪斗の顔をみつめる。
欲の滲む真紅の瞳。上気していつもより赤く染まった白い肌。
それはいつもとは違うけれど、でも確かに誠のよく知る狛枝凪斗の姿だった。
その欲を、思いをはじめて正面から受け止めて、誠は凪斗の首へと腕をまわす。
それが言葉より何より雄弁な答だった。
ぷつり、とどこかで何かが切れた音がした気がする。
けれど、そんなものを考えている暇さえ惜しくて凪斗は誠の首筋に再び顔を埋めた。
白い首筋に残る傷痕と、そこから流れる赤い血液。
どんな高級な酒よりもずっと凪斗を深い酩酊へと誘いこむ。
甘ささえ感じるそれを舌で舐めとると腕の中で誠の身体がびくりと跳ねた。
「ちから、ぬいて」
そう呟いて凪斗は牙を誠の首筋へと埋めていく。小さな甘い声が漏れる。そこに微かな欲の色が混ざっているのを凪斗は確かに聞いた。
吸血鬼の体液には麻酔のような効果があるという。
血液の凝固を防ぐ他、筋力の弛緩、痛みの緩和などといったそれは、捕食に非常に適していた。
更に付け加えると、催淫の効果もあるというのだから、なんとも都合のいいものだ。
誠の変化はそのためだろう。だけど、それでもいいと凪斗は思っていた。
その感情の中身がどうであれ、誠が凪斗を求めてくれたのは確かな事実だ。
ずっとずっと求めてきた自分より小さなその身体が今この腕の中にある。
それら全てが、凪斗の欲を煽り肥大する。
ごめんね、と心の中で呟いた。今の凪斗には加減してやれる自信など全くなかったからだ。
結果をいえば、やはり加減などできなかった。心に大きな罪悪感が湧き上がる。
欲の赴くまま誠の血液を吸ってしまい、くたりと反応がなくなったところで凪斗はやっと気付いた。
ごめんね、と一言呟いてその身体をぎゅっと抱きしめる。
まだ誠は人間だ。一応、ではあるけれど。
本来ならば六年前、誠は死んでいたはずだった。そうならなかったのは、凪斗が少しの工作を行ったからだった。
時を停めたくはなかったから、血は吸わなかった。けれど、生きていて欲しかったから自分の命を与えた。
記憶を消して、操作して。凪斗は誠の家族になった。真実は真実のまま。そこに都合のいい記憶を組み入れていく。
人は見たいものを見て、聞きたいものを聞く。少しの違和感などきっと気付かない。それを凪斗は知っていた。
そうして凪斗は誠を手に入れた。
それは一方的な誓約だったから。誠が覚えていて、夢に見ていたのが少しだけ嬉しかった。
だけど十年は長かったかな、と心の中でひっそりと思う。
十年前、凪斗は誠をみつけた。理屈じゃなくて引き寄せられた。
ただ欲しいと思って、傍にいた。とられたくないからこそ、目印を付けた。面白いことになるかもしれない。ただそれだけだった。
十六まで待とう。それまでに多分飽きるだろう。そうなったら殺してしまってもいいし、そうでなくても誓約を解けばいいだけだ。簡単なこと。そう思っていた。
けれど、その予想が間違っていたのだと気付かされた。飽きるだろうと思っていたのに、予想に反して凪斗は誠へといつしか囚われていた。
その瞳や心が眩しくて、どんなに望んでも触れることも近づくこともできない存在に似ていたからかもしれない。
ひとつ知るごとに、凪斗の誠への思いは大きくなった。
本気で誠を伴侶へと迎えようと思ったけれど、十六までと自身で定めた枷がその邪魔をした。
誠の血はその時まで吸えないし、身体を暴くこともできやしない。
寝ている誠の身体に触れたことはあったけれど。舐めるだけ、触れるだけ。それに対応した夢を誠が見ていたことはなんとなく嬉しかった。
指折り数えて待った誠の十六の誕生日。はじめて吸ったその血は今迄口にしたなによりも凪斗を満たした。
甘く深い味わいは、それ以外のものを口にはできないだろうと思えるほどのもので。
もう生涯誠を手放すきはないから他のものを口にすることなどもうないだろうけれど。
誠はまだ目覚めない。
目覚めた時に誠は何を思うのだろう。
「……なんていったって、手放す気なんて、ないけどね」
呟いてうっそりと笑う。
契約を交わして、そうして誠自身を貰おう。
もう人としての常識なんて関係ないから、朝も昼も関係なく誠自身を食らってしまおう。
そして何より誰より幸せにしよう。たった一人、やっと手に入れた自分の花嫁を大切に大切に守っていこう。
「はやく、起きないかな」
ねぇ、誠クン?
誠が目覚めてからのことを頭の中に思い描きながら、ただただ幸せそうに凪斗は笑っていた。
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