苗木の眼前に並ぶ一五の機械。その中で眠り続ける皆の顔はとても安らかに見える。
五〇日間のプログラムも明日で終わりだ。経過を見る限り異常はないようだし、しっかりと希望のカケラも集めていたようなので余程のイレギュラーがない限りは皆無事に卒業できるだろう。
喜ぶべきことだ。卒業。それはつまり、苗木にとって一つ上の学年である七七期生が、無事にこちらへ戻ってくるということなのだから。
未来機関は彼等を絶望の残党と呼び処分したがっていたようだが、苗木はそれを受け入れる事ができなかった。だからこそ、この新世界プログラムの実施へと踏み切った。そのはずだった。
けれど、本当に良かったのか、という懸念はずっと胸にある。
明日、彼等は同級生たちと作り上げた抱えきれないほどの想い出を胸に目覚めるだろう。
けれど、絶望であった時の記憶を、そしてそれ以前の希望ヶ峰学園の生活に関する記憶を失うことが、本当に正しいことなのか。
あの時の決断が間違っていたとは思わない。過激派と呼ばれる未来機関の一派は、彼等の処理の為の手続きを既に終えていたというのだから。
ぎりぎりの行動だった。選択やタイミング。きっとどれか一つでも歯車が狂っていれば、彼等は今存在しないだろう。
それでも、苗木は開き直ることができない。そんな苗木を同じ一四支部の皆は甘いと一言でばっさりと切り捨てていたけれど。
それが出来ない一番の理由は、多分苗木自身のためだった。彼等を救いたいというよりも、苗木自身が傷付きたくなかっただけだ。
つまりは、覚えている彼等がいなくなること。それが悲しくて、寂しい、ということだった。
同じ希望ヶ峰学園の生徒であった彼等とは、一つ上とはいえそれなりに交流を持っていた。
同じような低身長からかやたらと構い倒してくれた(今の西園寺は苗木の身長よりもずっと高いが九頭龍は相変わらずだ)、西園寺や九頭龍。少しばかりやりすぎる、そんな二人を諌めてくれた小泉や辺古山。
一度クラスの飼育委員になった時に指導をしてくれた田中。その時に出逢ったソニアと左右田。三人の掛け合いはプログラムの中でも変わらなかったから、それがとても嬉しかった。
小さな怪我が多かったからか、何故か遭遇することの多かった罪木。いつも楽しく出逢った時には声をかけてくれた澪田。
芯が強そうな目をしていると褒めてくれた弐大。それを受けて、終里が勝負をしようと言った時はどうしようかと思ったけれど。
時々、特別メニューといって昼食を出していた花村。下ネタだらけの発言は頂けないけれど、彼の料理は本当に美味しかった。
詐欺師の彼は結局本当の名前を聞くことは出来なかったけれど、彼の本質がとても優しい人だということは知っている。
本科生と予備学科生という境はあったけれど、実は一度二度日向と逢ったことがあった。だからこそ、未来機関で逢った時には色々な意味で驚いたのだけれども。
彼等が忘れたとしても、苗木はその思い出を抱え続けていくと決めていた。
確かに、そこに彼等がいたことをなかったことにはしたくなかった。
きっとこれから先も、開き直ることなどできないだろう。彼等が生きていることを喜びながら、ずっと悩んでいくのだ。
そして──
そっと苗木は機械の一つに触れる。
その人は、静かに瞼を閉じて眠っていた。
その寝顔を見ていると、それ程遠くない、仕舞っていたはずの過去が次々と蘇ってくる。
優しい顔で笑う人だった。触れ合うことが好きな人だった。でもいつも不安を抱いている人だった。
結構我儘な人だった。自分の信じるものがちゃんとあって、それを大事にしている人だった。それがもとで喧嘩をすることもあったけれど。
大切に扱ってくれる人だった。最初はまるで壊れ物を扱うようなものだったから、直接抗議をしたこともあった気がする。
大事にされていた、痛いくらいにわかっていた。
大切な人だった。大事な人だった。
──大好きな人だった。
「…っ」
ぼろり、と涙が機械の表面に落ちる。
「…泣くのは、今日がさいご、だから」
落ちた涙を袖で拭って、自分に言い聞かせるように小さく呟く。
明日でプログラムは終わる。目覚めた彼はもう苗木の知る狛枝凪斗ではない。
苗木の好きになった、苗木を愛してくれた狛枝はもう存在しないのだ。
眠り続ける彼をみながら、プログラム内で笑う彼をみながら、生きていてくれればいいとそう思ったのは嘘ではない。
明日、笑えるだろうか、とふと思う。
自分を忘れた彼をみて。「はじめまして」と笑顔で言えるだろうか。
手を繋ぐことはもう諦めた。彼は生まれ変わるのだ。自分はその手助けができればいい。そう思わなければならない。
そして、明日。
仲間との楽しく優しい思い出を両手に抱えて目覚めた彼は、笑ってくれるだろうか。
あの頃のように、優しく笑う彼が見ることができればそれでいいと思う──たとえその目に自分が映っていなかったとしても。
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