寮に戻りたくないだろう、そう思ったのか、カムクラは学園の外へと苗木を連れだした。
どこにいくと口にしないまま、コンビニに寄り、暫く歩いた。
ゆっくりとした歩みは、多分痛みのせいだろう。しかし、カムクラはそんなことを尾首にも出さず涼しい顔をしている。
ぼそり、呟く。
「意地っ張り」
「何か言いましたか」
「なんにも!」
聞こえていたのか。それとも気にしているから気付いたのだろうか。じろり、とカムクラが視線だけをこちらに向ける。
それがどうにももやもやした。
そして、また暫く歩いた後。
「ここが僕の家です」
着いたのはカムクラの言ったとおり彼自身の家だった。
「……」
正直にいうと、カムクラには一軒家というイメージがなかった。高級マンションの一室、と言われたほうがまだ納得がいく。
目の前の、二階建の家。
「大きいね」
「普通じゃないですか」
どうぞ、とカムクラが扉を開いた。おじゃまします、そう呟いて苗木は室内へと入る。
家の中はしんとしていた。カムクラは希望ヶ峰学園の寮に入っている。父と母は現在遠くにいるときいた。
とすると、今はここには誰も住んでいないのだろうか。しかし、それなりに生活臭がする。
「……いつもは誰かいるの?」
「創が」
苗木の質問に、カムクラは簡潔に答えた。
手摺を掴んで階段を登ろうとするが、やはり、脇腹が痛いのだろう。カムクラは一歩上がる度、ゆっくりと息を吐きだす。
「大丈夫?」
平静を装うカムクラをみて、今迄は黙っていたけれど、もうみていられなくて、思わず苗木は口を出した。
「肩、かそうか?」
「必要、ありません」
親切心はばっさりと一言で切り捨てられた。
「……」
先程まで抱いていた、気遣いの心がぱん、とはじけ飛ぶ。
ぐっと眉を寄せて、苗木はその肩の下へと自身の身体を滑り込ませた。
苗木の肩をかりているような体勢になったカムクラは、思わずその名前を呼んだ。
「まこと」
「ぼくが、やりたいから、やってるの!」
カムクラの声に、苗木は吠える。
顔もみないで、カムクラの身体を支えると、隣から、ふ、と息をつく音が聞こえた。
「ありがとうございます」
観念したのだろうか。思ってもいないなかったカムクラの礼の言葉に、苗木はちらりとその顔をみる。
いつもと変わらぬ表情だ。
「そこ──こっちです」
カムクラは、階段の上、廊下の先に向かいあわせになっている扉の一つを指さした。
ふ、と何かを感じる。既視感。どうだろう。どこかで、こんなところを見た気がする。
「どうかしましたか」
苗木の様子をみて、カムクラが声を掛けた。静かなその声に、苗木は首を振る。
「ううん」
そんな返答にも特に反応せずに、カムクラは部屋の扉をあけた。
モノトーンの部屋。机と、ベッドと。クローゼット。カムクラの、寮の部屋と同じ、簡素な部屋。
あまり物に執着をしないのだろう。最低限のものしかない彼の部屋は寮もここも、人の気配が薄い。
ぼんやり、と苗木が部屋を見ていると、カムクラは、誠、と苗木の名前を呼んだ。
まっすぐに見つめるカムクラの瞳と視線があう。無表情に見えるけれど、その目の中に見える心配そうな色に気付いて、苗木は小さく微笑んだ。
「なんでもないよ」
そういった苗木に、カムクラは、視線を暫し彷徨わせはじめる。何か考えているのだろうと、苗木は同じようにカムクラから視線をはずした。
「さっき」
ぽつり、とカムクラが呟く。その声に、反応して、苗木はカムクラへと視線を向けた。
「え?」
一瞬、視線が絡んだかと思うと、ふい、とカムクラは視線を外した。
「……いえ、なんでもありません」
それだけいって、テーブルの向こう側へと腰を下ろす。
「誠も座って下さい」
よくわからない、のはいつものことかな。と苗木はカムクラの言うとおりに腰を下ろした。
きょろきょろ、と周りを眺めていると、カムクラは苦しげに息を漏らしていることに気付く。
「おなか」
「はい?」
「おなか、見せて」
「貴女は痴女ですか」
腹を見せろと強請る苗木に小さく笑って、カムクラは、冗談めかしてそういった。
心配してるのに、と少しだけ腹が立つ。
「違う!手当!」
「必要ありません、自分で出来ます。貴女がするより──」
「みせて、」
「だから」
「みせて」
埒が明かない。そう思って、苗木は握りこぶしを作った。
「──本当に、創は碌なことを言わない」
そういって、カムクラは小さく息をつき、ワイシャツを捲り上げた。
腹部は、防御のためだろうか。固い何かを身に着けていた。
カムクラがそれを無言のまま外すと、その下には大きな痣のようなものができていた。
「わ……」
「触らないで下さいね、それなりに痛いんです」
思わず声が漏れる。そろりと伸ばした手を、カムクラは遠慮なく掴んで、力なく首を振る。
いつも余裕そうなカムクラから想像もつかない彼の姿に、今の彼の状態が常のものでないと鈍い鈍いといわれる苗木ですらすぐにわかった。
ぎゅっと、眉を寄せて苗木はカムクラを見上げる。
「それなりに、って」
「色は酷いけれど、思ってたよりは平気です──さっきの、湿布を下さい」
その言葉に、苗木は先程買ってきた湿布の箱を袋の中から取り出した。
湿布を出して、露になった腹部の変色した部分へと貼る。その瞬間、冷たさからか、痛みからか──きっとそのどちらも、だろう──カムクラが小さく顔を歪める。
それを痛々しげに見つめながら、苗木は続けて包帯を取り出した。
「そのまま、シャツ持ち上げててね。包帯巻いちゃうから」
「ええ」
あまり、きつくなく。でも、緩まないように。気をつけて苗木は包帯を巻いた。
くるくると丁寧に巻いていく苗木の姿をみて、カムクラは感心したように呟いた。
「意外と上手ですね」
「そうかな」
あまりカムクラに褒められたことがないものだから、少しだけ嬉しくなった。
「ええ、もっと不器用だと思ってました」
やっぱり、カムクラくんはカムクラくんだ。
そんなことを思って、苗木は小さく息をつく。
でも褒められたのは事実だから、やっぱり嬉しい。
包帯を巻き終わる。少しは痛みが楽になったのだろうか、顔つきが先程と比べたら大分柔らかくなっている。
その変化に安心して、ずっと苗木は訊きたかったことをやっと口にした。
「それにしてもさ」
苗木の声に、カムクラはそっと視線をそちらへと向ける。
「どうして、逃げなかったの」
「どうしてって、」
そんな苗木の質問に、カムクラは呆れたように、息をついた。
「逃げて欲しかったんですか」
「……カムクラくんが、傷つくぐらいなら」
だから、手紙を書いたのだ。カムクラの近くにいた一週間を全部失くすことになっても、自分を助けてくれる便りになるカムクラがいなくなったとしても。
それでも、苗木は助けたかった。
傍にいてくれるカムクライズルという苗木にとって一番の味方を失くしたとしても、カムクライズルという存在だけは、助けたかったのだ。
泣きそうになりながら、苗木は絞りだすように呟いた。カムクラは、小さく首を振って答える。
「時間を再構成させて、それでも尚貴女を助けられるという確証がありませんでしたから」
「それでも」
苗木の手に、カムクラはそっと触れた。反射的に苗木は顔を上げた──その瞬間、ひたりとカムクラの赤い瞳と視線が絡む。
逸らせない。そんな真剣な空気の中、真っ直ぐに、苗木を見つめたまま、カムクラは呟いた。
「……それでも、誠を助けたかった。それじゃあ答えになりませんか」
「ズルい」
ぽつり、呟く。顔が熱い。
「ズルいよ……」
そっと、視線を伏せて、苗木はもう一度呟く。その言葉にカムクラは、いつも通りの声で返事をした。
「なんとでも」


「ただいまー」
階下から、誰かの声がする。
「創が帰ってきましたね」
日向が帰ってきたらしい。よくよく考えて見れば、後処理を苗木もカムクラもほぼ全部日向に丸投げをして帰ってきたことになる。
さっきは苗木自身"はじまり"から帰ってきたばかりだったけれど、よく考えたら碌にお礼も言っていない。ちゃんとした説明なんかはカムクラがするだろうけれど、お礼はちゃんと言わなければならない。
「……ぼ、ぼくちょっとカムクラくんのかわりに下いってくるね!」
ば、と立ち上がり、苗木は階下へと下る。内心では丁度よかった、とほっとしていたことは内緒だ。
ぺちぺちと赤くなっているであろう頬を叩いて、苗木は日向の元へと向かった。

「苗木?」
階段を降りてきた苗木に、日向は目を丸くする。
「日向君、カムクラくんおなか痛いみたいで──」
「まあ、だろうな……」
説明をしようとした苗木に、日向は小さく笑った。その後、不思議そうな顔で、苗木を見つめる。
「それで、苗木は」
「手当、とえっと……」
「……」
「……」
どうして家に。多分、そんなことをきこうとしたのだろう。けれど、手当と、そのあと口ごもってしまった苗木に何かを察したのか、暫くの沈黙のあと、ああ、と一つ呟いた。
居た堪れなくなって、苗木は笑顔を浮かべ、ばっと頭を上げた。
「あの!カムクラくんの部屋、いく?」
説明を、そう日向が言っていたことを思い出して、苗木はそう尋ねた。
しかし日向は、一瞬真顔になって、はあ、と大きな溜息をついて、それから小さく笑う。
「日向君?」
「いや、また今度でいい。今日はあいつも苗木も疲れてるだろうしな」
どうせ、いつでも聞けるんだし。そういって笑う日向がとても良い人にみえた。いや、間違いなく日向は良い人なのだけれども。
そして、ぶつぶつと何かを呟いている日向に、苗木はようやく当初の目的を切り出した。
「……あのさ、」
「ん?」
「クッションとかないかな」
クッション?と不思議そうな顔で日向は頭を捻る。
「あるけど……あいつの部屋なかったか?」
「ううん、違うって……別のことに、使おうと思って」
わたわた、と手を振る苗木に、日向はもう一度首を捻った。
「違うこと?」
「えっと、説明すれば長くなるから──」
「じゃあ、それもまた今度一緒にきく」
ぽん、と日向は苗木の頭に手をおく。
にっと笑って日向は、苗木の要望に答えて教えてくれた。日向が出してくれたのは、クッションじゃなくて、座布団だったけれど、目的を考えればどちらにしても変わらない。
「じゃあ、俺飯食ってきたしもう部屋から出ないから」
ゆっくりしていけよ、そう笑って日向は自分の部屋の扉を閉めた。


再び、部屋に戻ると、カムクラはベッドにごろんと寝そべっていた。どうこういいながら、やはり辛いのだろう。苗木がそのベッドの脇に腰を下ろすと、カムクラは痛みに顔をしかめながらも身体を起こす。
「寝てたままでいいのに」
「礼儀の問題です」
強情だ。そんなことを考えていると、カムクラが、失礼なことを考えてませんか、とじろりとこちらを睨んだ。
「ねえ、カムクラくん」
「なんですか」
一つ、深呼吸をする。じっと、カムクラの赤い瞳を見つめて、絞りだすように、声を出した。
「今回はさ、大丈夫だったけど……これからも、こんなことないとは言い切れないよね」
「誠が呼べば、助けにいきますよ」
そんなカムクラの答えに、苗木は小さく首を横に振り、反論した。
「……起こってからじゃ、遅くない、かな」
「じゃあなんですか、僕はこれからも貴女の傍にずっといろと?」
微かに笑って、カムクラはそう言った。
「ダメ、かな……」
じっと、何かを訴えるかのようにカムクラを見つめる。
「誠?」
そう、カムクラは苗木の名を呼び、そして、暫くの沈黙の後、小さく息を漏らした。
「……貴女は『超高校級の不運』ですからね」
ゆっくりと、その表情を笑みで彩る。
「危なっかしくて、とても、放っておけるわけがない」
「本当?」
「嘘はつきません」
「じゃ、さ……」
一度目を伏せて、ぐ、と指を握り締める。
そして深い息を吐いた後、苗木は優しく微笑むカムクラへと、視線を戻した。
まっすぐに、見つめる、赤い瞳。そこに、自分が映っている。
「たいど、で、しめして」
それだけ、呟いて苗木は瞳を閉じる。
恥ずかしい。けれど、もう、動かない──動けない。
ただ、待っていた。長いような、短いような時間の中、目の前のカムクラの息遣いが一瞬止まる──そして小さな息遣いの後、動く気配がした。
心臓の音が痛い。顔も熱い。
それでも、苗木はただ瞳を閉じて待っていた。




おまけ。




「いたい……」
気がついたら、苗木は階段の下で倒れていた。座布団を大量に敷いていたけれど、階段を転がる過程で打ち付けた身体が痛い。
身体を起こすと、ゆっくりとカムクラが階段を降りてくるのが見えた。
「どうやら、怪我はなさそうですね」
階段を折りきったカムクラは、そういって笑い、苗木へと手を差し伸べた。
「誠、おかえりなさい」
その伸ばされた手を見て、苗木の心に何かがこみ上げてくる。
どうしようもないほどの想いを抱きながら、苗木はその手をとり、その顔に笑みを浮かべた。
「うん、ただいま!」




*