狛枝凪斗は幸せだった。
時計が壊れたり、窓から硬球が飛んできたり、やたらと人とぶつかったり…と、朝から続く不運が瑣末にしか感じられないほどには幸せだった。
(ああだって、放課後になれば苗木クンにあえる!)
勉強を教えてほしい、と愛しい恋人からメールが入っていた。どうやら今度のテストが気にかかるのだろう。
暇だったら、でいいんだけど。という控えめな文句はないものと同じだ。どんな用事が入ってようが狛枝にとって苗木以上に優先すべき事象などない。
そんな苗木に頼まれてどうして断れよう。
狛枝は満面の笑顔で承諾のメールを送った。ついでに、明日の予定まで取り付ける。
幸運なことに今日は金曜日。明日は休みだ。
今日の放課後から一緒に行動。一緒にごはん。一緒に部屋に戻って勉強を教えた後は、一緒に眠って、明日も一日一緒にいられる。
そんなスケジュールを頭の中で描いているうちに苗木からの返信が届く。その返事に思わず頬が緩んだ。
最近あまり二人の時間もとれなかったこともあって、狛枝は飢えていた。苗木が足りない。
そんな狛枝の様子をクラスメイトは遠巻きに見ていた。
狛枝の不運は、近くにいるものにも容赦なくふりかかる。大体は悪友として近くにいる日向や左右田へと振りかかる。
しかし、もはや無差別テロといっても過言ではないその幸運の代償は、どのような形で振りかかるかは誰にもわからない。同じ教室内にいる以上、絶対に大丈夫という保証はどこにもないのだ。
そして、狛枝の幸運の作用による不運が降りかかっても大丈夫だと言える豪胆なものは残念ながらこのクラスには存在しなかった。
つまりは、次に起こる不運はどのようなものか──七七期生一同の心は一致していた。
そんなクラスメイトのことなど、我関せずと狛枝は次の授業の準備をする。次がラストだ。ここまで乗り切れば、放課後だ。
そのあとには幸せな時間が待っている。
狛枝はただただ頬を緩ませながら授業、HRを過ごした。そして、終わるやいなや、すぐに教室を去る。
それを見ていたクラスメイトは自分たちが無事であったことを、感謝した──主に、あの厄介なクラスメイトの愛を一心に受ける一つ年下の『超高校級の幸運』へと。


「苗木クン」
狛枝はそこに来る前に七八期生の担任とすれ違った──つまりは教室のHRも丁度終わったようだ。
(うん、ほんっとボクってツイてるよね!)
躊躇いなくその教室の扉を開いて呼びかける。すぐ近くにいた男子生徒がややぎょっとした顔をした。
「あ、狛枝クン」
その扉が開いたことにか、それとも狛枝の声をききつけたのか。扉から離れた席に座っていた苗木は顔をあげて、ぱっと笑顔を浮かべた。
そして、クラスメイトたちに別れの挨拶をして狛枝のもとへと駆け寄ってくる。
「おつかれさま!ありがとう。でも、わざわざ迎えに来てくれなくてよかったのに…」
「お疲れ様、苗木クン。ボクが来たかったんだよ」
申し訳なさそうな苗木に、狛枝は優しく笑う。
一旦、苗木の部屋にいって荷物をまとめてから狛枝の部屋へ向かうことにした。
霧切さんがね、十神クンが。朝日奈さんがね、不二咲クンとね、日向クンがね、小泉先輩が──。
そんな近況を苗木が話して狛枝が相槌を打つ。
大抵二人でいるときには狛枝が話の主導権を握っているが、今日は最近あってなかったこともあり、苗木の話は尽きなかった。
そんな苗木を見ている狛枝が何を考えているかも知らず、苗木は狛枝の部屋につくまで嬉しそうに話し続けていた。

「やっぱり他のとこの寮にくるとドキドキするな」
「そうかな。ボクはもう苗木クンたちの寮も大分なれてきたよ」
各期生ごとにわかれた寮はその内装も配置も異なっている。
もう何度か来ていてなれてもいいはずなのにきょろ、と目を動かす苗木に、くすくすと狛枝が笑った。
「そうなの?ボクはまだなれないよ。やっぱり違うなって思うし」
笑われたことに、少しだけ拗ねたように苗木は呟く。それがまた可愛らしく映る。
「もう、狛枝クン…」
笑わないでよ!と苗木が上目遣いでいうと、狛枝は笑いながら生徒手帳を取り出した。
「ほら、ついたよ」
鍵を開けて、扉を開くと苗木はまだ拗ねたフリをしたように、「もう!」といって、それから笑った。
「おじゃまします」
「ただいま、でもいいんだよ?」
室内へと先に入った苗木に、狛枝は後ろから声をかけた。
言われた言葉に、苗木は顔を真っ赤にして振り返る。
「…狛枝クン、」
「なぁに?苗木クン」
振り返ったあと、苗木は狛枝の腕の中に抱き込まれていた。手の力が抜けて、持っていた荷物を全部そこへ落としてしまう。
ぎゅうぎゅうと抱きしめる腕の強さと、首筋に感じる息の荒さに、苗木はあれ、と思考を回転しはじめた。
「…ねぇ狛枝クン。ボク、勉強教えてほしいなっていったよね?」
「うん、そうだね」
「でもさ、あの…狛枝クン」
「うん、ごめんね、苗木クン」
にっこりと笑った狛枝は口先だけの謝罪のあと、苗木を抱き上げた。
そのまま向かった先は、狛枝のベッドだった。
狛枝は柔らかな布団の上に苗木をおろして、自分のブレザーとシャツを脱ぐ。
「こまえ」
「大丈夫だから」
にこり、と浮かべた瞳の奥は笑っていなくて、そのかわりに違う色がぐるりと渦巻いていた。苗木はどこで地雷を踏んでしまったのかを必死で考える。
そうしている間に狛枝は自分のシャツで苗木の腕をひとまとめに縛っていた。
「え、ちょっと狛枝クンねえ、」
苗木の言葉にも、狛枝は動じない。笑っていない笑顔を浮かべたまま、どこから取り出したのかわからない布で苗木の目を覆った。
そして、苗木のブレザーを脱がし、シャツのボタンをはずす。
腹にそっと触れた狛枝の冷えた指先に、苗木はぞくりと背筋を震わす。
視界が遮られ、狛枝の様子が見えないのがこわかった。目隠しをされる前にみた狛枝の目が全く笑ってなかったのも要因の一つである。
「ねえ狛枝クン、悪ふざけは──」
言いかけた言葉は、狛枝の唇に封じられた。
開いた口から捩じ込まれた舌は、いつもより荒々しく苗木の口内を蹂躙するように動いた。
歯列をなぞり、舌を弄び、奥まで伸びるその舌が与える感覚もいつもより強いようだった。
動きのせいか、視覚が遮られているせいか──それとも、他に理由があるのか。
それは苗木にはわからなかったが、とりあえず、狛枝の感情が通常でないことだけは、痛いくらいに実感していた。
「んっ」
するりと狛枝の指が苗木の胸を掠める。
「ひ…っ」
乳首の周りを狛枝の細い指が撫で、時折膨らんでもいない胸を揉む。
狛枝は胸を触るのが好きなのか、よくシャツの中から手を差し入れて悪戯している気がする。
何が楽しいのか、と尋ねたこともあるけれど、結局にっこり笑って教えてもらえなかった。
「ふっ…ふぅうううっ」
ゆるりと撫でる感触に苗木の声が漏れる。ちゅ、ちゅ、とこめかみや頬、額に触れる唇の感触と胸に与えられる快感。
苗木は声を抑えようとするが、手が塞がっているのでなかなかうまくいかない。
もどかしい程の感触が、苗木を煽る。
「っんん!」
大きくはねたのは、その指が苗木の乳首を摘んできゅっとひねったからだった。
押し潰し、ひねり、摘むという新たな、そして直接的な快感に苗木の頭は真っ白になりそうだった。
思えば狛枝との性行為も久々だ。もともと、あまり性に対して積極的でない苗木は自身を慰めることも殆どない。
最後にシタ時から、ご無沙汰だった性の快感に、苗木はただ揺さぶられる。
「かわいいね、苗木クン」
ちゅ、と胸元に触れる唇。狛枝が触れた箇所から広がるじんわりとした快感。
「胸弄っただけでこんなになっちゃうなんて、ふふふ、皆知らないよね」
かわいい、かわいい、と呟く狛枝はひたすらに苗木の胸を弄んでいた。
「ね、苗木クン結構興奮してるよね?乗り気だったりしないかな」
それは違うよ、といおうとした瞬間に苗木の唇は塞がれた。
与えられた快感に翻弄されているのは確かだけど、目隠しと拘束というややアブノーマルなプレイで興奮してるわけじゃないよ!と苗木は全力で否定したかったがそれはかなわなかった。
指で、唇で、舌で、掌で──。胸に与えられる快感だけで、苗木は、まだ触れられていない下半身が熱をもつのを感じていた。
「こんなにふにゃふにゃになってる苗木クンを知ってるのは、ボクだけだもんね──」
「ひゃっ」
ずるずると、制服のズボンが脱がされる。履いていたパンツも一緒に。
下半身が空気に晒されて、勃ち上がりかけていた性器が露わになる。
「狛枝クン!ズボンおろっ」
「嬉しいよ苗木クン。勃っちゃうぐらいかんじてくれてたんだね」
狛枝の嬉しそうな声をきいて、苗木は無性に恥ずかしくなった。
(みてるんだ、狛枝クンに、みられてるんだ)
何度も見られているけれども、それとこれとは別問題だと苗木は思う。裸を見られるのは恥ずかしいし、性器──しかも半勃ち状態の、だ──なんてもっと恥ずかしい。
目隠ししているのになぜだか狛枝の視線が自身に向けられているのがわかって、苗木はいつも以上の羞恥を感じていた。
「苗木クン見られてるの興奮するの?ほら、ちょっと──」
「ちがっ!」
狛枝の楽しそうな声に苗木は否定を返す。認めたくない。今は触れられてもいないのに。視線で、感じてる、なんて。見られて興奮するなんて。
苗木は真っ赤になった顔を縛られた腕で隠す。しかし、それを許さない、というように狛枝は苗木の腕を掴む。
「だめだよ、苗木クン。可愛い顔隠しちゃ」
ちゅ、と鼻先にキスを落として狛枝が笑ったような気がした。
狛枝は苗木をぐっと抱き上げると、後ろから抱きしめるようにしてそこに座り込む。
「ね、今日イケそうじゃないかな」
苗木の首筋に狛枝の吐息がかかる。それにまた体が熱を持つのを苗木は感じていた。
「な、にが──」
「ふふふ、大丈夫だよ、苗木クン」
首筋を強く吸われた瞬間、止まっていた胸への愛撫がはじまる。
緩急のついたそれに、苗木の息も自然とあらくなる。狛枝がその間に苗木の性器の状況をみたままに実況するので、羞恥も一入であった。
ぷっくりと勃ち上がった乳首と、もう先走りの出ている性器と。
苗木の限界が近いのは明白だった。
「胸だけで、イッちゃおうよ」
楽しそうに言われた言葉は、しかし苗木の耳には届いていなかった。
高められた興奮と、与えられる快感、湧き上がる羞恥心で苗木はもういっぱいになっている。
それをみて、狛枝は満足そうに笑う。
これでイッちゃえ、とばかりに狛枝は思い切り苗木の乳首を摘んだ。その刺激で、苗木の性器からはびゅるり、と白濁の精液が飛び出した。
狛枝は、はあはあと、荒い息をして呼吸を整えようとする苗木の目隠しをとった。
そのまま後ろを向かせて、少しだけ涙の滲んだ大きな瞳を見つめた。
そこに映るのが、紛れも無い『狛枝凪斗』であることを確認して、小さな笑みを浮かべた。



「ごめんね、苗木クン」
息を整えて、先程の行為の後始末を終えた後。顔をあわせてくれない苗木に狛枝は困ったように眉を下げた。
苗木は、狛枝に先程の行為の理由をきいた。巻き込まれたようなものだ。嫌じゃなかったとはいえ、理由は知りたい。と苗木はいう。
しかし、狛枝はそれを拒んだ。それから、苗木は拗ねたようにぷいと顔を背けている。
目隠しも、拘束も、どうして、という理由をいうのは簡単だけれども、あまりいいたくない理由があった。
拗ねている苗木も可愛いが、折角一緒にいるのに今のままでいるのは狛枝にとって喜ばしいことではない。
久々二人きりだ。自身の引き起こしたことで、これからの幸せな時間を手放すなんて有り得ない。
結局、苗木以上に優先すべきものなんてないのだから、自分自身の小さな矜持など捨ててしまっても構わない。
「…嫉妬かな」
「え?」
ぽそり、と呟いた狛枝に苗木は思わず聞き返した。
「…しっと?」
「うん。…苗木クンが、ここにくるまで…最近あったこと、話してくれたよね?」
苗木は、ここにくるまで──教室から出て、狛枝の部屋までの会話を思い出していた。…しかし、狛枝が嫉妬して、このような行為にでるほどの話があっただろうか、と首を傾げる。
「なんかあったっけ?」
「…、ボクは、苗木クンにあってなかったのに、…霧切さんとか、朝日奈さんはクラスメイトだからしょうがないけどね。…でもなんで日向クンとか、小泉さんとかはあってるのに──」
つまりは、自分があってないのに、他の人があってるのが許せない。ということだったらしい。
「あと、日向クンとか、十神クンとか、不二咲クンとか…他の人の名前を苗木クンがうれしそうに呼んでるのがいやだったんだ。ごめんね、狭量で」
しゅん、と頭を下げる狛枝を苗木はじっと見つめる。あの時瞳の奥に見えたのは、嫉妬の色。
そう、気づいた時にふ、と小さく苗木は微笑んだ。
「狛枝クンが心狭いのなんて知ってるのに」
「え」
「だって、ボクが狛枝クンのクラスにいくの嫌がるのってそういうことでしょ?」
苗木の言葉で、狛枝の顔が一気に朱に染まる。もとが白いので、それはもう、わかりやすいぐらい真っ赤だった。
「でもこうなるとはおもってなかったんだけどなぁ…」
「え、」
「ね?」
さっきまで拗ねていたとは思えない苗木の満面の笑顔に狛枝は敵わないなあ、と思う。
自身の小さな自尊心なんて、苗木の前では無駄なものなのだと改めて思い知らされた気がする。
(…ただ、苗木クンの前で格好よくいたいんだけど、な)
そんな思いも多分無駄になりそうで、でもそれは多分嬉しいことなんだろう、と狛枝は思った。




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