大切なものは目には見えない
カタカタ、とタイピングの音が部屋に響いている。
『……いい加減休んだらどうですか』
「あと、ちょっとだから」
タイピングする指はそのままで小さく呟くと、モニター上のデフォルメされた黒髪の青年のアバターが、溜息をついたような気がする。
そんなことを言っても、まだまだ仕事は溜まっているし休む暇なんてないというのが現状だ。
あのコロシアイ修学旅行が終わってから一年が経った。
進捗状況は芳しくない。寧ろ何も進んではいない。
やらなければならないことは山積みだ。
希望ヶ峰学園を出てからのことを考える。
あの校舎を出て、幾許もない頃に、苗木たちは未来機関に保護され、その時に第一四支部という一つの支部を与えられた。
未来機関――希望ヶ峰学園のOB・OGで作られたその組織は、希望の為の組織である。世界のために、希望のために。そう唱う機関の中身はわかりやすいほどの絶望根絶主義の塊だった。
絶望で満ちた世界へ希望を。そのためには、絶望なんて必要ない。絶望に関するものは全て抹殺せよ――そんな方針に気付いてから、口にはしたことがなかったけれど一四支部の面々は皆一様におかしいと考えていたらしい。保護してくれたことに感謝はしている。けれど、到底分かり合えないほどの溝がそこにはあったのだ。
決定打は、保護をした七七期生たちが絶望の残党だと判った時だ。同じ希望ヶ峰学園に名を連ねていた彼等でさえ、未来機関は絶望に与していたとわかるやいなや強制的に処分をしようとした。
未来機関の方針を考えると無理は無い。組織は、彼等を絶望の残党と呼び処分したがっていたようだが、到底受け入れる事ができなかった。
だからこそ、少しでもこの新世界プログラムの実施へと踏み切った。
新世界プログラムは、希望ヶ峰学園の生徒たちの手で作り上げられたもので、そのうちの一人が苗木の同級生でもあり、アルターエゴの製作者、不二咲千尋だった。
それは、当該装置を頭部に装着することで、被験者全員に仮想世界を共有させることができる。そして、プログラム内で構築された記憶情報を現実の情報に置き換えが可能となる。
つまりは、プログラムで得たものを現実の情報に上書き保存できるということだ。
苗木たちはそれを使って、彼等を五十日間の修学旅行生活へと送り込んだ。
彼等が、同級生たちと作り上げた抱えきれないほどの想い出を胸に目覚めることを期待して。
けれど、それも一朝一夕に決めたわけではない。勿論、十四支部の中でも賛成反対様々な意見が出た。
絶望であった時の記憶を、そしてそれ以前の希望ヶ峰学園の生活に関する記憶を失うことが、本当に正しいことなのか。
だから、最終的な選択を彼等に委ねることにして、苗木たちは決断した。
ぎりぎりの行動だった。未来機関からの、彼等の処分が決定したとの通知を見た時に苗木はそう思ったのだ。
だから、あの時の決断が間違っていたとは思わない。
そして、プログラムは作動し、彼等の新しい生活が始まる。そのはずだった。
しかし、それは死んだと思っていた『超高校級の絶望』江ノ島盾子――正しくは、彼女の遺志を継ぐアルターエゴだけれども――の介入により姿を変えてしまった。
あの時を思わせる、コロシアイ生活。それを見ていられなくて苗木もプログラムへと飛び込んだ。
結果、黒幕の思い通りになることはなく、強制シャットダウンという裏技を使用して、コロシアイ生活の生き残りと共に現実へと戻ってきた。
それを知った未来機関は、苗木たちの扱いをどうするか酷く悩んだという。
苗木たち十四支部寄りの思考を持つ人だっている。その人達の言うことには、支部自体を解散させて、それぞれを違う所へと異動させてしまおうか、という案が出たということも。
固めておくから、勝手をするのだ。それならば、手綱を付けて思い通りに動かせばいい。それが、実現しなかったのは、単に苗木たちのした事を表沙汰にしないためだった。
あのコロシアイ生活の生き残り。そのネームバリューはきっと苗木たちが考えている以上に大きい。
中でもあの『超高校級の絶望』を撃ち倒した『超高校級の希望』である苗木の名前は特に知られている。
そんな苗木たちが纏まって行動しているのは、それなりに有名だ。だからこそ、なんの理由もなしに十四支部を解散することは出来ない。
そういう話からも理解ってしまう。未来機関は苗木たちを同士として、というよりは、その立場と存在を利用するために保護したのだ、ということを。
だからこそ、十四支部の代表者であり、一番の一般人である苗木に対する当たりが一番強いことも。
才能第一主義の希望ヶ峰のOBたちが、苗木だけに向ける視線も。
納得はしてないが理解はしている。希望ヶ峰学園以上に、『超高校級の絶望』を撃ち倒した存在は、あまりにもわかりやすい旗印なのだ。だから適当な扱いは出来ない。
けれど、両手を上げて喜ぶことも出来ない。だって、苗木にはそれを裏打ちするための才能が存在しないのだ。
苗木誠は、未来機関からすると『超高校級の希望』である前に、予備学科よりはマシなだけの「幸運枠」なのだから。
『誠』
「……うん、もうちょっと」
島にいる七七期生への支援と、まだ眠り続ける者達のための素地作り。
更には未来機関に対する隠蔽工作、と共に彼等を如何にして認めさせるかという計画もたてなければならない。
けれど、苗木は諦めない。あの島にいる一五人の未来が、苗木達の手に掛かっているのだ、といっても過言ではないからだ。
しかし、それを重荷だとは思わない。苗木にとっても一五人は知らない人達ではないのだから。寧ろ、未来機関のお偉い様方なんかの言うことなんか無視をして彼等の為に動けたらどんなにいいだろう。
「あっ」
ぶつん、と黒い画面が広がり、そして再びデスクトップに戻る。そこに先程まで苗木が使用していたものは一つもない。
これは、開いていた一つのウィンドウの中に飄々とした様子で存在する黒髪の青年の仕業に違いない。
苗木が彼を恨みがましそうな目で見ていると、その視線に気付いたのだろう。青年は、ちらりと苗木のほうをみて、一言、いつものように呟いた。
『ツマラナイ』
「イズルくん!」
はあ、と溜息をついた彼の名を呼ぶ。少しだけ声を荒らげてしまったのも無理はないだろう。
仕事は終わらない。しかし、こうなったらきっともう端末は使えない。
別の端末を使おうと、それがネットワーク上で繋がっていれば、きっと彼が現れる。そして同じようにきっと仕事はさせてもらえない。それならば、もう言う通りに休んだほうが得策だ。
「……わかった、休むから」
『最初からそうすればいいんです。本当誠は強情ですね』
しれっとそう言った青年は、それだけ言ってぶつりと端末を今度こそシャットダウンさせた。
暗くなった画面に、苗木は小さく息をつく。
青年――カムクライズルは、未来機関の作り出したホンモノの『超高校級の希望』だ。その彼がどうして、苗木の端末上にいる理由を苗木は知らない。
いつの間にかいて、それになれてしまったからもう今さら理由なんて聞いた所で意味はない。
彼が何を思って、苗木のところに来たのかは理解らない。きっと尋ねたところで苗木に教えてはくれないのだろう。
彼が来てから一年が経って、少しは彼のことも理解出来るようになってきた。
「……寝よう」
彼がこんな強硬手段に出ることも珍しい。そんなに酷い様子だっただろうか。
そうやって、モニターから離れてみれば襲う眠気と頭痛。最後に眠ったのは、いつだっただろう。
霧切や十神、朝日奈がもしもここにいればベッドに縛り付けてでも無理やり苗木を休ませたかもしれないが、今彼等はここにはいない。
処分、とまではいかないものの、苗木以外の十四支部の面々は他支部への出向という形で支部を離れているのだから。
今は苗木だけがここに留まっている。他の面々がいないとはいえ、上からは仕事が降りてくる。
それを放置するわけにもいかないが、苗木には他にもすべきことがある。
痛む頭を抑えながら、部屋の電気を消し、ベッドへ倒れこむように横になった苗木はすぐに眠りの世界へと落ちた。
次に苗木が目覚めて真っ先に視界にうつったのは、白い部屋の白い天井だった。
苗木君のことをよろしくね、と彼女はいった。無理をしすぎるきらいがあるからと。
苗木を見張ってろ、と彼はいった。馬鹿だから、自分の限界も理解らないんだと。
未来機関の意向により、苗木以外の十四支部の面々は他支部へと出向中だ。
その間、当然のことだけれども十四支部は苗木一人しかいないことになる。
苗木の持つ端末の中に、一人(といっていいかはわからないけれど)存在していることは知っているけれど、彼には何しろ実体がない。
更にいえば、未だに彼等と彼は接触を果たしていないのだ。だから日向へ託したのだろう。
苗木以外に、彼と繋がりのある自分に。彼と日向が元を正せば同じだと、彼等は知っているのだから。
彼は、溜息をつきながらも苗木の様子を教えてくれた。やはり、あまり寝ていないらしい。
その度に、日向も、そして他の十四支部の彼等も苗木へと声をかけ、休めと再三告げていたのだが、皆のしていた危惧は、一月ほど経過した後、現実となった。
結果をいうと苗木は倒れた。
一時的に戻ってきた十四支部の面々に怒られたと日向は後から聞いたけれど、まさかその結果ここへ来るとは思っていなかった。
「ごめんね、お世話になります」
そういって笑う苗木の顔には疲労の色が見て取れた。それを見れば、もう何もしないでゆっくり休め、と言いたくなる。
実際に、苗木を連れてきた霧切と十神はそう言った。これは休暇だから、仕事はさせるな、と。
どうやら上を脅したらしい。苗木が倒れたことが世間にバレたらどうなるか。自分たちは今まで通り他の支部に出向という形で出向くが、苗木は休ませろ、と。それを飲まないのならば、離反することすら厭わないと。
未来機関としても、歓迎できるような事態ではなかったからそれを飲んだ。旗印は大切だ。それが『超高校級の希望』であるなら尚の事。
苦々しい顔をしながらも、機関は苗木の休暇を認めた。
そんなわけで、今の十四支部は実質開店休業のようなものだという。
十四支部へと要請があれば、出向中の他のメンバーが出向くということになって、苗木はもう当分島から出てくるな、ということらしい。
「ここに来たんだからゆっくり休んでけよ」
「倒れるなんて、どんだけ無茶したんだお前」
そんな言葉をかけられて、苗木は困ったように笑っていた。それでも、モニター越しにみるよりはまだマシな顔色だだったから良かったと思う。
コテージの一つを苗木のために空けて、取り敢えず休め、とベッドに押し込めた。
まだ、苗木に休養は必要だ。モニターの中の彼も、同じことをいっている。
『馬鹿ですか』
溜息をついた彼に、苗木はごめんね、と笑って瞳を閉じた。
「おい」
『なんですか、創』
モニターの中の青年はツマラナイといったように、日向のほうを向いた。
カムクライズル。もう一人の――希望ヶ峰学園の叡智を集めて作り出した『超高校級の希望』。
そして、日向にとっては、もう一人の自分でもある。とはいえ、もう完全に意識も身体も別なのだから、今となっては同一とは言えないが。
「苗木は、何を考えてるんだ」
『何を、とは』
わかっているだろうに、カムクラは日向の質問に質問を持って返す。口を閉ざした日向へと、カムクラは答えを告げる気はなさそうだった。
『何もないのなら、僕は眠ります』
「……」
カムクラの思考は、日向にはわからない。元は自分とは言え、完全に別人格として生きているカムクラの考えが理解できないことは、喜ぶべきことでもあるのだけれど。
「……苗木が、思いつめてやしないかって」
『僕は誠ではないので、全てはわかりませんが』
「……」
『誠が、眠りから覚めない残りのメンバーのことを気にしているのは確かです』
そしてそれはきっと、同じ学校の先輩だから、ということと同時に、同じようにコロシアイに巻き込まれた自分の同級生たちも重ねているのかもしれない。そう日向は思っている。
根拠という根拠はないのだが、強いていうのなら苗木の目がそう言っているように見えるのだ。
だから、彼等を目覚めさせ、未来を創ることに酷く苗木は一生懸命になっているのかもしれない。
『……あとひとつ、』
「何かいったか」
ぽつり、とカムクラが呟いたような気がして、意識をそちらへと向ける。
しかし、カムクラは一人首を横に振ってなんでもありません、と呟いた。
『……何もなければ、いいんですが』
カムクラらしくないその言葉に、日向はざわりと背筋が泡立つのを感じた。
「何もなければって」
『誠が何かをするかもしれない。……僕に出来ることは限られています、だから創も誠のことを気にしていてください』
言われるまでもないことだった。苗木がする"何か"なんて日向には予想もつかなかったけれど、それでも苗木の様子がおかしいのは事実だ。
日向が頷くと、カムクラの映ったモニターの電源が切れて、黒い画面には日向自身の顔が映っていた。
島に来て、数日が過ぎた。
今日も今日とて特にすることもない苗木は、ぶらぶらと島を歩いている。
端末を開けば、カムクラが仕事をすることを禁じるし、それ以外に仕事に関わりのあるようなものは持ち込まなかったので完全に手持ち無沙汰だ。
かといって、他のメンバーがしていることを手伝おうとすれば、大体苗木を休ませようと、彼等も作業の手を止めてしまう。
休ませようとしてくれるのも彼等の善意だということがわかっていたから、苗木は島へ来て二日程経った頃に特別なことがない限り、一人で過ごそうと決心した。
しかし、島の者達は苗木をあまり一人にしたくないようで、どこかに行こうとする苗木へと大抵声をかけ、苗木と一緒にいようとする。
一度倒れているし、霧切たちからも多分言われているのだろう。彼等は苗木を一人には決してしなかった。
だが、彼等と話すのは楽しいけれど、邪魔をするのは本意ではない。そしてどうしても誰かと話したければカムクラもいる。
そして、最終的には、情報端末を持っていくことを条件に、苗木は一人で出歩くことを許された。
ネットワークの範囲内であればカムクラは移動できる。というわけで、カムクラは携帯電話の中に身を宿していた。
けれど、いつも苗木の手元にあるかといえばそうではなかった。
ただ一箇所、苗木はある場所に行く時だけはその携帯電話を手放した。
実体のないカムクラはそのことについて抗議は出来るが、それはしなかった。
中に何があるのかを、知っていたからだ。
ひやりとする室内。そして、苗木の眼前に並ぶ一五の機械。その中で眠り続ける者たちの顔はとても安らかに見える。
大切な人たち。苗木の記憶の中にも残る、優しい思い出。
いつか彼等が目覚めてくれること。それを苗木は願っている。
奇跡でも起きない限りは、彼等は目覚めないとアルターエゴは言った。
けれど、苗木は幾つも奇跡のような現実を見てきたのだ。祈りが必ず届くなんて思わない。だけど、可能性はゼロではない。
「……キミの幸運だったら、すぐ目覚めると思ってたんだけどな」
呟いて、そっと苗木は機械の一つに触れた。
彼は、静かに瞼を閉じて眠っていた。
その寝顔を見ていると、それ程遠くない、仕舞っていたはずの過去が次々と蘇ってくる。
最初出逢った時は、結構失礼な扱いだった気がする。けれど、仲良くなってからは、そんなことを忘れてしまうほどに大切にしてくれた。
そんな彼と、想いが通じたときに、出逢ったばかりのことを話したら死にそうな顔をしていたな、と思い出す。
すぐに、死んでもいい、死んじゃうかもしれない、と言い出す彼は、苗木を酷く優しく大事に扱ってくれた。
自身の才能に巻き込まれて、苗木が傷つかないように。
触れ合うことが好きなくせに、どこかいつも自信がなさそうな彼へと強硬手段として部屋へと押しかけたことも思い出した。
大事にされていた、痛いくらいにわかっていた。
大切な人だった。大事な人だった。
──大好きな人だった。
『キミは誰?』
「……っ」
脳裏に蘇った彼の言葉に、ぽろり、涙が機械の表面に落ちた。
『苗木が泣いてるとこなんて、久々見た気がする』
「だれっ」
くすくすと笑う声に、苗木は振り向く。しかし、そこには誰もいなかった。
気のせいというにはあまりにもはっきりしたその声を、苗木が忘れたことなんてない。
誰、と訊きながら、楽しそうなその声の正体を苗木は知っていた。
視線を巡らせていると、再び声がした。違っていて欲しい。そう思いながら苗木がそこへと歩を進める。
『あは、バレちゃってる』
楽しげな声と共にぼうっと光が灯ったのは、部屋の隅に置いてあったモニターだった。
そこに映るのは、間違いなく苗木が思い浮かべた相手で、ずっと忘れたことなどない少女だった。
「……江ノ島盾子」
『はぁい、お久しぶり〜!あいっかわらず、ぜっつぼーてきに可愛い私様が、ウサギちゃんのように寂しくてしくしく女々しく泣いてる苗木クンの前にいいこと教えにきてあげましたあ』
ぱちぱちぱちぱち、とモニターの向こうの江ノ島は、楽しそうに手を叩く。
「お前のいうことなんて信用できるものか」
滲んだ涙をぐいと服の袖で拭い、苗木はモニターを睨みつける。
『あっ、ひっどーい。女の子の言うことは信用しないとダメですよお〜だから苗木きゅん女の子にもてないんだぞ〜』
まあ、苗木ホモだから、別に女の子にもてなくてもいいんだっけ。
「っ、なんで、お前が!」
顔を赤くして声を荒らげる苗木に、江ノ島は気にした様子もなく笑みを浮かべる。
『あはは、バレてないとでも思ってたの?結構有名だったと思うけど』
「……っ、煩い」
ぎり、と睨みつける苗木を見ながら、江ノ島は心底おかしそうに笑っている。
『あっははは!じゃあ一個ヒントをあげちゃお!プログラムは終わってない。強制シャットダウンはしたけれど、中のプログラムは生きてる。……だから私様があんたの近くにいるアレと同じようにして生き残っててもおかしくないでしょ?』
馬鹿にしたような江ノ島の言葉に、苗木はそっと唇を噛む。確かに、カムクラに出来たことを目の前の彼女が出来たって不思議なことではない。
考えたことがなかったわけではない。けれど、その可能性は、時と共に苗木の中からは消えていた。
『でも、プログラム乗っ取る程の力はないしー?だからちょっと苗木と取引させてもらおっかなって』
あー、答え言っちゃった!でもまあいいよね、と江ノ島はぺろりと舌を出す。
「……」
『でも苗木、多分断らないと思うんだけどなー悪い話じゃないし』
「必要ない」
きっぱりと言い切って、苗木は江ノ島の目を真正面から見つめる。それを受けて、江ノ島は満面の笑みを浮かべて、顔に、手を当てた。
『これでもそう、言い切れます?』
「……っ」
つるりと顔を撫でた後、モニターに映るのは、江ノ島とはまた別の少女の姿だった。聞こえる声も、また彼女のものに変わっている。
それを見て明らかに動揺する苗木に、少女は満足そうに微笑んだ。
『どうして、って顔してますね。簡単な話ですよ、プログラムだからモニターに映る姿や音声を変えることぐらい簡単なんです』
「っやめろ!」
『うふふ、どうしてこの姿かって?』
だって、――エスパーですから。
モニターの中の少女は、そう言って、記憶の中の少女――舞園さやかと同じ顔で微笑んだ。
ぐ、と何かが胸の奥から迫り上がって来るような不快感に、苗木は思わずその場に蹲る。
『……タイムアップですね、また逢いましょう、苗木君?』
遠くから聞こえる誰かの声と近づいてくる足音に気付いたのだろう。モニターの中の舞園は、そう別れの言葉を告げた。
ぐらぐらと視界が揺れる。薄れていく意識の中、少女は唇だけで何かを囁いた。
『 』
「……苗木?苗木っ!」
そして、そこに飛び込んできた日向が見たのは、電源のついていないモニターの前に蹲るようにして倒れている苗木の姿だった。
あの部屋で倒れている苗木を見つけてからというもの、日向は苗木の傍を離れなかった。
倒れていた理由を苗木は話さない。尋ねても、なんでもないよ、と笑うだけだ。
その言葉を信じることなんて日向には出来なかった。到底なんでもない、というようには見えなかったからだ。
けれど、彼がそういう限り、答えはわからない。
苗木は頑なに理由を話そうとはしないから、日向に出来ることは、出来うる限り傍にいて、苗木を一人にはしないことだった。
けれど、それも難しいことではなくなった。単純に、苗木がコテージから出る機会が減ったからだ。
「……苗木今日も起きないな」
『そうですね』
あの日から、苗木の睡眠時間は極端に増えた。酷い時なんて、夕方まで起きないこともある。
起きたとしても、また直ぐに眠ってしまう。苗木本人にも理由は理解らないという。訊けば、わからないけれどとにかく眠い、というだけだ。
「なあ、イズル」
『なんですか』
そして、苗木が眠っている間、日向の話す相手はカムクラしかいない。
話す、といっても会話というよりは、日向の質問にカムクラが答える、といったものだが。
それも、日向の問いかけ全てに答えるわけではない。
カムクラが気の向いた時に返事をする体だから、傍目からみたら日向が独り言をいっているようにしか見えないだろう。
そんなカムクラのスタンスを見て、カムクラが苗木を特別扱いしている、と改めて思ったのだった。
「本当は知ってるんじゃないのか」
『何がです』
「あの日、あったことだよ」
あの日――苗木が倒れていたあの日。
モニターには何も映っていなかったが、あそこで何かあったことは間違いない。
そして、あの部屋にも勿論ネットは通じている――カムクラがそこに行けないということはないのだ。
知らないはずはない。日向はそう思っている。
『……僕が言うことではありません』
「苗木の為だっていってもか」
『創が言って、誠がそれをきくのなら話します。……けれど、多分もう動き出しました。こうなったらもうどうにも出来ません』
カムクラの答えに、日向は反射的に立ち上がる。
「イズルっ!」
声を荒らげる日向とは対照的に、カムクラは淡々と言葉を返す。
『……誠には大切なものがある。それを取り戻すためなら、多少の無茶だって厭わないでしょう』
「大切なもの……?」
問いかける日向に、カムクラは目を閉じた。もうこれ以上は何もいうことはない、ということだろう。
苗木の大切なもの。
苗木は、結構、無茶をする性質だ。それを理解っているはずのカムクラが、ここまで言う程の何か。そしてそれはもう既に動き出しているという。
それが解決しないことには、苗木に関わる異常が終わらないことを、カムクラは確信している。
「……」
眠る苗木へと視線を移す。普段よりもずっと幼い寝顔に、彼は一体何を抱えているのだろう。
考えても、答えは出なかった。
だから、日向は気付かなかった。
日向が自分のコテージへと帰った後に、苗木が夜な夜なあの部屋へと、行っていたことも。
カムクラが、それを知っていて、それでも苗木を止めなかったことも。
それに気付いたのは、苗木の部屋にあった全てが書かれた手紙を読んだ時。
その時になって初めて日向は、苗木の目的と、大切なものを知ったのだ。
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