夏──日も長くなって、夕方だけれども外はまだ明るい。
昼間はただ暑くてしょうがなかったけれど、日が落ちるとそれなりの風があって、過ごしやすくはある。
約束の時間まで、あと三十分。今日は待ち合わせじゃなくて、俺が苗木の家まで迎えにいくことになっていた。
夏休みという長期休暇で、苗木は希望ヶ峰学園の寮から実家へと帰省している。
それなのに、連日、誰かと出掛けている様子に、ツマラナイ嫉妬心が湧き上がらなかったといえば嘘だ。
けれど、久々こちらに戻って来ている彼女が昔の友人たちと遊んだり、休みだから、と学園の友人たちと遊ぶことを制限するほど、俺は常識を知らないわけじゃない。
俺自身も大会までは部活部活で、時間が取れなかったということもあるけれど。
確かに出来るならば、毎日でも苗木と過ごしたかった。折角の夏休みだ。いつもは出来ないこともしてみたい──たとえば、海にいったり、泊りがけで旅行にいったり。
そして、それだけじゃなく──夏の開放的な気分に身を任せてもいいんじゃないか、なんて、そんなことを俺は考えていた。だって、健全な男子高生だし。
今日は夏祭りだ。去年までは皆で行っていたけれど、今年は二人きり。恥ずかしいぐらい、浮き足立っていることには気付いている。
あまりはやくいっても、迷惑かも、なんてことを思いながら、それでも家には居られなくって俺は早々に家を出ていた。
ぶらぶらと寄り道をしながら、それでも心ここにあらずなままで俺は苗木の家まで歩いていった。
苗木の家の場所は知っている。中に入ったことはまだないけれど、苗木を何度も送っていったこともある。
どきどきする、落ち着かない。結局、着いたのはまだ時間の十分前だった。
どうしようか、と考えて少しぐらいならいいだろうと呼び鈴を鳴らす。
「はーい」
家の奥から返事が聞こえる。そして、暫く後に、おばさんが玄関先に出てきた。
「ひさしぶりねえ、日向君」
にこにこ笑うおばさんは、童顔のせいか、大分若く見える。まだ俺たちが中学生だった頃に、三姉妹って言われた、と苗木が言っていたことを思い出した。
「久しぶりです」
「ちょっと待っててね、誠もう少ししたら準備終わるから」
ほらー、まことー彼氏が迎えにきてるわよー、なんてそんなことをおばさんがいうからどうにも意識してほっぺたがにやけてしまう。
彼氏、って良い響きだ。しかもそれを言ったのが、苗木の母さんだというのがまた良い。
じんわりと浸っていると、奥から頬を赤くした苗木が出てきた。
「お母さん……」
ジト目でおばさんを見つめる苗木から、俺は目が離せない。
「浴衣」
「え?」
気づけばぽろりと口から言葉が飛び出ていた。苗木が首を傾げたのを見て、心の内が漏れていたことに気付く。
単語だけで良かった。苗木だけならともかく、おばさんがいる前で本心ダダ漏れにするわけにはいかないだろう。
「いや、あの」
「えっとお母さんに着付けて貰って……」
わたわたと、慌ててしまった俺を見て、苗木にも俺の動揺が伝染ったのだろう、不思議な沈黙がその場に落ちた。
その微妙な空気を破ったのは、俺でも、苗木でもなくて、当然といえば当然のことだけれども、おばさんだった。
「若いっていいわねー」
にこにこと笑いながら、そう呟いたおばさんの言葉に苗木は赤くなりながら、お母さん!と声を上げた。
おばさんはそんな苗木をはいはい、と軽くあしらいながら、俺と苗木、両方に尋ねた。
「遅くなるの?」
「えっと、」
ちら、と苗木は俺のほうを横目で見る。
「連絡するから」
「日付越えるようなら、連絡しなさい」
日向君、娘をよろしくね。
そんなことを言って、くすくす、とおばさんは笑いながら奥へと戻っていった。
「……」
日付を越える──その意味を考えてしまったのは、多分無理はないだろう。
ちらり、先程の逆で俺は苗木のほうへと視線を向けた。
少しだけ頬を赤く染めている苗木を見て、可愛い、と思う。
このまま祭りじゃなくて、どこか違う所へ行くのも悪くはないだろ、と邪なことを考えるくらいに。
「日向くん?」
俺の脳内を見透かしているのか、苗木が少しだけ、咎めるような目付きで俺を睨んでいた。
日向君のばか、とその目が言っている。ばかなのは認めるけれど、それは苗木も悪いんだろ、と脳内で勝手に妄想して勝手に責任を苗木へとなすりつける。
「……出るか!」
「そう、だね!」
気分を切り替えるように少しだけ大きな声を出した。苗木も、似たようなことを考えていたのだろう、下手な作り笑いがそこには浮かんでいた。
「なあ、苗木」
「何?日向くん」
外に出て、俺は先に行こうとする苗木を後ろから呼んだ。
振り返って、しょうがないことだけど上目遣いで尋ねてくる苗木の姿が凄く可愛くて、俺は顔に手を当てながら、呟いた。
「……浴衣」
「え?」
「浴衣、似合ってる」
いつもとは違う格好の恋人に、どぎまぎする。可愛い。本当可愛い。出来るならこれが俺の彼女なんだ、と大声で振れ回りたいぐらいだ。
そんなことを思いながら俺はにやけそうになる口元を必死で堪えていた。多分、顔は、真っ赤だろう。だけど、目を逸らすなんて勿体ないことはしない。目にしっかり焼き付けようと上から下まで眺める。
可愛い、と思わず呟くと、苗木は顔を赤らめ、そっと俯いた。
「あ、ありがとう……」
小さな言葉のあと、暫しの沈黙が訪れる。
耐え切れなくなって、俺はそっと手を差し出した。
「ほら、」
行こう。そう言うと、苗木は顔を上げ、まだ赤い顔に笑みを浮かべて微笑み、俺の手をとった。
「うん、いこ!」
かき氷や箸巻き、たこ焼きを買ったり食べたりしながら時間は過ぎていった。
同じように、歩いている人たちの間を通りながら、俺は握った手の柔らかさと温かさにずっとどきどきしっぱなしだった。
よく考えて見れば、苗木に逢ったのも触ったのも久々だ。
今日は十分に苗木を堪能しようと、改めて心に決める。
ちら、と横目で苗木を見る。
いつもとは違う浴衣姿。前と比べると長くなった髪を上で纏めているから露になった項。
歩く度に少しだけ覗く足首と、歩き続けて最初と比べると少しだけ崩れたためか上からみるとたまに見える胸元。
暑さと人の熱気で、赤く染まったように見える頬。
全部が全部、俺を誘っているようで、けれど、まだダメだと自分で自分を叱咤する。
「人、多いね」
花火ちゃんと見れるかなあ。
そう呟く苗木に、俺は視線をあわせないまま「苗木」と名前を呼んだ。
前を向いていた苗木はくるりと回る。その勢いで浴衣の裾が少し捲れる。白くて細い足首が見えて、どうしてもそっちにいってしまう視線を抑えながら、苗木へと視線を合わせた。
「日向くん、どっかいいとこ知ってるの?」
「ああ」
よかった。そう無邪気に笑う苗木は、本当に可愛い。凄く可愛い。そのせいで、今日、ずっと頭を焼いている熱の温度はどんどん高くなっている。
ヤバいな、と思う。どこまで耐え切れるだろうか。何度も頭の中で繰り返した自問自答。けれど、それを気取られないように、表向きは普通を装って苗木へと接する。
逃げられない、とは思うけど。こんなまだ人がいるところで、欲丸出しの顔するのは問題だろう。
「近いの?」
「道場の屋上」
「いつものとこ?」
中学からずっと弓道を続けている。だから、俺が道場、といえば弓道場だ。
中学の頃は、帰宅部だった苗木も友人がいる、ということでたまに見に来ていたから場所はよく知っているはずだ。
道場の鍵は、そのうちの一つを、弓道部の主将が持つことになっている。
その他の鍵は二つ、そしてそれを持つのは外部指導者と、顧問だ。
その二人が、夏祭りだからってわざわざ花火を見にこの屋上へくることはない。つまり、今この屋上に入れるのは、必然的にその代の弓道部主将だけ、ということになる。
そして、今の主将は俺で、鍵を持っているのも、俺だ。
──だから、ここに来ることを決めていたのだけれど。
「だから、正面から見れるし、他の奴は来ないぞ」
「凄いね、日向くん」
にこり、と微笑む苗木の顔すら下心と、色んな感情がぐるぐるして、もうまともに見ることなんて出来なかった。
ああくそ可愛い。
屋上へ上がって、ぱたぱたと苗木は花火が見える位置まで駈け出した。
といっても、浴衣だからいつもとするとゆっくりで、俺が歩くよりもすこしだけはやい程度だ。
鍵をしっかり掛けたことを確認して、俺は苗木の後を追う。
「わ、本当だ。ここ真正面だ」
凄いね、そう嬉しそうにはしゃぐ苗木の姿を見て、俺はこっそり息を呑む。
細い腰と、形の良い尻。浴衣を着た後ろ姿に、思わず、触りたくなる手を止める。
花火が終わるまでは我慢しよう──そうは思っていたけれど、一度起こった欲を押さえつけるのは難しい。
「……ひなたくん?」
「悪い、苗木」
気付かないはずはないだろう。ぎこちなく、こちらを振り返りながら名を呼ぶ苗木に、申し訳程度の謝罪を口にしながら、もうすでに俺の手は、苗木の尻に触れていた。
何を言われるのかと、思っていたが苗木も突然のことで動揺しているようだった。
その間も、俺は布越しに苗木の尻に触れていた。そうして、とあることに気付いて、思わず呟く。
「パンツ……」
「はいてるよ!」
触れている最中、パンツの線が見つからなかったから、履いていないのかと思えばそうではないらしい。
浴衣は下着を付けない、と聞いていたから、納得したけれど、苗木はちゃんとつけていたようだった。
だけど、だ。パンツをはいてるのにパンツの線がないということはつまり。
いつもの苗木からは想像できないような、その事実に到達して、俺は衝撃に身体を震わせた。
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