二十歳を過ぎて、もう四捨五入すれば桁の数が上がる年齢にもなると、煩わしいことも増えてくる。
周囲の結婚ラッシュがいい例だ。未来機関の中でぽつぽつとそういうおめでたい話題を聞くのは悪いことじゃないけれど、矛先がこっちに回ってくるのは頂けない。
大人になるってこういうことか。冗談めかして言われる分には笑ってスルーもできるけれど、説教のようにいわれてしまうと立場というものも相俟って黙って聞くしかなくなる。
一度や二度ならいいけれど、連日いわれればいい加減にしろといいたくもなるものだ。
「ああ、この間の話?」
端末を叩きながら吐き出したぼくにとっては切実な悩みを霧切さんはいつものような無表情で聞いてくれていた。
「霧切さんは言われたりしないの?」
「ないわね」
ぼくの疑問をばっさりと切り捨てて、霧切さんは息をつく。
「朝日奈さんはあるみたいだけど、多分あなたほどじゃないわ」
その言葉に、ぼくの胃がきりきりと痛む。
「ここの支部だって誰もしてないじゃないか…っ」
あのコロシアイ学園生活の生き残りで構成されている一四支部。約一名を除いて同じ年なのにこの差はなんなんだろうか。
朝日奈さんにはちょっと良い人がいるみたいだけれども、まだまだそういうところまではいってないってこの間聞いた。
腐川さんは相変わらず十神クンを追いかけて、十神クンにそのつもりはないらしい。霧切さんは…多分、ないだろう。葉隠クンは…うん、論外だ。
「皆あなたが好きなのよ。コミュニケーションの一つと思って頑張りなさい」
霧切さんの言葉は正論だ。だけど、理解できても納得できるかどうかは別の話。
「普通の会話上でいわれるだけなら我慢できるよ。でもね…っ、挙句の果てには相手が居ないなら紹介するしなんなら私でもって…っ!」
普通言わないよね!と泣きそうな声でぼくが叫ぶと、霧切さんはちらりと視線を向けて、一つ頷いた。
「ああ、苗木さんあんまり公言してないものね」
ある意味自業自得でしょう。そう呟いた霧切さんの指の動きは淀みない。
「自業自得ってどういうこと…?」
「胸元の指輪、それを左薬指につけてれば一応は躱せるんじゃないかしら」
もう長いんだから、籍入れちゃってもいいんじゃない。という霧切さんの言葉にぼくはぴたりと端末を叩く指を止めた。
「苗木さん?」
「…これは、そんなんじゃないんだ…」
ぎゅっと、胸元に下げた銀色をシャツの上から握り締めた。
ぼくが結婚を急かす言葉に対して過剰反応してしまうのには理由がある。
──ぼくだって女の子だ。結婚に憧れないといえば嘘になる。
でも、結婚したいな、という相手はたった一人。恋人である凪斗さんだけだ。
間が空いていたとはいっても高校生の時から付き合っているわけだから、交際期間はそれなりに長い。
そうなると、当然結婚という選択肢や話題だって出るものらしいけれど、ぼくらの間にそういう話は全くといっていいほど出ない。
ぼく自身まだいいんじゃないかな、という風に考えているというのもあるけれど、何より凪斗さんがそれを望んでないからだった。
大分前、指輪を貰った時の事を思い出す。
プレゼント、といって凪斗さんがくれたそれは最初から鎖に繋がれていた。しかも、その鎖から指輪を外すことは出来ない仕様になっている。
指輪なのに、指につけられないよ、と笑ったぼくに凪斗さんは首をふって笑った。
「それは、指輪じゃないんだ」
意味がわからずに、首をかしげたぼくに凪斗さんは尚も続けた。
「ごめんね、ボクにはこういう愛し方しかできないんだ」
それでも、まことくんのことを愛していいかな。といった凪斗さんの表情は、ぼくが一言でも否定を口にしたら壊れてしまいそうな危なさを持っていて、ぼくはただうん、と頷くことしか出来なかった。
嬉しそうに笑った凪斗さんをみてぼくはよかったと思ったから、そのときは深く考えずに終わってしまった。
そして、この間。七六期生の人たちの集まりになぜかぼくまで呼ばれた時。
九頭龍クンと辺古山さんが二人ですむ部屋での飲み会だった。
そこでもお決まりのように結婚の話が出た。それは、主に九頭龍クンと辺古山さんに対してで、その流れで「苗木と狛枝も長いよなー」という話題がでたぐらい。
特に気にする要素もなかったそれを、真っ向から否定したのは他でもない凪斗さんだった。
否定、というほどのものじゃなかったかもしれない。ぼくの考えすぎかもしれない。
だけど、それを聞いてからぼくは漠然と、ああ凪斗さんは望んでないんだな。と思ったんだ。
聞き返すのも怖くて、だからそれからその話題を避けてたというのもある。考えるだけ無駄だから。
自分が望んでいたって、相手がそれを返してくれなければ意味がない。
凪斗さんがぼくをすきだっていうのはわかりすぎるぐらいわかってることだったから、もういいかなと思い始めていた。

その思考がぐるりと変わったのは、それから一月後のことだった。
まずおかしいな、と思ったのは月のものがこないこと。それなりにきっかりときていたそれがこないことに、凪斗さんが一番不思議そうな顔をしていた。
それでも、体調や精神状態から遅れることは今までもあったから、と凪斗さんを納得させる。
それ以上凪斗さんにその話をしたくなかった理由は一つだ。単純に体調や精神状態から遅れてるわけじゃない、と考えたから。遅れてるわけじゃなくって──多分その考えは間違ってない。
避妊をしている、といっても例外はある。凪斗さんのうっかりとかお互いが望んだ時とか、必ずしもつけてるわけじゃないから、子供ができたかも。と考えたことは当然だろう。
凪斗さんに何もいわずにぼくは薬屋さんでそれの検査薬をかった。ばれないように、こっそりと。なぜか霧切さんにはばれてしまったけれど。
本当はあやしまれないようにこっそりしようと思っていたけれど、ぼくは基本的に隠し事ができない性格だ。
丁度いいとばかりに、霧切さんの家でそれを使わせてもらった。それの陽性の印を確認したあと深く呼吸をして、心を決める。
「どうだったの」
「霧切さんが考えてるとおりだと思うよ」
トイレから出た瞬間いきなり飛んできた霧切さんの疑問に、ぼくは笑って返した。
霧切さんは少しだけ首を傾げて、呟く。
「思ってたより、へこんでないみたいね」
どうするの?と視線で尋ねる霧切さんに、ぼくはただ頷く。
「これから、勝負しにいこうとおもって」
ぼくがそういうと、霧切さんは一瞬目を丸くして、笑う。付き合いはそれなりになるけれど、こんなに笑っている霧切さんは珍しいと思った。
「ふ、ふふふ。いいわね。勝負、勝負…ね」
笑いながらぶつぶつと呟いていた霧切さんは、ぼくの顔をみて笑顔を浮かべた。
「まあ、億に一つもないでしょうけど、もし負けたら私のところに来ればいいわ」
「っありがとう」
「苗木さんさえ望めばお父さん候補なんていくらでもいるんだから、心配しないでいってらしゃい」
霧切さんらしい応援の言葉で、ぼくの心は固まった。いってらっしゃいの前の言葉がよく聞こえなかったけれど、また今度聞けばいい。
ひらひらと手を振って見送ってくれた霧切さんの家を出て、ぼくは寄り道をしながら家へと帰った。

「ただいま」
「おかえりなさい、まことくん。お風呂できてるから入っておいでよ」
玄関先まで出迎えにきてくれた凪斗さんはぼくの顔をみるなり、心配そうな表情を浮かべる。
「どうしたの?まことくん…いやなことでもあった?」
「…凪斗さんに、話があるんだ」
ぼくの言葉に、凪斗さんは不思議そうにしながらもうん、と頷いてくれた。
ぼくと凪斗さんはリビングの机に向かい合わせで座る。
これからいうことを考えているのに、頭の中にはいつも大事なことをする時は机越しに正座だなあとか関係ないことまで浮かんでいた。
「…まことくん、はなしって?」
お茶をぼくの前にだして、凪斗さんが口を開く。
今この時になって、ぼくは緊張していることに気付いた。
だけど、いわなければはじまらない。ぎゅう、と手を握って、凪斗さんの目を真っ直ぐに見つめる。
「凪斗さん、あのね」
やけに掠れた声。恰好つかない自分が情けないけれど、別に恰好つけようとしてるわけじゃないからその辺には目をつぶって欲しいと思う。
「ぼく、と、結婚してください」
「まことくんっ?」
頭を下げたぼくに、凪斗さんは慌ててぼくの名前を呼んだ。
「え?まことくん…なんで」
中腰になっておろおろと狼狽える凪斗さんにぼくは頭を上げて言葉を続ける。
「ちゃんと病院にいったわけじゃないから、確実じゃないけど…子供が、できました」
「っ」
「凪斗さんが、なんていったってぼくは産みたい。凪斗さんが、すきだから、」
声が震える。否定の言葉なんて聞きたくないから、凪斗さんが言葉を紡ぐ前に捲し立てるようにぼくは口を開いていた。
「凪斗さんが、いやだっていうんなら、ぼくは一人でも生きていく。凪斗さんがくれたものを捨てるなんて、ぼくには出来ないから」
ぎゅっと胸元の指輪を握り締める。今までに貰ったもの。二人で手に入れたもの。いろいろあるけれど、どれもこれも特別なものだった。
「でも、ぼくは、凪斗さんと、この子と、一緒に…幸せになりたい…です」
そこまで言った時の、凪斗さんの表情に浮かんでいたのはただ、困惑だった。
いきなりの言葉で混乱しているのかもしれない。しょうがないかもしれない。整理させる暇もなく、畳み掛けるように言葉を投げたのはぼく自身だ。
固まっていた表情に、無理矢理笑顔をのせてぼくは凪斗さんに左手をさし出した。
「ぼくの幸せには凪斗さんが必要なんだ」
「まこと、くん」
「手をだして、ください」
ぼくの言葉にしたがってのろのろと凪斗さんは手を机の上に出した。
ぎゅっと、その手を握る。呆けたままの凪斗さんの薬指に指輪を嵌めた。
オーダーメイドなんかじゃない、既成品。それでも、一応形だけは整えようと買ってきたもの。
サイズはあっていたみたいでほっとする。
「全部ぼくの我儘だよ。でも、ぼくは凪斗さんと家族になりたい」
いままでのように二人で一緒にいるのもいいけれど、子供ができたと知った時に考えたのはこれから先の幸せだった。
家族とかそういう繋がりをはやくになくしてしまった凪斗さんに、ぼくがそういう幸せをあげたいと思った。
凪斗さんと一緒にたくさんの幸せを作って行きたい。これから先の未来を、生きていきたい。
「失ったものの代わりになんてなれないけれど、凪斗さんがぼくを希望と呼ぶように、ぼくにとっては凪斗さんが希望だよ」
そっと、その手に凪斗さんの指に嵌めた指輪と同じ物を握らせた。はっとしたように、凪斗さんは頭をあげてぼくをみる。
その目は色々な感情に揺れていた。
「…ボクは、キミに選んでもらう価値なんて」
凪斗さんは指輪をぎゅっと握り、この期に及んでいつもの自虐的な言葉を呟く。それを聞きたくなくて凪斗さんの唇に人差し指を当てる。
「それを決めるのは、ぼくだよ」
「まことくん」
「凪斗さんは、選んでくれればいい。…ぼくを、ぼくとこの子を受け入れてくれるなら、その指輪を嵌めて欲しい。だけど、いらないっていうんならその窓から捨てて。…ぼくはここから出ていくから」
目元が熱い。泣きそうなのを堪えて、ぼくは笑う。
泣いたら駄目だと、自分を奮い立たせる。泣いたら多分凪斗さんはぼくを慰めるようと、ぼくに都合のいいような言葉をいってくれるだろうから。
聞きたいのは、凪斗さんの本心だった。
少しの沈黙の後、凪斗さんが深く息をつく。
「…ごめんね」
「…それは、なににたいしての"ごめん"?」
ぼくの言葉に、凪斗さんは俯いたままで呟く。
「まことくんにつらいことをいわせてごめん。いつまでも、こんなボクでごめん。キミを傷つけることしかできなくてごめん。…それでも、まことくんを手放せなくって、ごめんね」
そこまでいって、凪斗さんは頭をあげた。
「そして、本当はぼくが言わなきゃいけなかったのにね。まことくんにプロポーズさせちゃってごめんね」
凪斗さんの申し訳なさそうな、罪悪感一杯のそんな顔にぼくはおや、と思った。
「あれ、凪斗さん…結婚とかしたくないんじゃなかったの?」
「え?まことくん、そんな風に思ってたの?」
目を丸くして逆に尋ねてくる凪斗さんだったけれど、まずぼくの質問に答えて欲しい。
「だって、ほら…これ指輪じゃないっていうし…普通の愛し方できないっていうし…」
「あー…」
ぼくが胸元から見せた鎖のついた指輪をみて、凪斗さんが小さく声をあげた。
「九頭龍クンと辺古山さんのとこにいったときなんかも、なんか結婚したくないんだよね、みたいなこといってるし」
「それは違うよ…まことくん」
はぁぁ、と深い深い溜息をついて、凪斗さんは頭を抱えた。その反応にちょっとだけむっとなる。
さっきまでこみ上げていた涙も引いてしまった。ぼくの悩んだ時間を返して欲しい。
「…結婚、してもいいのかな。とは思ってたよ。ボクが幸せになるなんていいんだろうかとか、まことくんの恋人になってるだけでももう死んでもいいぐらいの幸せなのに、家族になるとか」
「…ぼくの意見は」
「ボクなんかが、まことくんを幸せにできるんだろうかとか。そういうことをずっと考えてたんだ。…ボクはキミに相応しい人間だとは思えない。でも手放せない。…その指輪は、そんな独占欲の顕れみたいなものだよ」
形は指輪だけど、指には嵌められないそれを指して、凪斗さんは呟く。
「指輪なんかで、まことくんを縛れるはずないんだけど…手放せないから…でもボクには約束をあげられる権利はないって思ってたんだ。もう少し、キミに対して釣り合いのとれる男になれたら。…その時に本物の指輪を渡したかったんだよ…」
「…」
「…情けない男でごめんね。ねえまことくん。キミがゆるしてくれるなら、ボクもキミの家族になりたい」
くるくると、凪斗さんの言葉を頭の中で反芻する。それ、はつまり。
「…凪斗さん」
震える声で名前を呼んだぼくに、凪斗さんは薄く笑ってぼくの手を握る。
「ちゃんと三ヶ月分で、今度作ってくるから…」
そういって、凪斗さんは手の中にあった指輪をぼくの左手薬指に嵌めた。
「幸せにするよ、なんていえないけど。…キミがいればボクは幸せになれるんだ。だから、キミが望んでくれるなら…キミが幸せだって笑ってくれる間は隣にいてもいいかな」
凪斗さんの笑顔が滲む。慌てたように、ぼくの目元に手を伸ばす凪斗さんをみて、同じように自分の指で目元に触れる。
そうして、涙に触れたことで、はじめてぼくは泣いていることに気がついた。
かたかた、と震える指をぎゅっと凪斗さんが握る。自分で思ってたより緊張していたみたいだった。
「無理させてごめんね。でもどうやったってボクにはキミを手放すなんてできないんだよ」
だから、選択肢なんてないも同然だ。と笑う凪斗さんの声が聞こえる。
「…今度改めて、プロポーズさせてね。お腹の子にこんな話させられないよ」
少しだけ情けない凪斗さんの呟きに、ぼくは小さく笑った。そして、こっそりと、口の中で呟く。
「…ねえ、凪斗さん。ありがとう」
「まことくん、なにかいった?」
聞こえなかったようで、安心する。頭を振って、そのまま机を乗り越えて凪斗さんの胸の中に飛び込んだ。
「幸せだな、って」
突然のぼくの行動に凪斗さんは呆けていた。それがまたおかしくて、笑いが止まらない。
「お父さん、かっこわるい、って言われちゃうね」
呟いたぼくを凪斗さんは仕返しのつもりかぎゅうぎゅうと抱きしめる。きついけれど、それも、また幸せだなぁって思えた。
「ね、皆になんていおうか」
楽しそうに、呟いたぼくの言葉に、凪斗さんも同じように笑った

「ボクはまことくんに幸せにしてもらうよって」
「ふふふふ、じゃあ、凪斗さんはぼくが責任をもって幸せにしますっていえばいいかな?」

「子供のことまでいったら、何人かに殴られそうだなぁ」
「頑張ってね、お父さん」









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