砕けていく世界の破片を眺めながら、カムクラは眠るように気を失っている苗木の身体を抱いていた。それは、彼女が蒔いたプログラムだったのだろうか。それとも外でアルターエゴが下した判断だったのだろうか。どういう理由であったとしても、カムクラにとってはどうでもいいツマラナイことであったのだが。
 どちらにしろ、結果は同じだ。プログラムの消滅と同時に苗木の意識を外へと戻す。そうすれば、苗木は元の現実に戻ることが出来る。
 心配することなど何もない。歪みは正される。ここに苗木がいること自体がイレギュラーなのだ。
全てが終わったのだ、と同時にカムクラは理解していた。
このプログラム内部に存在するバグやそれから生じる問題だけではなく──今のこの関係すらも。
今のこの時間は、カムクラに与えられた猶予期間なのかもしれない。その、猶予期間が終わる時、カムクラと苗木は違う景色を見るのだろう。苗木は現実に戻る。全てを引き摺るという彼の言葉通りに彼女も、カムクラも彼は忘れないだろう。
「……忘れてほしかったのですが」
 そっとその小さな身体を抱き締める。この温もりもきっともう最後だ。カムクラは苗木のこの暖かさが嫌いではなかった。彼がそっと触れる時、そこにじわりと違う感情を抱いていたことなど、きっと苗木は知らない。
希望と絶望の果てにある終わりに残るものなど、誠は知らなくていい。
カムクラはそう心の中で呟いた。
 どのくらいそうしていただろうか。
 見える世界はもう既に、景色を失いかけていた。酷く近い所に見える月は印象的だけれども、それもまた彼女が残したバグの一つなのかもしれない。天が落ちてきたようにも思えるそれを、カムクラは眺めていた。
「……イズルくん?」
 苗木の目がゆるゆると開く。ぼうとした声はまだ覚醒しきれていないそれだ。そんな幼さすら残す彼をこうやって見るのも最後なのだ。
「おはようございます、誠」
「おはよう……ってなにこれ」
 身体を起こして、苗木は目覚めた。そして、周囲を見回してその顔色がさっと変わる。確かに、苗木は彼女が消えてから気を失ったのだから、この現状を見ていなかった。
「この世界が元の世界を取り戻そうとしているだけです」
 強制シャットダウンの後に、内部のスキャンがされる。そこで全て消えてしまうのだろう。この世界の異物。残された、ウイルスのような存在。
 カムクラもその中の一つだ。
「……戻れないの?」
「強制的なシャットダウンを起こせば、戻れます」
 あの時も強制シャットダウンで苗木は外へと出た。しかし、あの時と今回ではその中身は少々異なっている。
 以前のものは、あくまでプログラムに従った強制シャットダウンだ。パソコンで例えて言うならば、コントロールキーとシフトキーを押しながらエスケープキーを押すような。
 けれど今回のは、停電でいきなり電源が落ちるようなものだ。バッテリー残量が残っている間は稼働しても、それが切れると結局、電源が切れてしまう。
そして今の猶予期間は、その例えでいうとバッテリーを消費している時間だ。残量が切れてしまえば、電源が戻らない限りパソコンは起動しない。そして、電源が戻ることはない。一旦全てをリセットして、内部を消し去る。そして、その後で起動させたとしても、今現在このプログラムにバックアップは存在しないのだから、本当にこれが最後なのだ。
「……イズルくんはどうなるの?」
 苗木が問い掛ける。その瞳が告げる。否定して欲しい、と。
 苗木もきっとわかっているのだ。カムクライズルという存在が消えることを。
「消えますね、この世界ごと」
 けれど、現実は変わらない。カムクラももうこの世界と共に消える覚悟を決めている。そうしなければ、この世界は終わらない。完全に終わらせなければ、今回のようにきっとまたプログラムの中の彼女の残滓が現れるだろう。
 後顧の憂いは絶たなければならない。そのためには、本当に全てを消し去らなければならないのだ。
 データはデータとして消えなければならない。どう足掻いたとしても、現実の存在になることは出来ないのだから。
「っ、七海ちゃんみたいに、他のパソコンに移れば」
 七海千秋は現状、日向のパソコンの中にいる。画面の中の恋人、といってしまえば陳腐な表現だけれども、二人は二人で幸せそうだった。苗木が言うのはそういうことだ。誰か──日向のパソコンに七海がいる以上、苗木のパソコンということになるだろうが──の元へと身を寄せる。実体はなくともその存在は生き続ける。
「それも可能でしょう、しかし」
 カムクラもデータの存在に過ぎない。カムクライズルというデータの中に彼女の残滓が紛れ込んでいないという保証はない。
「この世界と、僕が消えてしまえば彼女はもうきっと現れない」
 淡々と言うカムクラに苗木は泣きそうに顔を歪めた。
 カムクラの言うことを聞いて、それでもいいから、なんて言えなかったのだろう。彼女を消す。そのために、苗木はここにいるのだから。
 ある意味で彼女は苗木にとって一番特別とも言える。その感情が、時に、羨ましい。
「イズルくんが消えるなんていやだよ」
「……死ぬわけじゃありません。僕は消えません。誠、あなたの記憶に残る。あなたの心の中で生き続けます」
 そういっても、苗木の表情は戻ることはない。寧ろもっと、歪んでいくだけだ。
 その表情を見ながら、どうせ最後ならば笑顔がみたいとカムクラは思う。哀しい表情は、それがカムクラに対する好意を示しているのだから嫌ではなかったけれど、カムクラが好きなのは苗木の何も考えないで浮かべる、笑顔だったのだから。
「一時の猶予を与えられただけです、時間のないこの世界の中で。猶予は永遠ではありません」
「でも、」
 苗木には認められないのだろう。そんな苗木を、カムクラは純粋に好ましいと思う。
 カムクラは苗木の手を握る。苗木もその手を握り返した。触れた指先から伝わる温もりも、最後だと思うと寂しい。
「猶予は終わります、さよならをしましょう。誠」
 カムクラは、出逢った頃の苗木を思い浮かべた。希望ヶ峰学園。『希望』と『幸運』として出逢ったけれど、その形はどんどん変わっていた。今は同じ『希望』だけれども、苗木の希望とカムクラの希望は違う。
 皆が真実求めるのは、苗木の希望だ。だから、カムクラはここで消えても構わない。
「……イズルくん」
 ぱらりと世界のかけらが落ちていく。もう、そこはただの空間に近い。
「笑って下さい。僕はあなたが笑う顔が好きでした」
 そういえば、苗木ははっと目を見開いて小さく呟いた。
「そんなこと一度も言ってくれたことなかったのに」
「言う必要性を感じませんでしたから」
 淡々とそういえば、苗木はそっと笑う。
「……ズルいよね」
 突然世界が揺れる。落ちる破片は、今までぱらぱらといった様子だったのだが、その振動で大きいものが落ちて下で砕けた。がしゃん、と砕けた破片が飛んで、カムクラの頬を掠める。
「イズルくん!」
カムクラの頬から流れる血を見て、苗木が悲鳴にも似た声を上げた。
揺れは治まることなく、破片は下で砕けて散らばっている。
それを見ながら、カムクラはそっと口を開いた。
「……ここもそろそろ危険です。誠、はやく彼の所へ」
 彼、の言葉に少しだけ表情を曇らせて苗木は小さく俯いた。そして、瞳を伏せて呟く。
「……もうちょっと、いさせて」
 苗木がカムクラの手を握る力を強めた。
「……」
「もう、少しだから」
 カムクラは答えなかった。小さな沈黙。
 暫くの後、沈黙を破ったのは苗木だった。
「イズルくんは、覚えてる?」
「出逢った時のことですか?」
 何を、と聞かなくてもカムクラにはわかっていた。今、このタイミングで苗木が覚えてる?と問うのは、きっとその時のことぐらいだと思ったからだ。
 果たしてそれは当たっていた。
 苗木は少しだけ驚いたような顔をして、そして笑う。
「うん、はじめはイズルくん何考えてるのか全然わからなくってちょっと怖かったなって」
「……」
 学園で、カムクラのいる部屋へと苗木は迷い込んできた。その時苗木は、幸運にも監視の目に引っかからなかったのだろう。カムクラのいた部屋はどこよりも厳重に守られていたはずだったから、突然の侵入者を、なんの目論見かとカムクラは考えていた。
 けれど、苗木が真実ただの迷い子だと知った時に、希望ヶ峰学園の警備体制に疑問をもったものだった。
 そして、ほんのすこしの邂逅は終わりを告げた。
 しかし、その一月程後に、二人は再会する。今度は、希望ヶ峰学園の指示の元、『超高校級の希望』と『超高校級の幸運』として。
 最初の邂逅が最後にならなかったのは、カムクラと苗木、どちらにとっての幸運だったのだろうか。
 それから、幾度か──多いのか、少ないのかわからないほどの時間を二人は重ねた。苗木が話し、カムクラが聞くということが多かったけれど、不思議と苗木の話を聞くのは苦痛ではなかった。ツマラナイ、と言えば苗木は困ったように笑うことが多かったようにも思う。
そして、絶望が溢れ、事件がおこり、逢うことはなくなった。次にあったのは、江ノ島盾子の死後。『日向創』として、未来機関に保護された時だった。苗木にはその時、カムクラに対しての記憶はなかった。そして、それを思い出したのは、あの修学旅行の後だ。
けれど、カムクラはずっと覚えていた。彼を取り巻く環境が変わる中、出来ればカムクラの知る『苗木誠』でいてほしいとそう思っていた。そしてその願いは叶っている。もう普通とはとうに言えないような苗木だが、その中身は出逢った頃となんら変わらないものだ。
「誠は全然変わらないですね」
 カムクラがそういえば、苗木は小さく笑った。
 それでいいと思った。苗木は笑った顔が一番似合っている。
 本来なら、普通の人生を歩むはずだった彼が、今、ここにいるのは不運故か幸運故か、それはカムクラの知り及ぶところではないのだが、苗木がここにいること。それはカムクラにとってはきっと幸運なのだろう。
 また、大きく揺れた。周囲を見れば、もう地面もどんどん崩壊しているのが見える。
「……」
「時間、だね」
 苗木が困ったように笑う。泣きそうなその顔は、きっとさっきのカムクラの言葉を覚えているのだろう。無理やりに作ったとわかりきった笑みに、カムクラは何も言わずただ頷いた。
 与えられた、猶予期間の終わり。それが、二人の最後だともうカムクラも、そして苗木もわかっている。
 けれど、握る手はまだ離れない。
「……忘れないよ、」
「ええ」
「イズルくんと出逢った時から、今、この瞬間まで、ずっと」
 そうしてカムクラは生き続ける。もう一人の日向創としてではなく、一個人、カムクライズルとして苗木の中でずっと生き続けるのだ。
 そして、苗木はずっと抱えこんで生きていくだろう。
「僕も忘れません」
 誠のこと。
 そう言えば苗木は嬉しそうに笑う。
この世界が消えて、全て消えた時にカムクラの意識がどうなるかなんてわからないが、きっとそれは死に似ているのだろう。その瞬間まで、ずっと苗木誠という存在を抱えてそして消えていくのは、それはそれで幸せなような気もした。
「……さよならを、」
「うん」
 最後は笑顔で。そう思って、カムクラも口端を少しだけ持ち上げた。苗木の笑顔には涙が伝う。
 握られた手はまだ離れない。握る手の強さを、苗木はどうおもっているのだろうと思い。けれど、そっと胸の中に仕舞いこむ。
 考える時間は、きっとそれなりにあるだろう。答えは知らなくてもいいことだ。
「さよなら、」
「……さよなら、イズルくん」
 その言葉が鍵となったのか、苗木の姿はそこで光に包まれて消えてしまった。握っていた手に残された温もりに、カムクラはそっと呟く。
「ずっと一緒にいたかった、なんて」
 けれどそれは認められないことだ。向こうも許しはしないだろう。苗木の過保護な保護者達と、後一人──苗木が特別想う彼は、全てを捨ててでも苗木を取り戻そうとするだろう。
「……でも、これでいいんです」
 こんな闇に満ちた世界は苗木には似合わない。
 彼がいるべきは、未来──希望の光に満ちた世界なのだから。
 月も消え、苗木も消え、もうそこには何も残ってはいなかった。
 真っ暗な世界、カムクラは一人、苗木の消えた方向へ向かってぽつりと呟いた。
「……さよなら、誠。愛してました」
 決していうことのなかった言葉。いおうとなんて思っていなかった。苗木が他の誰かを想っていることを知っていたこともだったが、何より伝える必要性を感じなかったからだ。
 いつからだった、というならばきっと最初から。あの日、希望ヶ峰学園で『超高校級の希望』、『超高校級の幸運』として出逢った時の興味がそのまま愛へと昇華した。
 だから今回のバグは、ある意味でカムクラが望んでいたことだったのかもしれない。
話したい。一緒にいたい。その温もりに触れたい。そんな、他の何にも抱かない欲を、カムクラは苗木にだけは抱いていた。
「……もうすぐですね」
 終焉の時が近づいている。カムクラはそっと瞳を閉じた。
 そうして思う。きっと、苗木は忘れないだろう。忘れて欲しいと思う心も本物だけれども。忘れられず、苗木の心の中で生き続けるのもそれはそれで悪くないと思う。
 
『イズルくん』
 
  その声を。
  その言葉を。
  その温もりを。
  その──全てを。
 
世界が終わる瞬間、カムクラの脳裏には愛しい想い出だけが広がっていた。
 




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