ちょっと出てくるね、そういって苗木は買い物に出かけた。
もう九月だというのに外はまだ暑い。腕に持った買い物袋の重みも相俟って、更に暑いような気がする。
幸運なことに、偶然いったスーパーがセールをしていた。ここぞとばかりに何も考えずに買い込んでしまったけれど、こんなことなら彼をつれてくれば良かった。はあ、と一つ息をつく。
苗木のほうをちらりとみただけで、何も言わずに涼しい部屋で本を読んでいた同居人の事を思い出す。
思い出したらなんか腹が立ってきて、食べるかな、と思って買ったちょっとお高めのアイス(彼は意外と甘いものが好きで、贅沢にも値段の高いアイスを好む。そりゃまあおいしいけど)は自分で食べてしまおうと心に決める。たまには普通のも食べればいいんだ。
そんなことを考えながら、苗木は玄関のドアを開けた。開いた隙間からひやりと涼しい風が吹いてきて、あ、またこれ温度下げたな。と心の中で呟いた。
寒いほうが好きなのか、暑いほうが嫌いなのかはわからないけれど、彼は気がつくと冷房の設定温度を最低
へとかえてしまう。苗木は普通の体質だから、そんなに低いと逆に寒いのだが、彼は何度言っても聞いてくれない。だからいつも何も言わず温度を上げて、そうしたら彼が温度を下げて。と大体堂々巡りに陥るハメになる。
はあ、と溜息をつきながら、苗木は部屋に入った。まず最初にクーラー止めよう。
「ただいまー」
そう一言言ってから、重い荷物を手に廊下を歩く。返事が返ってくることも、手助けも期待していないけれど、やっぱりただいま、とおかえり、はちゃんとしたいものだ。
リビングのドアは薄く開いていて、そこを開くと想像していたような冷たい空気がどっと廊下へと流れていった。
荷物を取り敢えず机において、彼がいた場所へと目を向ける。
「……寝てる」
本を手にしたまま、彼は眠っていた。こんな寒いところでよく眠れるものだなぁ、と感心したが、風邪なんてひかれたら大変だ。どうせその看病をするのは苗木しかいないのだから。しょうがないなぁ。はぁ、と溜息を一つついて、苗木はそっと傍にあったタオルケットを彼にかけてやることにした。
無駄に行儀がいい寝方だ、と彼が寝ているのを見る度に苗木は思う。
温度を28度に設定して、買ってきたものを定位置へとしまう。
そうして全部片付け終わったら、今度は洗濯物だ。今日は天気が良かったからよく乾いているだろう。
どうせなら布団まで干せばよかったとも思うけれど、後の祭りだ。また今度天気の良い時見繕って干せばいい。
部屋に戻って、洗濯物を畳んでそれぞれのタンスにしまう。
一通り終わって時計を見たら、まだ三時過ぎだった。
夕飯の支度には早すぎる。けれど、どこかに出かけるにはちょっと遅いような気がする。
ううん、と悩んで苗木は取り敢えず彼の隣に腰をおろした。
テレビをつけて、チャンネルをぱちぱちとかえる。よくわからないテレビショッピングや、苗木の趣味ではないドラマなんかを見る気にもなれなくて、一通りに目を通した後、ぷつんとテレビの電源を切った。
そして、よく眠る横の同居人へと視線を映す。本当に身動き一つすらしない。それがいつもだったらいいのに。
整った顔。真っ黒な長い髪と、今は閉じられてるけれど、瞼の奥はうさぎのように真っ赤な目。
ちょい、と髪に触る。あまり気を使ってるようにも見えないのに、彼の髪はとても綺麗だ。女性陣が何使ってるのか聞いてきて、と苗木に言うぐらいには。自分できけばいいのに、と思ったけれど、彼女たちの迫力に押されて苗木は彼に聞いた。解っていたけどその時の返事は「貴方も使ってるじゃないですか」だった。
結論として、『超高校級の希望』は髪の毛まで『超高校級』なんだろう、と落ち着いたけれどよくよく考えて見れば、『超高校級の髪の毛』ってなんなんだろうか。
そんなふうに、髪の毛でちょいちょい遊びながら考え事をしていた苗木は、ちょうどいい温度のせいか、少しだけうとうとし始めて、そしてそのうちいつの間にか眠ってしまっていた。
ふと、意識が浮上したのは、近くにある気配に気付いたからだ。
すぐそこにあったそれに気付いて手を伸ばすと、そこにはちょうどいい抱き心地のものが転がっていた。
ぎゅう、と抱きしめると、ぺったりとした暑さが気になった。それは不快なものではないけれど、快適ではない。
だから、軽く目を開けて近くにあったリモコンに手を伸ばして温度を最低まで下げた。
冷たい空気が流れてくる。そこにある温もりをぎゅうぎゅうと抱きしめながら、これでいい、と再び目を閉じた。
ごはん、作らなきゃ。と苗木は眠りから目覚めた。
こんなに寝入るつもりはなかったのに、と時計を見るともう七時前だ。
何を作るかも決めていなくて、もう今日はカレーでいいかな、と冷蔵庫の中身を思い出す。
そうと決めたらはやく作らなければ。そこまで考えて、身体を起こそうとした時に苗木は気付く。
ぎゅうと巻き付く二本の腕。苗木の温かさがうつっているのか、いつもは少し低めの温度が丁度いい。
「……」
丁度いいけど、ちょっとどころか大分邪魔だ。結構がっちりとしがみついていて、身体を起こすことが出来ない。
「……イズルくん」
小さい声でぽそりと呟く。多分寝てるんだろう。彼はよく寝る。頭をよく使う弊害なのだろうか。頭のいい人は大変だ、と思うけれどもそれとこれは別の話だ。
「イズルくーん」
カレーを作るのは楽だけど、それなりに時間はかかる。中々起きないし、腕も離れない。もう素麺でいいかな、と苗木は一つ溜息をついた。文句をいったら、そっちのせいだろ、と言ってやろう。彼が食事にケチをつけたことはないけれど。
「イズル、」
「煩いです、誠」
名前を呼ぶ途中。閉じられていた瞼が薄く開いて赤色が覗いた。
離してよ、と目線で訴えかけるも、また彼は瞳を閉じてしまう。多分食欲よりも睡眠欲が勝っているんだろう。
けれど、苗木はそれなりにお腹が空いている。素麺でいいとはいっても、しっかりおにぎりを作って食べるつもりなくらいには。
「ごはん」
「……」
「おなかすいた」
「……」
「ねぇ」
「……煩い、です」
苗木の声に、再び彼はゆるく瞳を開いた。薄く開いた瞼の奥の赤色と目があう。
眠そうな、ゆるゆるとした声が、それが本当なのだと表しているようで。
「僕は、眠い、です」
どんどん、その瞼が閉じていく。ゆるゆると赤い瞳が見えなくなっていく。
「一緒に、寝ましょう」
そして最後にそれだけ言って、彼はぎゅうと腕に力を込め、また目を閉じた。
もう、放してくれる気はないのだろう。寝てもいいけれど、どうせだったら解放して欲しかったな、と呟くけれど、完全に眠りに落ちた彼にはきっと届かない。
一つ息をついて、まあいいか、と思う。明日も休みだ。一食抜いても、平気だろう。
そう考えて、苗木は傍にあったリモコンで少しだけ温度を上げる。
そして、再び身体の力を抜いて、彼の腕の中でそっと瞳を閉じた。
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