狛枝凪斗にとって一等大切なものはいつだって兄だった。
それはもう気付けばそうだった。理由なんて考えたことはない。
その時は気付かなかったけれど、それは確かに兄弟愛であり、家族愛であり、恋情であり、狂気なのだと今ならば分かる。
全ての感情が兄に向かい、その全てで兄を求めていた。兄が欲しかった。
だから、凪斗は兄のいうことを盲目的に信じているし、兄の望むことならなんだってしなければならないと思っている。
兄はいつだって正しいし、嘘なんてつかない。兄のいうようにして、間違っていることがなかったこともそれに拍車をかけていた。
世界は自分と兄だけでいい。それだけで完結していたって構わない。他の人なんて必要ない。
それこそ、自らをこの世に生み出してくれた両親すら時に厭わしいと思うぐらいに兄だけを必要としていた。
兄だけが、凪斗の世界のただひとつの光で神様のくれたたった一つの導なのだ。
凪斗はずっとずっとそう思って生きていた。
どこまでも兄にべったりな凪斗を皆同様に可愛い子どもだと認識していたし、凪斗もそういう風に振舞っていた。
けれど、その内面が兄への盲目的なまでの愛と執着で凝り固まっているとは多分誰も知らない。
きっと兄ですら、少し行き過ぎた兄弟愛の延長線だと思っているのだろう。
けれど、それでよかった。可愛い弟。兄離れの出来ない甘えたな子。
そういう認識があるからこそ、凪斗のすることを、兄への執着を、否定するものはいなかったのだから。
そんな凪斗の世界は、両親を亡くした時も変わることはなかった。
薄情だと、人はいうだろうか。それでも、凪斗には悲しいという感情が生まれなかった。
寧ろ兄がいるからそれでいいと、兄と一緒にいられるということに喜びさえ感じていた。
残された二人の子供に寄せられる声は殆どが同情だったけれど、その中にはそうではない言葉も勿論あった。
それを凪斗は兄の手を握りながらただ、聞いていた。幼いからわからないと思っていたのだろうか。
幼い子二人残して、遺産が、酷い事故で、誰が引き取るの、そういえば、気持ち悪い、あの子の──
凪斗はその言葉で傷つくことなんてなかったけれど、それでも、兄はその言葉を聞きながら唇を噛み締めていたから。
言われていることが決して優しいものではないと凪斗は知った。その中に、凪斗に対する悪感情が含まれていることも、同時に。
だから、凪斗は兄と二人でいっそどこかへ行きたかった。逃げてしまいたかった。兄がここにいて傷つくのならそこから連れ去ってしまえばいいと思った。
兄の手は温かくて、凪斗はそれだけで満たされていたけれど、兄は違うと、それだけではダメなのだと凪斗は震える兄の姿を見て始めて知ったのだ。
だから、自分が兄を守ろうと思った。この優しく包み込むようなただひとつの光を失ってはならないと、きっと失くしたら凪斗はダメになるとそう思っていた。
「なぎと」
兄はそういって名を呼んだ。誰が呼ぶよりも、凪斗は兄が呼ぶ柔らかな響きが好きだった。
強く手を握って兄は凪斗を真っ直ぐ見て。それからぎゅっと抱きしめてくれた。
たった一つ、残されたもの。きっとそれは神様が凪斗に与えた幸運で希望で光だったのだろう。
凪斗にとって兄の存在は、この先を生きていくのに必要なかけがえのないものだった。
それは凪斗の唯一で、だからこそ凪斗は柔らかなただ心の中で笑っていた。
兄がいる。ただ、それだけで良かったのだ。
他には何もいらない。世の中の言う当たり前も幸せもいらない。
不幸な子だというならいえばいい。他の誰が否定しようとも、凪斗は心底自分自身のことを幸運だと思っていたのだ。
辛いことがあれば、兄は抱きしめてくれた。優しく言葉を紡いでくれた。
ただ、兄がいる。それが、凪斗の思う、一番の幸福だったのだ。
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