最近、何か気になることでもあるの、と霧切さんに聞かれたのがそもそものはじまりだった。
顔色が悪いわよ、健康管理はしっかりしてちょうだい。霧切さんの言葉はもっともなことだった。
確かに、最近はいろいろと忙しくって食事や睡眠が疎かになっていた自覚がある。
大丈夫だよ、ごめんね。とボクがいうとあなたの大丈夫はあてにならない。とばっさりきられてしまった。
どういっていいかわからなくて、困った顔をしていただろうボクに、霧切さんは心配そうに尋ねる。
「あのひとたちのことがきになるの?」
「…うん」
霧切さんのいうあのひとたち、とは今も島に残っている日向クンたちのことだ。
絶望を乗り越え、未来へと進み始めている彼らのことが、今のボクにとっての最優先事項だった。
未来機関に対する隠蔽工作、彼らのこれからのこと──考えることはいろいろある。
霧切さんはいつものように「そう」と答えて、それからまるでお医者さんのようにボクへ質問を投げかけた。
島にいきたいの?あのひとたちにあいたいの?なにをはなしたいの?──そんな、質問にボクは思うままに答えていく。
質問の数が二十個を超えた段階で、霧切さんは哀れむようにボクをみて、それから深く溜息を吐いた。
そして、「すきってことでしょう」と、静かに霧切さんが呟いた。
──すき…、すき?
「…っえ?」
さっきの話からどうしてそうなった。
霧切さんの中ではもう推理が出来上がってしまったらしい。
だけど、その推理の結論だけ言われても、ボクは自分自身のことなのに理解が出来なかった。
そんなボクに、霧切さんはいつもの涼しげな表情で事も無げにこういった。
「あなた、恋をしてるのよ」
「…きりぎりさん?え?こい?」
大分具体的になったその言葉もボクの頭はうまく認識してくれなかった。
こい?こいってなんだ?濃い?鯉?故意?
こい、という単語が幾つも頭にうかぶ。それだけで、頭がいっぱいになってしまう。
霧切さん、何を言いたいのかボクにはわからないよ…。
そんな心の声が霧切さんに伝わったのだろうか。霧切さんは呆れたように溜息を吐いた。
そして、ボクの目を真っ直ぐ見つめて決定的な言弾をボクへと放った。
「あなた狛枝凪斗に恋をしているのよ」
それからあとのことをボクはよくおぼえていない。気がつけば与えられた自室のベッドに横になっていた。
しっかりとお風呂も入って、着替えも済んでいる。
無意識って凄い。と考えてしまったのは、多分現実逃避のせいだ。
だって今もぐるぐるとボクの頭の中に霧切さんの言葉が回っている。
すきって、すきってことだよね。
狛枝凪斗、は狛枝クンのこと。
…狛枝クンは大切な人だ。
元々、学校にいる時に同じ【幸運】ってだけでなんの才能もないボクに狛枝クンが会いに来てくれたのがはじまりだった。
それから、いろいろあって、仲良くなった。学年は違うけど七八期生の皆と同じくらいの時間を過ごしてたような気がする。
狛枝クンはいつもボクにとって優しい先輩であり友達だった。
それは未来機関に入って、狛枝クンに再会した時も例外じゃない。
絶望の残党だって信用したくないくらい、ボクに対しての狛枝クンはあの頃と変わらなかった。
そして、この間、目覚めた狛枝クンに会いに行った時も同じように思った。
仲の良い友達だから、会いたいって思うのも普通、だよね。一緒にいたい、って思うのも普通…だよ、ね?
手を繋いだ時、自分より大きな手がぎゅっと握りしめてくれると安心するのも、大切な友達だから。
頭を撫でてもらったり、大丈夫だよ、ってやさしく笑うのをみるのがすきなのも、特別な先輩だから。
「ボクが、狛枝クンを好きって…」
当然のことだ。狛枝クンは大切で特別な友達。…だから、ボク、が狛枝クン、に…恋、してるとか…。
ないない!とぶんぶんと大きく首をふる。
だって、すきって、一緒にいたいとか、傍にいたいとか、だけじゃなくって。
(触れたい、とか…きす、したい、…とか)
──と、そこまで考えたときにぶあっと顔が熱くなった。
多分今鏡をみたら凄く赤くなってるという自信がある。
「…え、え?」
恋をしてる、って意味の『すき』と、友達に対する『すき』の違い。
ボクにとっては、触れたい、とかキスしたい、とかそんなものだった。
つまり『恋人らしい』行為をしたいか、したくないか。
キス、だったり、抱きしめること、だったり、もしかしたら、そう。その先も──。
そう、考えた時、ボクの心臓は痛いくらいにどきどきとはねた。
つまり。つまり、つまり──?
(…いやじゃない、んだ…多分)
寧ろ、したいのかもしれない。ということは、ボクは本当に狛枝クンのこと──。
そう考えるととてつもない恥ずかしさが込み上げてきた。
どうも落ち着かなくって首を振ってみたり、ほっぺたを叩いてみたりするけど、効果はない。
多分、霧切さんは全部わかってたんだろう。ボクがこうなってしまうことまで含めて。
だから多分、あの場では全部を言わなかった。ボク自身に考えさせるように、あんな言い方をしたんだと思う。
あの時からずっと一緒だったから知っていたはずなのに、改めて彼女の慧眼に感服する。
『超高校級の探偵』である彼女は彼女の思考から導き出される最良の行動をとる。
つまりこれは、そろそろ、自覚しなさい。っていう霧切さんからの言葉なんだ。
「ボクは、狛枝クンが、すき──」
ちゃんと、言葉に出してみるとそれは事実としてすとんと胸におちてきた。
同時に、泣きたくなるぐらいのいろんな感情が込み上げてくる。
それが多分恋ってものなんだろうって、ボクは思った。
***
ボクは狛枝クンがすきだ。それはつまり、恋愛感情って意味でのすきってこと。
狛枝クンとボクはずっと仲の良い友達だった。だから多分、嫌われてはいないと思う。
頭を撫でてくれたり、手をつないでくれたり、後ろからぎゅっと抱きしめられたり、ってことを考えると、狛枝クンもボクのことを特別に大切な友達だと思ってくれてると思う。
でも、それが狛枝クンにとって、当たり前かもしれないし、もしかしたら懐いてくるボクを邪険にできないがためのあやしかたかもしれない。
そんな風に、表に見えてるものが全部正解ってわけじゃないから、どこまで本気でとっていいかもよくわからない。
誰かに抱く思いとその誰かから返される思いが決して同じものじゃないように。
ボクがどんなに狛枝クンのことを好きでも狛枝クンはそうじゃないかもしれない。
考えだすときりがないから、ボクはボクにとって一番やさしい「特別な友達」という選択肢を選んだ。
だから、ボクと狛枝クンの関係を聞かれた時は取り敢えず「友達」だって答える。
それだけは多分ずっと変わらないことで、狛枝クンも否定しないってわかってるから。
でも自覚したばっかりのボクは、やっぱりボクのことしか考えてなかった。
霧切さんが気付いてくれた時のように、結局大事なことは人に言われないと気づかないんだ。
自覚をしてから、何度目かの島への訪問。ちょっとだけ、自分の感情を制御できるようになった頃。
狛枝クンへの恋心を認めたあとのボクは、すきだというおもいと、それを隠そうとするきもち、狛枝クンに対する欲求といつもどおりにしようという思い、友達らしく接することがぐるぐるしていて、大分挙動不審だった自信がある。
事情を知ってる霧切さんと朝日奈さん──ちょっとしてから、女の勘を舐めるな!と笑われた──がいろいろとフォローをしてくれたから助かったけれど、十神クンには怒られるし、葉隠クンにすら注意されるし散々だった。
日向クンにも心配される始末だ。大丈夫だよ、といったけど、多分納得してないんだろうな。顔を見たらそう言ってた。
大分、今ではいつもどおりの言動ができてると自分では思っている。
おもいが小さくなったというよりは、なれてきたということなんだろう。
狛枝クンに話したいことがあるっていわれて、狛枝クンの部屋に誘われた。
感情が暴走していた時だったら自分が何をしてしまうかが不安で、二人きりになることも避けたと思う。
でも今は、前よりずっと自分の思いが落ち着いているのがわかる。
良かったと思う。だって、誘われてるのを断るなんて、それは、「友達」の距離じゃない。
だから、ボクはいいよ、と笑って答えた。
「…ね、苗木クン…ボクのこと嫌いになったの?」
狛枝クンの部屋の中に入って扉を閉めた瞬間に、狛枝クンはくるりと身体を反転させてボクのほうに向けた。
かち、と音がした後で、狛枝クンはがしゃん、と扉に片手をついた。
そのせいで、狛枝クンと扉の間にボクは挟み込まれることになる。
少しだけ、狛枝クンが前のめりだったから、ボクは両肩を扉に預けるようにして距離をとった。
狛枝クンの笑みの消えた顔が目の前にある。
す、ともう一つの手──狛枝クン自身の右手がボクの頬に触れる。
少しだけ温度の低いそれが触れた瞬間ぶるりと震えた。
「…苗木クン、答えて。ボクのこと、嫌いになった?」
「狛枝クンのこと、すきだよ」
少しだけ固く低くなった声に、ボクは首を振って否定の言葉をかえした。
嫌いになんてなれるはずがない。すき、ということば一つすら、軽く言えなくなってしまったけど。
「そっか、」
ぽつ、と狛枝クンは呟いて笑う。今にも泣きそうなそんな笑顔を見ていると締め付けられたように胸が痛む。
狛枝クンの触れている指がボクの頬を撫でると、そこから熱が生まれるみたいに熱くなってきた。
「こ、まえだくん」
「ヤダ」
できれば手をはなしてほしい。もっといえば、この体勢から開放してほしい、というボクの願いは口にする前に狛枝クンに一言で切り捨てられた。
「だって、ボクがここから動けば、苗木クンは逃げるでしょ?」
「逃げ──」
逃げない、という保証はなかった。
だって、こんなにも頬が熱い。心臓が痛い。
「やっぱりね」
狛枝クンは寂しそうに笑う。
「苗木クン、最近ボクのこと避けてるよね?」
「こまえ」
「ダメ」
ボクの言葉を遮るように、狛枝クンは笑ってボクの口を塞いだ。
それはまるでボクの言葉なんていらないというように。
浮かんだ笑顔はボクに対する牽制だ。言葉よりも雄弁にその笑顔が告げる。
肯定の言葉なんて聞きたくない──と。
「避けてるよね?避けてたよね?ボクが触れようとするとするっと逃げるし、一緒にいこうっていうと、他の人と約束があるからってことわる。これって避けてるってことだよね?優しいキミは多分嫌いって直接いえないから、いつもどおりを装ってたけど、無意識的にボクを避けてたんじゃないかなぁ。…まあ、ボクはキミといつまでも一緒にいることができるなんていう幸運がずっと続くはずないって考えてたし、それに、『超高校級の希望』であるキミが昔だったらいざしらず、絶望の残党になってしまった救いようのないボクなんかをすきでいてくれるなんて、そんなこと有り得ないってわかってたけど。……でも残念。ねぇ、苗木クン。キミは知らなかったと思うけど、ボクはずっとキミがすきだった。キミがボクのものであればいいって、そう思ってた。でも、友達として一緒にいるのも嫌いじゃなかった。寧ろ、告白して今の関係を壊すのが嫌だったんだ。だけど、キミが離れるっていうのなら、ボクは絶対に逃さないよ。苗木クン、言ってる意味、わかるかな?」
ボクを見つめる狛枝クンの目には、今までみたことのない色が浮かんでいる。
欲を孕んだその瞳の奥に見えるもう一つの感情に、ボクは自分の選択が間違えていたことを知った。
ボクの行動が、狛枝クンを傷つけていた。それが無意識だったにしろ、意識的だったにしろ、どちらにしても結果は変わらない。
こんなに好きなのに、嫌いだと思われてることがショックで。でも、それに対して狛枝クンが傷ついてることが、嬉しいと思った。
だって、それってすきってことだよね?──同時に、こんなときでも、自分のことしか考えていない自分が嫌になる。
すきだって、いってしまおう。
友達でいることを自分自身で願ったくせに、可能性があればその考えを一転させるなんて調子がいいと自分でも思う。
でも、前向きであることがボクの取り柄だし、と自分に言い訳をして、両手で狛枝クンの手を口元からずらす。
狛枝クンの力は結構強いけれど、少しずらすだけでいい。そう思ってたけれども割とすぐに口は開放された。
「それは違うよ」
「…何が違うっていうの?苗木クン」
狛枝クンの形のいい眉がぴくりと動く。不機嫌そうな声が少し怖いと思ったけれど、全部自業自得だ。
狛枝クンからの好意に甘えていたボクが悪い。
「キミはボクがキミのことを嫌いだって思ってるっていったけど、…ボクはキミがすきなんだ。…避けてたかもしれないけど、それは、えっと、自覚したばっかりで…ボク自身ちょっと普通じゃなかったって、いうか…」
ボクがぽつぽつと呟いていると、狛枝クンは信じられないものをみるような目でボクのほうをみていた。
「…こまえだくん?」
名前を呼ぶと、一瞬だけ身体をびくっとさせて、大きく首を振る。
「信じられない」
「…ボクのこと、信じられないの?」
「そんなことない!…でも、こんな幸運有り得ない」
さっきまでの迫力が嘘のようにわたわたと狼狽える狛枝クンを見ていると、少しだけ余裕が出てくる。
「…ね、狛枝クン、…ボクは狛枝クンのことがすきなんだけど…キミは?」
そういって、笑うと、狛枝クンも同じように綺麗な顔で笑った。
その顔をみて、やっぱり好きだなぁ、と改めてボクは思った。
***
いわゆる、「恋人同士」になってから、もう三ヶ月がたった。
あれから、ボクも狛枝クンも結構いろいろ緩んでいたみたいで、注意されることが格段に増えた。
十神クンなんか、結構かりかりしてて、特に怒られる。
だけど、皆、よかった、っていってくれた。もう大丈夫な顔してるねって。大分多くの人に心配をかけさせてたのだなぁと、今更実感する。
そして、ボクと狛枝クンの関係は、というと、大して変わってはいない。
よく考えてみると、ボクたちは「友達」というには、大分接触が多かったと気づく。
それをいうと、霧切さんからは、「今頃気づいたの」という呆れの言葉と大きな溜息を頂いた。
最初はそれでもよかった。
すきだというおもいを伝えること。二人で共有すること。
狛枝クンの言葉から伝わる狂気を孕んだ愛が嬉しくて、多分そのときはそれで満足できた。
でも、よく考えてみると、ボクが最初に自覚した時の望みは、そういう風に触れ合いたい、だったはず。
それに気づいた時、ボクの中で「キスしたい」という具体的な欲求が生まれた。
「苗木クン?」
「え、なに?」
更に何度目かの島への訪問中。ボクは夜大抵狛枝クンの部屋に泊まることになっている。
今日も多分に漏れず、狛枝クンの部屋にお泊りだ。
一つしかないベッドに、二人で寝転がりながら話をしていた時だった。
ぺたんとおでこに狛枝クンの手が触れる。
ボクより少し体温低めの大きな手に触れられるのがボクは好きだ。
「ん…熱はないみたいだね」
「大丈夫だよ?」
「だって苗木クンの顔いつもよりちょっと赤いから」
でも、大丈夫ならよかった、と狛枝クンがふわりと笑う。
その瞬間に、ボクの心臓はどきどきとうるさいぐらいなりだした。
キスしたい。
それだけを考えながら、狛枝クンの肩に手をかける。
何かをいってるような気もするけど、よくきこえない。
触れた唇はカサついていて、手と同じように少しだけ体温が低い。
確かに触れたことを確認して、そっと目を閉じる。
触れたところから伝わる温度が気持ちいい。
そっと顔を離して、狛枝クンをみると、呆然とした表情でただボクをみていた。
「こまえだくん?」
「…苗木クン」
名前を呼ぶと、小さな声がかえってきた。
そして、ぱちりと目が合う。
その目には、あの日にみた、確かな情欲の色が見えた。
「キミが、煽ったんだよ…?」
狛枝クンは薄く笑って、ボクの両肩に手をかけた。
そのまま、ぐっと、ボクに覆いかぶさるようにして、顔を近づける。
あれ、と思っているうちに、唇に触れた感触。それはさっきのキスの時と同じものだった。
狛枝クンの睫毛が目に映る。そこでやっと、キスしてるんだ、と自覚した。
ちゅ、ちゅ、と何度か触れ合う唇が気持ちよくって、ボクも目を閉じる。
「ふふ、くすぐったい」
啄むような、軽いキスに思わず笑ってしまう。
そっと、狛枝クンの舌がボクの唇に触れた。
唇の縁をなぞるように動く狛枝クンの舌に、開ければいいのかな、と薄く唇を開いた。
その隙間から、舌が入ってくるというはじめての感覚にぞくぞくと背筋が震える。
口の中で自分のものではない唾液が自分のそれと混ざり合って、顎を伝う。
歯の裏や歯茎をなぞるようにして、舌が動く。
そして、頬に触れる狛枝クンの吐息に、ボクは自然と声が漏れていた。
「ぁ、 」
一旦離れた唇が名残惜しくて、ボクは思わず不満気な声をあげていた。
その声に、至近距離で狛枝クンは満足そうに笑って「舌出して」と小さく呟く。
そしてまた、唇を重ねる。
今度ははじめから狛枝クンの舌が捩じ込まれるようにして入ってきた。
舌を出して、といわれたけれど、よくわからないから取り敢えず舌を前に出してみる。
おずおずと出したそれに狛枝クンの舌が触れた。そして、ボクの舌は吸われ、啄まれ、嘗められて、その度に声が漏れる。
それを恥ずかしいなんて思う余裕を狛枝クンはくれなかった。ボクはただ、狛枝クンから与えられる快楽に溺れていただけだ。
再び唇を離そうとした時には、互いの唇を唾液の糸が繋いでいた。
それがぷつりと切れたのをみても、ボクのぐらぐらと揺れる思考はまだ、快楽を求めていた。
キスをしたい。
抱きしめて欲しい。
じゃあ、その次は──。
そんなことを考えながら狛枝クンをみると、さっきよりずっと情欲に塗れた顔つきになっていた。
多分、ボクも同じような顔をしてるんだろう。
「苗木クン」
狛枝クンがボクの名前を呼ぶ。
ボクはただ黙って頷いた。
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