頬に何かが触れて、苗木は目を覚ました。
端末と睨めっこをしているうちに眠っていたようだ。データの一部が意味不明な文字の羅列でできている。
とりあえず一時保存。中身は後から見なおせばいい。
「起こしてくれてありがとう、……ひな、」
感謝の意と、そして名前を呼びかけて。その時になって始めて苗木は違うと気付いた。
姿形は日向創だけれども、違う。
纏う雰囲気や、その視線、触れ方。それらは、苗木の知る日向のどれとも重ならない。
見た目は確かに日向だ。けれど、日向ではない。
ひゅう、と息を吸う ── それが誰かを、苗木は知っていた。
「カムクラくん……?」
震える声で呟くと彼はにこりともしないで頷いた。
「お久しぶりです、誠」
「どうして」
掠れた問い掛けに、カムクラは小さく首を傾げる。
「創が寝ているから僕が出てきただけです」
簡潔過ぎる答えに、苗木は少しだけ考える。
つまりは、カムクラは日向創の一部として存在しているということだろうか。
「それも間違いじゃないでしょう」
「え、っと」
「誠の思考を読むことなんて簡単です」
答えは答えとして提示はされなかってけれど、一応当人からの肯定意見は貰えたようだ。
ひどく穏やかな目をしたカムクラを見ながら、苗木はぼうっと寝起きの頭で考えていた。
久しぶり、だ ── 本当に。
あの、コロシアイ修学旅行で一度あったけれど、あの時には苗木はカムクラの存在を知らなかった。
──というよりも、苗木自身カムクラのことを思い出したのは割と最近のことだったからだ。
奪われた記憶は徐々に思い出している。その中には件の七七期生達との思い出もあった。
優しい思い出、懐かしい思い出 ── それらを思い出す度に、改めて自身の選択は間違っていなかったのだと思えた。
その中に、カムクラの記憶もあった。
狭い白い部屋で出逢った、先輩の話。まさか、あの本物の『超高校級の希望』と、苗木の知るカムクラくんと、日向創が同一人物だと改めて思った時には頭を抱えたものだ。
それぐらい、苗木の中での印象は異なっていた。
「誠」
苗木の思考を咎めるように、カムクラは少しだけ表情を歪めて名前を呼んだ。
その声は、やはり日向のものとは違っている。
苗木にとって、元が同じだろうがなんだろうが、日向創とカムクライズルは違う人間だ。
同一人物だと知った今でも、それは変わらない。
だって、彼らは全然違う。声の響きも、纏う雰囲気も、態度も。
だから、日向が目覚めた時は喜んだけれど、記憶を取り戻した時に、同時に酷く寂しさを感じた。
日向が目覚めたということ、身体の主となったこと。それは即ち、カムクラが ──。
「誠、まこと、僕はここにいます」
くるくると廻る思考へとおちはじめた苗木の頬に手をあてて、カムクラは至近距離で呟いた。
その瞳をみて、苗木はゆっくりと息をついた。
「……うん、カムクラくん、だ」
ふにゃりと微笑んだ、その瞳には涙がうっすらと滲む。
ほっとした。嬉しい。よかった。
そんな感情が今頃になって苗木の中に浮かび上がる。
そっと目を伏せて、苗木はカムクラの服の端を握った。
二度と逢えないと思っていた人。お別れも言えないまま離れてしまった友達。
苗木は日向を大切な友人だと思っていたけれど、やっぱりその姿を見て心が痛むことはあった。
知らなかったとはいえ、カムクラを消してしまったのは自分自身だと、そう思っていたから。
日向か、カムクラか。
知らずのうちの天秤は、日向を選んだ。
どちらが主になるかは賭けでしかなかった。それでも、あの時の苗木が願ったのは日向の存在だ。
目覚めるのは、"日向創"であればいい ── あの時の願いは、カムクラに対する記憶を思い出してからは、抜けない刺になった。
日向か、カムクラか ── 日向を知り、カムクラを知る苗木にとっては選べるはずのない、二者択一。
けれど、あの時の苗木はカムクラを知らなかった。故に日向の目覚を願った。
結果として日向は目覚め、カムクラは消えた。そのはずだった。
「ツマラナイ」
笑顔を歪めて、また思考の海へと沈んでいた苗木を拾いあげたのはカムクラのいつもの口癖だった。
伏せていたその瞳をカムクラへと向けるとカムクラは呆れたように息をついた。
「誠はいつも前向きなくせにこういうくだらないことばかり考えこむのですね、本当にツマラナイ」
ツマラナイ、ツマラナイと呟きながら、苗木に対するその声はどこか優しい。
頬に当てた手はそのままで、もう片方の手で苗木の手を上から包み込む。
確かに感じる温もりは、あの時と同じもので、それがまた胸をうつ。
「僕はここにいます。創の中に確かにいます。まだ、ちゃんと接触を持ったことはないですが、無理なことはないでしょう」
つらつらとカムクラは呟く。その中身は、会話というには圧倒的に言葉が足りておらず、苗木の頭をただ滑っていくだけだ。
相槌を打つことすら出来ず、苗木はただその言葉を聞いていた。
「誠、あなたは僕に対してツマラナイ罪悪感を抱いてます」
「僕が何を言ってもあなたは聞かないのでしょうし」
「だったら簡単なことです、元を断てばいい」
「……元を、って」
どういうこと、と苗木はそっと視線で問いかける。
カムクラは一つ息をついて、なんでもないように答えを返した。
「僕があなたの傍にいれば問題はないでしょう」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す苗木へと、カムクラは更に言葉を重ねる。
「創と接触が持てるなら、僕が表に出ることも容易いはずです」
今、こうやってカムクラがカムクラとして存在している、それが何よりの証明になる。
淡々と言葉を紡ぐカムクラを、苗木は呆然とした顔で見つめていた。
「つまりは、」
その呆けたような表情の苗木にカムクラは微かに微笑んだ。
「誠にそんな顔をさせたくなかっただけです」
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