一人きりだった旅に、道連れが出来てそれなりの時が経った。
魔王ルキメデスを封印するための旅、と一言で言ってしまえば簡単だけれども、そこにはそれなりの事情があり、それ故にクレアシオンの精神はその年の少年にしては非常に屈折していた。
絶望に染まり、その中で自身の目的を果たすためだけに生き続ける子供に、道連れとなった青年はクレアシオンがなくしたたくさんのものをくれた。
そんな相手に、惹かれないはずはなかった。
なくしたもの。欲しかったもの。
絶望に染まった世界の中で一筋見つけた光を手にしたように、クレアシオンはただただ彼へと依存していった。
だから、彼が他に誰かを想っているということ。
それをクレアシオンは理解も納得もしていたけれど、それでもそれを受け入れるには、余りにもその依存が深すぎたのだ。




「……"ロス"って、誰だ」
アルバが小さく息を呑んだ。
「……言えない」
真剣な目をしてぎゅっと唇を引き結んだ彼を見て、クレアシオンの頭につけた青い炎がゆらりと揺れた。
それが気に食わなくて、クレアシオンは尚も言葉を紡ぐ。
「お前は誰を見てるんだ」
「…………ごめん」
再度の問いかけにも返る答えはない。
申し訳無さそうに謝罪をするくらいなら、真実を口にすればいいだけなのに、彼は決してそうはしない。
彼はいつでもそうだった。
初めて逢った時から、彼は名前も、出身も、何一つ自身のことを語ろうとはしなかった。
呼ぶ名前がなければ不便だと、勝手に名前をつけようとしたら、彼が勝手にツッコミの果てにぽろりと零したせいで一応名前は知っているけれど。
それも彼にとっては、望むところではなかったらしい。はぁ、と溜息を尽きながら酷く落ち込んでいたからアバラを抉ってやった。
彼がどうして、頑なに自身のことを語ろうとしないのかを、クレアシオンは知らない。
だからクレアシオンが、彼について知っていることはとても少ない。
例えば、その身体に大きすぎる魔力を抱いていること。
例えば、遠いどこかに大切な人を残して来ているということ。
例えば、その大切な誰かが――クレアシオンによく似ているということ。
だからなのだろう。彼は、クレアシオンが何をしようと基本的にそれを許した。
そして、それは今も同じだった。
くしゃりと顔を歪め、そして、すぐにいつもの困ったような笑みを貼り付ける。
自身の感情を悟られまいと、作り物じみた仮面を付けたのだろうが、それも無駄なことだ。
ゆらりと揺れる頭部の炎が、アルバの心情をクレアシオンへと伝えてくれる。
なんとなくはわかっていたけれど、その反応で確信する。
アルバが遠い場所へと残してきた大切な相手が、ロスだ。
逢ったこともないロスを、クレアシオンは胸中で呪った。
そうして同時に、感謝する。
きっとアルバの大事なロスと、クレアシオンはよく似ているのだ。
だから、アルバは見捨てられない。拒絶できない。
クレアシオン自身でも酷いと思うこと──罵声や暴力、そして執着と独占欲。
それらを、アルバは許容した。馬鹿じゃないのか、と思ったけれど、彼に対する感情が変化し始めてからはそんな許容範囲の広さへと浸けこんで、その優しさを利用した。
その目がクレアシオンを見ていなかったとしても、それでも、今傍にいるのはクレアシオンなのだ。
だから、いつかは、きっと。
そんな短絡的な甘い願いを、心に抱いていた。
いつか絆されてくれればいいと、そう思っていたのに。

じぐじぐと痛む胸の理由――初めて自覚した日のことをクレアシオンは思い出していた。


疲れがたまっていたのだろう、木に背を預けアルバはすうと目を閉じた。
起こすのも気が引けて暫くは放置していたが、いくら待ってもアルバは目を覚まさない。
野宿をするにしても、このままでは辛いだろう。一旦起こそうと思い、クレアシオンは声をかけた。
「アルバ」
反応はない。規則正しい寝言を聞いてると、起こすのも可哀想な気がしてくる。
起きてる間ならば、何をいってもあのツッコミが返ってくるのが楽しくて割とぞんざいな扱いをしてしまうけれど、好きな相手だ。大切にしたくないわけではない。
本当ならば、寝かせてやったままで、クレアシオンが身の回りのことなどをやってやれれば一番いいのだけれど、しかし、クレアシオンとアルバの身長は大して変わらない。
無理なことはないだろうが、
「ほら、いい加減起きろ」
アルバの寝起きは悪くはない。珍しいな、と思いながらその細い身体を揺さぶる。
それに反応したのか、と軽くむずがった後、アルバの瞼が薄く開き、黒と赤の二色が見える。
やっと起きたか、と息をつくと、その手が軽くクレアシオンの服を掴んだ。
焦点の定まらないそれが、ぼんやりとクレアシオンを映し出す。
『……ろす?』
寝ぼけていたのか、アルバはいつもとは違う無防備な顔でそう呟く。そして、ふわりと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
『あいたかった』
それは初めて聞く、音だった。
初めて知る、感情だった。
たった一言。その中に込められたアルバの心を、クレアシオンは一つ残さず理解した。
だから、その言葉を聞いたその瞬間、思い知らされた。
アルバの中の、"ロス"の立ち位置と。
クレアシオンの中の、アルバの立ち位置を。
――そして、決して"クレアシオン"は"ロス"には敵わないということも。
特別で、きっと誰よりも心を許す相手なのだろう。こんな、無防備な表情を見せるぐらいだ。
顔も知らないそんな相手に、抱くのはどろりとした負の感情だ。
そのせいで、頭部の炎がゆらゆらと揺れる。
惹かれているのは知っていた。好きなのだと、そう思ってもいた。
けれど、ずっと一緒にいることが出来るはずがないことも、クレアシオンは知っていたのだ。
クレアシオンと、アルバの目的は違う。
クレアシオンは、魔王を封印することが目的だった。その為に、ずっとここまで旅をしてきたのだ。
それを遂げれば旅は終わる。そうすれば”勇者クレアシオン”の物語は終わる。
そして、彼がいつかいなくなる人間だということも、なんとなく理解っていた。
彼がどうしてここに留まり続けるのか、クレアシオンは知らない。そこにはアルバなりの理由があるのだろうけれど、何も言わないから、だから知らない。
それでも良かった。好意を寄せる、初めて出来た頼ることの出来る彼と、少しでも長く一緒にいることが出来るならそれで良いのだと甘い考えを抱いていた。
けれど、クレアシオンはここになって初めて気付いたのだ。
もう、クレアシオンにとって、アルバが失うことの出来ない存在になっていることを。
他の誰を見ていようと、構わない。
彼が、彼らしく、そこにいてくれたなら。
そしてその感情は時を経る毎に肥大していった。
膨れて、溢れて、クレアシオンの心を侵食し積り凝ったそれが溢れ出るのは、時間の問題だった。
そうして、その瞬間が訪れたのが今だった、ただそれだけのことだった。

「なぁ、アルバ。どうしたら、お前をオレのものに出来るんだろうな」
アルバは何も言わず、その二色の瞳でクレアシオンを真っ直ぐに見つめている。
そこに浮かぶ感情は薄い。きりと結ばれた唇も、凪いだような二色の瞳も、クレアシオンにその心の内を知らせてはくれない。
それでも、魔力は誤魔化せない。頭部の炎は先程よりも強く、ゆらゆらと揺れている。
これがクレアシオンの感情だけではないことを、クレアシオン自身は理解っていた。
その中身まではわからないけれど、それはきっとクレアシオンが望むものでないだろう。
きっと彼はクレアシオンのものにはならない。こうしている時でさえ、アルバの心の中にいるのは”ロス”なのだ。
想像の中の”ロス”へと、宣言するように、口を開く。
「……もう、ずっとオレのものだ」
呟いて、クレアシオンは歪んだ笑みを浮かべた。
そうして、持っていた剣を高く掲げて振り下ろす。
――そして、その瞬間、閉ざされていたその唇が小さく動いた。

『――ごめんね、   』

掠れた最期の言葉。聞き取れないそれを聞こうと(だって彼の言葉はひとかけらでさえ逃したくはない)、クレアシオンは耳を欹てた。
――その瞬間、世界は暗転する。













ぱちん、と視界が弾けて目の前の鏡の向こう側に誰かの姿が見えた。
そのうちの一人は探していたはずの自分の勇者である。
不思議なこともあるものだけれども、ここは彼が閉じ込められていた牢である。その魔力がどう反応したとしても不思議ではない。
今直ぐあの場にいって、脱獄してどこにいってたんだと、あのアバラを抉って足蹴にしてやりたい。
全く面倒ばかりかける、と息をついたけれど、本当は、彼の姿を見つけて心底安堵していた。
彼が留まっていたはずの牢から消えてからというもの、シオンはずっと繰り返し一つの夢を見ていたからだ。
繰り返し、繰り返し。悪夢のように見るそれに、意味があると思いたくなかった。
だから安堵して、そしてある事に気づき、ぞくりと背筋を震わせる。
この光景を、シオンは知っている。
視点は違うけれど、確かにみたことのあるものだ。
二人の間に流れる空気はまるでぴんと張った糸のようで、シオンはそれを断ってやりたかった。
だって、シオンの記憶が、知識が正しいならば、この先の結果は一つしかないのだから。

何かを呟いて、子供が歪んだ笑みを浮かべた。そうして、持っていた剣を高く掲げる。
思わず、震える指でその鏡に手をついた。
シオンは思い出す。
夢でずっと見続けたあの場面が──目の前の光景が、遠い遠い過去にあった紛れもない現実だという事を。
シオンは、やっと、その時に思い出したのだ。
やめろ、と声にならない声で呟く。
やめてくれ──そんな声が届くはずもなく、その剣は真っ直ぐにシオンの勇者の胸を貫いた。
広がる赤に向こう側の子供は、どろりと濁った色をその赤い瞳に浮かべている。
欲しいオモチャを、けれど他の奴には取られないようにと自分で壊すような幼い独占欲と、それを満たしたという歪んだ達成感が、確かにそこにあった。
それを見て、彼は自分自身が貫かれているという緊急事態にも関わらず、ただ小さく優しく笑った。
流れる赤。それが致命傷であることをシオンは知っている。
けれど、彼はそれを治すことはしなかった。
貫かれた傷を塞ぐことなんて、きっと彼には造作も無いことだというのに。
それが出来るだけの力を彼は持っていたし、それを扱うだけの強さも持っていた。
けれど、彼がその力を使ってすることは、シオンが望むことではないのだ。

「ごめんね、しおん」

優しい声、それを最期に鏡はいつもどおりの今を映し出す。
そこには、あの歪んだ笑みを浮かべていた子供にそっくりな顔が映っていた。
それをみて、シオンは思い出す。
遠い過去で行われた自身の罪と、想い人の喪失を。




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