その日は久しぶりの晴天で。だからこそ、少年は少しだけいつもと違う一日になるかもしれないとそう思った。
晴れた日は清々しい気分になる。その日は、朝の目覚めも良く、目覚ましがなるよりもはやく起きることが出来た。
朝も調子は良かった。信号に引っかかることなく、学校へと行けた。
当てられた時は、どうしようと思ったけれど隣の席の男子がこっそりと答えを教えてくれた。
貸し一つだ、そう言った彼はいつもだったら、きっと見て見ぬふりをしていただろうに。
階段から落ちることもなく、空からゴミ箱が降ってくることもなく、落ち着いた一日を過ごすことが出来た。
こんな日は、寄り道してもいいだろう。そんなことを思っていつもとは違う道を選び、彼は歩いた。
何か、いつもとは違うことがありそうな。
何か、特別なことがありそうな。
そんな漠然とした予感を胸に抱きながら、彼はそのいつもとは違う道を進んでいた。
大きな公園の前を通り掛かるよりも、前。
「お兄ちゃん!」
後ろから聞こえてきた声に振り返る。
そこには二つ下の妹がいた。
そういえば、よくよく考えてみればここは見覚えのある場所だ。
そこの公園だって、思い返さなくても学校帰りに昔よく立ち寄ったところで。
「どうしたの?」
「なんでもない、よ」
特別、と言えば特別かもしれない。
ぽん、と彼は妹の頭に手を乗せる。
「ふうん?」
不思議そうに首を傾げた少女は、しかし、すぐに笑顔を浮かべた。
「久しぶりに一緒帰ろうよ、お兄ちゃん」
うん、なんて言うのも照れくさくて彼はただ妹の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
しかし、それで伝わったようだ。もう、と声を漏らしながら妹は嬉しそうに笑っていた。
二人、歩きながら他愛のない話をする。
同じ家に暮らしていてよくもそんなに話すことがあるものだと、以前誰かに言われたような気がする。
けれど、別に家でもずっと話しているわけでもないし、だからこそ話すことは沢山あると思うのだけれども、と首を傾げたのはいつのことだっただろうか。
お兄ちゃん、と少女が呼ぶ。
指差す先には、よく学校帰りに寄り道をしていた店があった。
こちらの道は高校に入学してから来ることがなくなったけれど、前の全く変わらないその様子がなんとなく嬉しくて少年は一つ頷いた。

店の中も昔(といってもまだ半年程しか経っていないのだけれども)とは変わらない。
暗い店内。そして店中に置かれた駄菓子の数々。
それを眺めながら、少年はあ、とあることを思いつく。
そうして、少しだけきょろきょろと視線を彷徨わせると目的のものを目にして、そちらへと手を伸ばした。
「なんか当たりそうな気がする」
そう言って、彼は昔よく買っていた十円ガムを手にする。
今日は特別なことが起こりそうな、そんな気がする。
そんな漠然とした予感を抱きながら、彼は一つこれ、と決めて奥に座る老婦へと硬貨を渡す。
「無駄だと思うけどなぁ」
くすくすと笑う妹が手にするのは、これもなつかしい小さなドーナツだ。
もぐもぐと食べるその手には沢山のお菓子が入った袋が下がっている。
「結構買ったな、お前」
そう言って笑えば妹はだって懐かしいでしょ?と袋を広げて彼へと見せた。
硬貨、一つ二つで買えるお菓子がそこにはばらばらと入っている。
懐かしい。確かに。そう思いながら、彼は昔のことを思い出していた。
「どうだった?」
にやにやと笑いながら妹は尋ねる。それを横目に彼はガムの包み紙をそっと開いた。
「……はずれ」
ちぇ、当てが外れた。なんて思いながら彼はガムを口の中に放り込んだ。
わかりやすく肩を落とした兄の姿を見て、妹は小さく笑う。
「本当お兄ちゃんって、そういう運ないよね!」
その妹の言葉に彼は頬を小さく掻いた。
確かに、運はない。
くじは当たらない。じゃんけんも強いわけじゃない。
だけど、自分自身は、楽しく毎日を送っている。
『不運』かもしれないけれど、それでも幸せだと、少年は考えるのだ。
手にしたガムを口に放り込み、妹と二人、店の老婦へと挨拶をして帰路を辿る。
中学校の時に歩いていた道を歩くというのは、まだ半年ほどしか経っていないのに、なにか違う気がして少年は少しだけ胸がつきりと痛んだ。
晴れた空。清々しい日差し。
何か特別なことが起こりそうだと思ったのに。
そう、思った瞬間にそれは起こった。
いや、起こったということも彼が自覚する暇もなく、彼の短い十数年の生涯はそこで閉じたのだった。


「……」
呆然と、少女は葬儀の終わった家の中でそれを見つけた。
兄宛の封筒。送付者は――。
びり、と彼女はその封筒を破く。
だって、それを受け取るものはいないのだ。中に何が入っていようが、少女にとってはどうでもいいことだった。
ぽいと捨てられた封筒。そこには、あの希望ヶ峰学園の校章が燦然と輝いていた。



「結局ダメじゃんダメダメじゃん!」
くすくす、と少女は嗤う。その視線の先にあるのは、パソコンの端末。そしてその瞳が見るのは、幼い顔をした平凡な少年だ。
「アンタがどんだけ可能性を探したって、結局のとこ、あいつがいなけりゃゲームは始まらないってことでしょ?」
少女の言う『あいつ』によく似た少年は画面の向こうではもう箱の中だ。
少女はずっと彼を見ていた。彼を、というよりも少女が何よりも特別に思う『何か』になるかもしれなかった可能性を。
『あいつ』じゃなくても、舞台に上がれるのではないかと。
けれど、結局ダメだった。彼はそもそも舞台にさえ上がることのない存在だった。
舞台へ上がれなかったその少年は、『幸運』にすらなれずにその命を散らしてしまった。
「私様が『超高校級の絶望』でなければならないように、私様の前に座る『超高校級の希望』も苗木じゃなきゃダメだってことでしょ?」
はぁ、もうなんかスッゴい絶望的じゃない?あんな平凡でなんの面白みもない苗木みたいな奴じゃなきゃ私と遊べないとか!
言葉と裏腹に、少女の漏らす息は官能的だった。ぎゅうと完璧なプロポーションを誇る自身の身体を抱きしめ、少女は嗤う。
「結局、苗木誠が苗木誠である限りあの『不運』からは逃げられないってことなんだから」
苗木誠の不運。それは、あの希望ヶ峰学園に『超高校級の幸運』として入学が決まったことと言ってもいい。
入学したから、あのコロシアイ生活に巻き込まれて。
入学したから、彼は『希望』になる。
「何度も何度も、繰り返されて。その度にリセットしてるんだもんねぇ」
どの可能性を覗いてみても、彼が本当に平凡な幸せを掴むことはない。
それが定められたものであるかのように、彼の命は、あのコロシアイ生活の中で無慈悲にも奪われる。
「ねぇ、こんなことしてたってもう何も関係ないって、アンタわかってんの?」
嗤う少女の視線が、パソコン端末から移動する。
その先にいた、青年は真っ暗な中、その赤い瞳だけが鈍く光ってみえる。
淀んだ色。その奥に見えるものを、けれど少女は興味がないから考えることはない。
彼女にとってそれが望むものならば、手を叩いて喜ぶのだろうが、そこにあるものは決して彼女が求めるものではないのだ。
「本当ツマラナイことしてるって、自分でわかってるんですか……?」
そんな言葉にも彼の瞳が揺れることはない。
その視線の前、再び目の前の端末は新しい『誰か』の可能性を映し出していく。
「だって、過去は変えられない。あんたのやってることなんて無駄にしかならないんですよ?」
くすくすと少女は笑う。
そう、全ては過去のことだ。
苗木誠が希望ヶ峰学園に入学したことも。
コロシアイ生活を生き残って外に出たことも。
そして、未来機関という組織に所属したことも。
そして――。
「ここでどんな結果が出たとしても、現実の苗木が目覚めるわけじゃないんだし」
「……」
「なんとか言えばどうなんですかぁ!もぉ、カムクラくんったらいじわるなんだからっ」
ぷんぷん、とわざとらしい声を上げる彼女へ彼が視線を向けることはない。
そんな彼をツマラナイと思ったのか、少女は呆れたようにため息をついて顔を歪めた。
「キミって本当ツマラナイよ!もうもう、どんだけ苗木クンのことばっか考えてるのさ!」
彼が何を思って、この『世界』の中で沢山の可能性を観察しているのか、少女は知らない。
考えれば理解るのかもしれないけれど、考える必要性も特に感じないから、だから《知らない》ままだ。
眠り続ける少年ならば、きっと知っているのだろうか。けれど、少女は、彼とあの少年の関係性を《知らない》。
オリジナルであった少女ならばこれすらも楽しめたのだろうか。けれど、それも詮無きことだ。
だって、そのオリジナルを模した彼女のかけらくらいは残されているだろうが、もうきっと別物になってしまった少女には名前すらない。
ただ、彼女が拘るのは、眠り続ける少年がいつか自分の前にたつことだけ。
それが、今の彼女にプログラムされたものなのだから。
色々なことを言ったけれど、結局なんの反応も得られずに、彼女はつまらなそうにまた息をつく。
そうして、何も言わずにその空間から姿を消した。
姿を消した少女にも、なんの反応も示さずにただその黒い青年はモニタだけを眺めていた。
そこにはさっきまでの少年とは違う誰かがまた動いて、そしてあの舞台に上がる権利を『不運』にも奪い去られて終わる。
「……どんな可能性であっても、結局世界の『希望』は彼しかいないということですか」
何度繰り返しただろう。どんな可能性を見遣っても、彼は結局『希望ヶ峰学園』という舞台に上がり、主人公となり、そして最後には世界の『希望』になるのだ。
彼はそれがいやだった。だから隠した。だから他の可能性を見つけようと思った。
彼が『超高校級の希望』と呼ばれるようになったのは、結局の所『超高校級の絶望』である彼女を倒したのが彼だからだ。
それならば、別に彼でなくてもいいではないだろうか。
そうして、彼はプログラムで『希望』を作ろうと思った。そうして、今ここで眠り続ける彼の代わりに『希望』として元の世界へと送ればいいとそう思っただけだった。
希望ヶ峰学園の叡智を結集して作られた存在である彼がそう思ったのなら、出来るはずだった。
そのために、残っていた残滓を集めて彼は『超高校級の絶望』を作り上げた。
次に、彼のデータと思考回路を少し拝借して、『超高校級の希望』を作り上げようとして、それはまだ敵っていない。
どんな可能性を作り上げても、苗木誠が『希望ヶ峰学園』に入学するというフラグが折られることはない。
他の誰にその入学通知を送っても、彼等がそこへと入学することはなく、最終的に七八期生の『幸運』は苗木誠になる。なってしまう。
そうしたらもうあとは過去をなぞるだけだった。
コロシアイ生活に巻き込まれ、絶望を撃ち倒し、未来機関へと入り、そして――。
「……誠」
一つ呟いて、青年は頭を振る。
ツマラナイ、と切り捨てることは簡単だけれども、きっとそうしたら彼はずっと戻ってこない。
ただ、前を向いて、自身の望みへと直走るしか、きっと道はないのだ。
その《前》が、どんなに歪んだ道であっても、もうそれを知る人はいないのだけれども。





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