「……お兄ちゃん、また来てね」
そうやって手を振る"妹"に見送られて"俺"は病室を出た。

エレベーターを見ると1Fのランプがついている。待つよりも歩いたほうがはやいだろう。そう思って"俺"は階段の方へ向かう。
その途中、出会した見知った顔は"俺"の顔をみた瞬間不愉快そうに歪んだ。

「久しぶりだな、罪木」
「……お久しぶり、ですぅ……」

彼女の瞳は、純粋な怒りと多分その手に刃物があればそのままここが殺人現場になるだろうほどの激情であふれていた。
けれど、場所が場所だから堪えているというところだろうか。

「……外に、行こうか」

話があるのだろう。推測でしかないけれど、多分彼女は"俺"に逢うためにここにきたはずだ。
"俺"の提案に、彼女は不服そうながらも頷いた。


***


病院近くの喫茶店。何度かきたその場所は、大通りからは少し入った所にあるためか、大体いつも空いている。
その落ち着いた雰囲気が好きなことと人がいないから少しぐらい騒がしくしても何も言われないということから、病院を抜けだしたときなんかはよく利用していた。
こうやって彼女とこの店で相対していると色々な事を思い出す──そんなふうに感慨深く、過去になってしまった思い出を懐かしんでいた。

「……狛枝さん、いつまで続けるつもりですかぁ?」

罪木さんが唐突に吐き出した言葉。呪いにも似た、怨念じみたその言葉はボクの行動を咎める言葉だった。
確かに彼女にとっては、厭わしいだろう。憎いだろう。
誰よりも愛しい恋人の振りを、誰よりも憎いこのボクがしているということが。
罪木さんにいわれて、改めて考える。
いつまで。いつまでだろうか。
"妹"──誠くんの記憶が戻るまで?それはいつだろうか。

「……さぁ、ね」

だん、と罪木さんはテーブルを叩いた。
答えを濁したボクを、罪木さんはまるでゴミ屑に向けるような目で見ている。
けれど、ボクは罪木さんに何をいわれようがやめようとは思わない。
どんなに最低で非人道な行為でもコレが、彼のため、彼女のためにできることだとボクは思っている。
それを、誰も望んでいないとしても。

「っ最低、です、狛枝さん……!あなたは、誠さんを騙してるんですよ……っ?!」
「わかってるよ、罪木さん」

彼女の指摘なんて、言われるまでもない。
最低だ。ボクは誠くんに嘘を吐き続けている。
ボクは、ボクを"お兄ちゃん"と呼んだ誠くんに否定をしなかった。
どうしてか、誠くんにはボクが"日向創"に見えているらしい。

だから、ボクは誠くんの前で"日向創"を演じることに決めた。
自己満足だとしても構わなかった。
少なくともそうすることで、誠くんはわらってくれる。
──ボクの行き場のない思いも少しだけ、満たされる。

「あなたが創さんになれるわけないじゃないですかぁ…!どうして、どうしてぇええ?」
「……どうしてって?」

ボクが日向クンになれるわけない。当然のことだ。
でもボクは日向クンになりたいわけじゃない。

「……誠くんを、よろしく、っていったんだ。日向クンは」

最期の会話を思い出す。最後の火を燃やすように、彼は絞りだすような声でただ離れ離れになってしまった妹のことを案じていた。
ずっと彼の話を聞いていたボクは知っている。日向クンがどれだけ誠くんのことを大切にしていたか。
そして同時に、誠くんにとっても兄である日向クンが失えないかけがえのない相手だということを知っていた。

「……今の誠くんは小学生だ。日向クンがいることが当たり前だった、」

残酷な真実を告げてしまえば、彼女は本当に壊れてしまうかもしれない。
それだけ、あの兄妹は互いが互いの特別で、唯一だった。
日向クンには罪木さんという恋人がいるけれど、それでも日向クンの心の奥の絶対不可侵の領域にいるのが誠くんという存在だ。それは、きっと罪木さんも理解っているだろう。
同じように、誠くんにとっても日向クンという存在は大きい──喪って、心が壊れかけてしまうほどに。

「彼の命を貰って生きるボクにできることがあるなら、ボクはなんでもするよ」

「それを本当に創さんが望んでるってあなたは考えてるんですか?」

きっと日向クンが見たら怒るだろう。俺はそこまでいっちゃいない、って。
それでも、ボクは決めたんだ。
あの日、誠くんがボクを見て「お兄ちゃん」と呼んだ瞬間に。

「……それでも、ボクは誠くんの前で日向クンを演じ続けるよ」

誠くんが、似てもいない"狛枝凪斗"を"お兄ちゃん"と呼び続ける間は、ずっと。


*