突き刺さるような真夜中の冷気は、一種の凶器ではないだろうか。いや、身を切り裂くような、というよりも身体の奥底まで凍らせるようなそれは立派な凶器だ――そんなことを考えながら男は夜の町を進む。月の見えない、新月の夜。街灯の味気ない光だけを頼りにふらふらと夢遊病患者のように歩く男は、たった一つのものを探していた。しかし、探しものをしているというのにその青い瞳が揺らぐことはなく、ただ行く先だけを見つめている。
男の探しもの――それは、たった一つの何にも代え難い宝物だった。大事に大事に仕舞っておいたはずのそれは、けれど気がつけば箱の中から消えていた。どこへいったのか、なんて検討もつきやしない。けれど、一度手に入れたそれを諦めることなんて出来るわけがなくて、男は世界中を探すことにした。
西へ、東へ。それらしき噂を聞けば、男はどこでもその噂のある場所へと向かった。そこに欠片でも可能性があれば、諦めることなんて出来ない程に大切だったのだ。
「またみたいね」
今日の朝刊を手にして、新聞部部長――小泉真昼は眉を顰めた。
巷で騒がれている猟奇殺人事件――血液が抜き取られて死んでいるということから、吸血鬼の仕業ではないか、なんていう噂も囁かれている――の新しい犠牲者が出たらしい。小泉のまた、という言葉の通りここ半年だけで四人――そのうち一人は昨日発見されたという――の被害者が出ている。その被害者等に年齢や性別といったわかりやすい共通点はない。脈絡もなく、ただ無差別に選ばれただろう可哀想な被害者達の顔が彼女の持つ三面記事に載っていた。それを横目で見ながら、日向は一つ欠伸をした。
吸血鬼の噂と、全身の血液が抜き取るという所業をただの人間がするということとどちらが非現実なのだろうか。ふと考えるが、答えは出ない。非現実という点において、どちらも大差ないからだろうか。最も、そんな猟奇的な犯罪を犯すただの人間が一番恐ろしいと日向は考えていたけれど。
さほど大きくはない町だ。話題はすぐに駆け巡る。娯楽がとくにない町だからこそ、次々と新しい噂は生まれては消えていった。最初の事件から半年がたった。最初に吸血鬼、と言ったのをきいたのはクラスメイトの話だったかテレビの話題だったか。どこか向こう側に聞こえるそれは、同じ町内で起こった事件とは言え、知人が被害者になっていないからだろうか。それとも犯行時刻として発表されている時間帯が真夜中だからなのか。どちらにせよ、だからこそ人は猟奇的事件が身近で起こっていたとしても無関係を貫き通せるのかもしれない。被害者達は揃ってこの町内の住人ではなかった。明日は我が身かもしれない――そう思いながらも、皆の話しぶりがどこか他人事のように聞こえるのはそのためだろう。まるでテレビの向こう側の話題を話すようなそれを不謹慎だと諌める人もいるけれど、その話題が今一番の話のネタになることも事実だった。
「全身の血が抜かれてたって、吸血鬼さんもお腹すいてたんでしょうかあ」
「何暢気なこといってんの、ゲロブタ!」
「ふゆう、ごめんなさいい!!」
「ほらほら、日寄子ちゃん、落ち着いて。そんなこと言っちゃ駄目」
「はーい」
「……でも、本当に吸血鬼っているんすかね」
クラスメイトの話を横耳を立てながら聞いていた日向は、首を傾げた澪田に心の中だけで『いるぞ』と答えた。
けれど、日向の知る吸血鬼は巷で言われているような残虐なものではない。事件に関係がないと言い切ることは出来ないが、加害者ではないことだけははっきりしていた。それは、最近毎晩真夜中の散歩に付き合わされている日向自身が証人だ。毎晩二時から四時頃の夜の散歩。それは、世間に発表されている犯行時刻と合致している。
欠伸が止まらないのは、寝不足のせいだとわかりきっている。それを言えば、散歩に誘う相手は申し訳無さそうに謝ることがわかっているから、口にはしないけれど。寝不足になろうが、なんだろうが日向は彼の助けをしてやりたいし、頼りにされたいのだ。それはある意味の罪滅ぼしでもあるかもしれないけれど。
今夜も多分、真夜中の散歩の誘いが来るだろう。そして日向はそれを受けるのだ。午後からの授業は寝ても構わないだろう。そんなことを考えて、日向はいつもの場所でサボろうと席から立ち上がる。
「日向、今から授業始まるわよ」
「……保健室行ってくる」
小泉の心配そうな顔に、手を上げて返事をすれば。
「だ、大丈夫ですかぁ?」
泣きそうな顔で罪木が呟けば、澪田も西園寺も同じように心配気な表情で日向を見ていた。日向は学校で身体が弱いということになっていて、保健室の常連になっている。確かに理由があってよく倒れるが、実際には健康そのものである。しかしながら、日向はそれをちゃっかり利用して保健室でよくサボっていた。
「ひ、ひとりで平気ですかぁ?」
ぶるぶると震えながら尋ねる罪木は保健委員としての職務を果たそうとしているのだろう。けれど、実際は大して身体が弱いわけでもなく、今だって単に眠いからサボろうと思っている日向はちくちくと罪悪感が刺激される。
「平気だ、罪木」
「ふゆぅ……無理はしないでくださいねぇ」
そんな罪木を安心させるように小さく笑って、日向は教室を抜けだした。
授業前の廊下はぱたぱたと人が溢れている。そんな生徒たちとすれ違いながら日向ははやくベッドで眠りたいと、保健室を目指した。
あの日――彼に出逢わなければ良かったのだろうか、と考えることがたまにある。かろうじて日常側に引っかかっていた日向を、非日常の世界へと誘ったのは紛れもなく彼だったのだから。しかし、きっと彼に出会わなくとも早かれ遅かれ非日常へと手を引かれていただろう。その因子を日向は生まれたときから抱えているのだから。
そう考えれば、彼に出逢い非日常の側へと落ちたのは僥倖と呼べることかもしれない。心臓には悪いけれど、命の危険性があるほどではない。そう思うぐらいには、出逢った彼を、日向は好ましく思っている。彼――日向の知る吸血鬼は、驚くほどに普通の少年だった。それこそ、吸血鬼という事実がたまに信じられなくなるぐらいに。
なんとなく眠れなくて、深夜徘徊していた日向と彼が出逢ったのは三ヶ月前。まだ、二人目の犠牲者が出たばかりで、出歩く人が減ってきた、そんな夜のことだった。
***
それは、曇っているわけでもないのに星の見えない新月の夜だった。秋から冬に移り変わるその季節の空気は、高をくくって薄着で出てきた日向を容赦なく攻撃する。上着を着てくればよかったか、と思ったけれど家に戻る気にもなれずに、日向は黙々と誰とも擦れ違わない通学路を進む。歩いていれば身体もあたたまるだろう――その考えは正しく、近くの公園についた頃にはもう寒さを感じなくなっていた。
この公園で昔はよく弟と遊んだものだ、と懐かしく過去を振り返る。日向とは比べるのも烏滸がましいほどに頭の良い弟は今や海外の大学へ行っている。同じ親から同じ日に生まれたのにこうも違うものかと思うけれど、もうなれた。未だに日向の大事なところを全部吸収して生まれてきた、という言葉だけは納得出来ないけれど。それぐらいにはプライドもきちんと持っている。けれど、確かに弟が人一倍出来がいいことは他でもない日向が一番よく知っていた。反抗心すら起きやしない。しかし、そんな弟の性格を多分一番知っていると思う日向でも、何が彼の琴線に触れて、海外へ行くことを決めたのかは知らなかった。なんでも容易くやってのける弟が、一つの学問を専門的に意欲を持って学ぶなど想像すらできない。最近では連絡も来ないから何をしているのかすら知らないけれど、元々弟は自分から連絡などをきちんとする人間ではなかったから不思議も思わなかった。便りがないのが元気な証拠ときくから、きっとなんとかやっているのだろうとは思っている。
そんなことを考えていたら、自分の世界へと入ってしまっていたらしい。不意にそこにいたらしい誰かの姿を視界に入れて、日向は驚いた。
時刻は午後三時。そういえば、あの事件の犯行時刻は大体この時間帯ではなかったか――しかし、その姿をきちんと目にした日向は自分の心に過ったものをただの杞憂と片付ける。日向を驚かせた誰かは明らかに少年で、どちらかといえば加害者よりは被害者に成り得そうな体躯をしていたからだ。後ろ姿からでもわかるほどに細い身体。まるで縊り殺せそうな程に細い首。白いシャツを着て、そこに立ち尽くす少年はどうみても、殺人者には見えない。
「……誰?」
す、と少年がこちらを向いた。その瞬間、杞憂と片付けたものの中に含まれていた違和感に気付く。
どうして月がないのに、彼の姿はあんなにもはっきりと見えているのだろうか。
白いシャツ。それに負けない程に白い肌。黒い線と、そして、こちらをまっすぐに見据える――金色の瞳。
そうとみとめた瞬間に、日向の頭が一つの欲望で埋め尽くされた。
様々な思考がぐちゃぐちゃに入り混じる――気持ちが悪い、そう思いながらもそれはたった一つの衝動へと収束していく。
「……―― 」
は、と荒い息を吐き出しながら日向はズボンのポケットにいれていたお守りに触れた。かちんと音がするそれを取り出して、日向は地を蹴り、少年のほうへと近づく。驚いたような表情をする少年の、ちょうど額にある黒い線。それに狙いをつけながら、日向は手に持っていたナイフを思い切り振り上げて線をなぞるように、刃を入れた。
「ッ、」
は、と日向は目を覚ました。眼前に広がるのはあの白い少年でも、夜の闇でもない。よく知った自室の天井だった。そこに広がった線もいつもどおりで一瞬顔を顰めるけれど、けれど夢だったことに安堵の息をつく。
けれど、白い肌に刻まれた黒い線を持っていたナイフでなぞった感触を、手のひらに溢れるどろりとした液体を――そしてそれだけでは飽き足らず、見える線の全てを刃物でなぞり、結果あの細い身体が細切れになってしまった様を日向は鮮明に覚えている。現実でなかったことに喜びながら――いやな夢だ、と一つ呟いた。
変わり映えのしない日常は始まる。時刻は――そう思って、首を横に動かした瞬間。日向はひ、と喉の奥で小さな悲鳴を漏らした。
「あ、起きたんだね」
嬉しそうに笑うその少年は、先程の夢に出てきた白い少年だった。笑えば更に幼く見えるなんて思っている場合ではない。最初に刃物を入れた顔面にはそれらしき跡はなかったけれど、細い首にはくるりと巻くように赤い線が引かれていた。パニックになって、ぱくぱくと口を動かす日向の前、少年はやや拗ねたような表情で、日向を絶望に叩きこむ言葉を口にした。
「痛かったな、通り魔かと思っちゃった」
次からは気をつけてね、というようなそこに怨嗟の響きは感じられない。けれど、夢の中の少年がここにいるということは、先程の夢は夢ではなく現実ということだ。表情を引きつらせて少年から瞳をはずすことのできない日向に、少年は何を勘違いしたのか、あわてたように首に手を当てた。
「ごめん、えっと痛かったけど大丈夫だから」
その言葉は、首の線の原因が日向であることと同義だ。けれど、日向の心中に気付かない少年は、慰めようとしているのか、安心させるように小さく笑う。
「あんまりなれてないことしたから、調子悪くて」
そのときの日向の心中は、様々な感情でぐちゃぐちゃに入り乱れていた。
殺人者にならずに済んだという安心感はそのまま、目の前の少年への恐怖へと推移する。確実に殺したはずの少年。間違いなんてありえない。細切れにされて生きている人間がどこにいるというのだろうか。世間の噂がそれに拍車をかけた――吸血鬼。どこまでも普通の人間にしか見えないその少年が、けれど人外であることだけははっきりとわかっていた。
「一つ、お願いを聞いてくれないかな」
眉を下げて、少年は呟いた。けれど言葉はするりと日向の頭をすり抜けていく。何やら説明をしていたようだったが、全くもって意味のある言葉として日向の耳に残ることはない。
「――だからさ、」
そこまで言って、少年はまるで悪戯を考える子供のような目で笑った。
「ボクを殺した責任、とって欲しいんだ」
***
そんなこともあったなぁ、と思いながら日向は目の前を歩く少年――苗木を見て考えた。
結局、今夜も真夜中の散歩は始まった。出逢った時のような新月の夜。午後からしっかり寝て、更に家に帰ってからも寝ていたお陰で今は眠気は殆ど無い。外の冷気で寧ろ目が冴えている気がする。凍えるような冷たい風に、身を震わせれば大丈夫?と苗木が振り返って心配そうに見ていた。苗木のほうがよっぽど寒そうな格好をしているが、あまり寒さは感じないらしい。
苗木誠――あの日、日向が十七分割にした少年。人ならざる、真祖と呼ばれる吸血鬼。あの日金色に見えた瞳は今は暗緑色に染まっている。どちらが本当の色か、と問えば苗木自身も首を傾げていた。そういうところは、普通の少年にしか見えない。けれど、分割されて生きている人間なんていないのだから、苗木は彼本人がいうとおりに正真正銘吸血鬼なのだろう。
日向が夢だと思っていたあれは、正しく現実で。倒れてしまった日向を、苗木は日向の部屋へと連れてきたらしい。どうして家がわかったのか、という質問には、意外と吸血鬼ってなんでもありなんだよ、と笑われた。日向の知る吸血鬼は、血を吸い太陽と大蒜と十字架が嫌い、というテンプレート的なものだったから、そんなものかと頷いた。もっといえば、太陽もなんか熱い、ぐらいだし、大蒜も匂いはキツイけど嫌いじゃないし、十字架も別にどうとも思わない、とのことでテンプレートとは宛にならないものであると、日向は思った。
そして目覚めた日向は苗木の顔を見るなり、再度気絶した。苗木は、日向と話がしたかったらしく、その後も根気強く待っていた。そして三度目の正直で目を覚ました日向とやっとちゃんとした会話をすることが出来たのだ。
曰く、最近この町で起こっている猟奇殺人事件は死徒と呼ばれる吸血鬼の仕業であるという。そして、それを処分するのが苗木の役目らしい。
殺した責任をとってもらうから、という苗木の頼みは、その吸血鬼を見つけるのを手伝って欲しいというものだった。それ以来、二日か三日に一回という割合で真夜中の散歩を繰り返している。しかし、日向がいない時も一人で出歩いているということを聞いてからは割合がやや増えた。ここ最近は毎日出歩いているのではないだろうか。そうだというのに、進展は捗捗しくなく、昨日などは出歩いていたにも関わらず、被害者が出る始末だ。吸血鬼を探すことが一番で、被害者のことなんて二の次だと思っていたが、苗木にとってはそうでもないらしく、今日被害者が出たことを告げれば目に見えてしょんぼりとしていた。それを見て、なんとなく抱いていた吸血鬼のイメージはまた変化した。
吸血鬼にもランクがあるようで、端的に言えば、生まれつきながらの吸血鬼――真祖と、血を吸われることによって吸血鬼になった吸血鬼――死徒がいるらしい。苗木曰くあの猟奇事件の犯人は死徒であるとのことだった。理由を尋ねれば、真祖は血を吸えば基本的には堕ちてしまうからだという。血を吸って吸血衝動を抑えられなくなった真祖は魔王と呼ばれ、欲望のまま人の血を啜るようになる。それを狩るために苗木はいるらしいが、じゃあなぜ魔王じゃなくて死徒だとわかるのか、と尋ねれば魔王が本当に事件を起こしているのだとすれば、被害はこんなものじゃ収まらないから、とあっさりと答えた。
「そもそも真祖の数は少ないから、すぐわかるよ」
そう言って笑った苗木の話を思い出しながら、日向は前を歩く苗木の首筋を見ていた。あの時よりもずっと濃く見える黒い線。それは、日向が生死の境を彷徨うような大事故に遭ったことを切っ掛けに見るようになったものだった。それを映す目は直視の魔眼というものらしい。以前は枯草色に近かった瞳の色は、その魔眼を持つと同時に透けるような青へと変化した。倒れやすくなったのはそれが原因だ。直視の魔眼は、その名の通り、死を見ることが出来る。黒い罅割のような線。それが万物の死であり、それに刃物をいれればそれは容易く死に至る。あまりにも恐ろしいそれに、けれど絶望に陥らなかったのはきっと弟のおかげだ。恐ろしい程の頭脳を持つ彼は、そういった非現実めいたことへの知識も豊富だったらしい。弟が対処法を教えてくれなかったら、どうなっていただろうか。考えたくもないから考えないようにはしているのだけれども。
「大丈夫?日向クン」
心配そうに振り返る苗木を見て、日向はぶんぶんと頭を振る。どうやら思考の渦に嵌りすぎて周りが見えていなかったらしい。悪い癖だとはわかっているけれど、どうにも治らないものである。
「大丈夫だ」
取り敢えず安心させるように笑えば、苗木は複雑そうな顔で、けれど小さく笑ってくれた。無理はしないでね、とその一言を呟いて。
「なかなか見つかんないな」
気がつけばはじめて苗木と出逢った公園に着いていた。きょろきょろと視線を彷徨わせて日向がそう呟けば、寂しそうに笑って苗木が答えた。
「なにもないほうが、いいんだけどね」
「……」
昨夜のことを思っているのだろうか。四人目の犠牲者は、ここから少し離れた空き地で発見されたらしい。先の三人同様、全身の血を抜かれて、だ。昨夜、日向達は真逆の地区を歩いていたのだから、仕方がないといえば仕方がないような気もするけれど、苗木は納得がいかないらしい。吸血鬼には吸血鬼同士何か感じ合うところがあるのだろうか。そう尋ねれば、一回死んでるから力が落ちてるんだよ、と若干質問とは外れた答えを拗ねたように呟いた。それに関しては全面的に日向が悪いので、小さく悪いと謝罪する。
苗木が日向に手伝いを頼んだのも、それが原因だった。苗木は真祖で、大層強い力を持っているのだが、日向に完膚なきまでに殺されたことでそれの回復に力の九割を割いている状態だという――傷口が塞がらなくてガムテープで止めていたのを見た時は面食らってしまったが。
それでも普通の死徒と比較すれば強いほうらしいけれど、何が出てくるかわからない。死徒にもピンからキリまでいる。真祖に対抗し得る死徒だって存在するらしく、だからこそ、直死の魔眼を持つ日向を苗木は頼ったのだろうけれど。
ふと感じた、誰かの気配。しかしただの人ではなく――苗木を初めて見た時に襲った感覚に似たそれに、日向ははっと視線を後ろへ向けた。壊れた街灯の下に、白い髪の男が立っているのが見えた。
――吸血鬼、だ、と心の中で呟く。苗木、と先を行く彼を呼ぼうとするが足も、唇も動かない。
「日向クン?」
異変を感じたらしい苗木も立ち止まり、日向の方を振り返る――その瞬間に、その幼い表情がさっと強張る。
「……」
「やっと、みつけた」
男が口を開いた瞬間に、張り詰めていた場の緊張感が緩んだ。その間に、というように日向は苗木へと問い掛ける。
「……苗木、知り合いか?」
日向の質問には答えずに、苗木はただまっすぐ目の前の男へと瞳を向けていた。
苗木と同じような白い肌。緑色のコートを着たその男は嬉しそうに笑う。
「苗木クン」
そう呟いて、男はそっと右手を握り締める。輝く青い瞳――苗木だけをそこに映して、ただただ幸せそうに男は笑っていた。やはり知り合いなのだろう。けれど、苗木の固い表情は、再会を喜ぶためのそれではない。きゅ、と唇を引き結んでいた苗木は一つ溜息をついた。
「……やっぱり狛枝クンだったんだね」
哀しそうな顔で、苗木が呟く。
「どうして」
「どうしてって……」
苗木の問いに、狛枝と呼ばれた男は首を傾げる。
「だって、苗木クンがどこかにいっちゃうんだもん」
情けない顔で狛枝は呟いた。まるで置き去りにされたような迷子のようなその顔に、けれど苗木の表情が緩むことはない。
「だから、餌があるとこならきっと苗木クンも来てくれると思って」
餌――その言葉に、日向は純粋な疑問を抱く。
「餌って、お前がやったんじゃないのか?」
吸血鬼による事件。苗木はそれを処分するためにこの町に来た。こんな狭い町に一匹も二匹も吸血鬼がほいほいいてたまるか、と日向は思う。だからこそ、新しく現れた吸血鬼――狛枝が犯人だと思ったのだけれども、彼の言い分を信じるならば違うらしい。
「やだなぁ、なんでボクが苗木クン以外の血を吸わなきゃいけないの?」
「……狛枝クン」
まるで馬鹿にでもするような口ぶりに、かちんとくる。しかし、日向が苦言を呈すよりも先に、固い口調で苗木が狛枝の名を呼んだ。
「アハッ、怒られちゃった、でもまあ役目は果たしたからちゃんと片付けたよ」
苗木クンの手は煩わせないから、とまるで褒めて褒めて、とでもいうように狛枝は犬のような笑顔を苗木に向ける。
「……片付けた、ってことはお前が犯人を」
「うん、処分したよ。もうこの町に殺人鬼は現れない」
日向の問いに、狛枝は肯定を示す。
その過程がどうであれ、日向はそっと安堵の息をついた。犯人が人でないことを知っていて、だからこそテレビや新聞、噂で流れる事件の話が真実でないことを日向は知っていた。完全に無差別なそれが、いつ自分の身に被害が及ぶかなどわからない。直死の魔眼という対抗手段を持っているとはいえ、日向自身はただの高校生だ。運動神経は悪くないと自負しているが、それでも一対一で勝てるか、と言われれば答えは否である。持っている刃で線をなぞるのだって、懐に入れなければ不可能だ。
「だから、苗木クン、帰ろう?」
嬉しそうな顔で、狛枝は笑う。
「もう、今のところ死徒が悪さをしてるっていうのは聞かないし、だから苗木クンの役目だっておしまいだ」
ねぇ、帰ろう?と手を差し出す狛枝に、苗木はけれど動かない。変わらず固い表情で、ただ狛枝を見つめているだけだった。
「苗木クン」
「……なんで、狛枝クンはボクをおいかけてきたの」
ぽつりと落ちた疑問に、狛枝は一つ小さな溜息をついた。
「……それはボクの台詞だよ、苗木クン。なんで、ボクをおいていったの。どこにもいかないって言ったのに、なんで苗木クン外に出て行っちゃったの?」
怒り、というよりは、拗ねているといったようなその口調は、まるで子供がぐずっているようなものだった。しかし、言葉の中身は全くそぐわない。
「折角鎖で繋いで、閉じ込めたのに」
狛枝の話を聞いていれば、この二人の関係がわからなくなってくる。狛枝は死徒で、多分苗木の部下、で。けれど、苗木を監禁して苗木が脱走したから、追いかけてきた、とそういうことだろうか。言葉にしても更にわからない。まるで現実逃避をするかのように思考に耽っていた日向を、しかし狛枝の言葉が現実に引き戻す。
「しかも、そんなおまけまでつけて」
おまけ、と言った狛枝の青い目が日向を睨みつける。
「……おまけってなんだよ」
「おまけはおまけだよ。二番煎じもいいとこだ」
「狛枝クン、」
狛枝の言葉を諌めるように、苗木は名前を呼んだ。しかし、狛枝は口を噤むことなく続きを口にする。
「その直死の魔眼で苗木クンを殺せたことは褒めてあげる」
でも、絶対許さないけど。
そう呟いて、狛枝はうっそりと微笑む。ひたりと真正面から日向を見つめる狛枝の青い瞳がゆらりと揺れた。口元には笑みを浮かべているくせに、けれどそこには暗い負の感情しか浮かんでいなかった。殺意と嫉妬、憎悪に塗れたその瞳は今や日向しか映していない。
どうして日向が苗木を殺したことを知っているのか、なんて疑問は浮かばなかった。ただ、青い瞳、そして日向の魔眼を言い当てたこと、二番煎じ、という言葉――そして、彼の持つナイフから一つの可能性に行き着いてぞくりと背筋が粟立たせる。
「でもさぁ、たかが人間が苗木クンと一緒にいるなんて烏滸がましいと思わないの?」
そして、ナイフを手にしたまま、狛枝は問い掛ける。そして答えも待たず、そのまま地を蹴って一気に距離を詰めた。振り被って、勢いをつけて薙いだ狛枝の攻撃を、紙一重で躱す。薄く裂けた皮膚から血が流れた。ち、と狛枝は小さく舌打つ。
その残念そうな表情から、先程の推測が確信に変わる。決定的な殺意を抱いて奮うナイフが傷つけようとしているのは、致命傷には成り得ない部位だ。少なくとも、あのナイフで殺そうとするのなら心臓や首といった致命的な急所を狙うしかないだろう。しかし、まだ逢ってどれくらいも経っていない日向でもわかる。あの殺意は本物で、狛枝は確実に日向を殺そうと刃物を振るっている――それはまるで、線をなぞるように。
「日向クン、狛枝クンもキミと一緒だよ」
苗木の一言で日向の中で確信に変わっていたそれが事実として確定する――狛枝も、日向と同じように直視の魔眼を持つものなのだということを。
「たかが人間と一緒にしてほしくないなぁ!」
苗木の言葉を聞いた狛枝は、あはははは、と笑いながらナイフを振り翳す。そこに躊躇いや逡巡などはどこにもない。本気で、日向を殺そうと刃物を向けていた。
「狛枝クン!」
苗木はもう一度、諌めるように狛枝の名を呼ぶ。狛枝は今度はぴたりとその手を止めてくるりと苗木を振り返った。愛しさと、喜びが溢れるその表情は本当に嬉しそうで、尻尾があればぶんぶんと振られているようなそんな気さえする。
先程までの殺気はなんだったのか、というような変わり様に、けれど日向は今更恐怖を感じてぺたりとその場に腰を落とした。同じ、能力。同じ、魔眼。死を見るそれは自身が持っているときには実に頼りがいのあるものではあるが、相手にすればこんなにも恐ろしいものかと本気で思った。
一分の気の緩みすら許されない。その刃が黒い死の線をなぞれば、それには確実に死が訪れることを知っているから尚更に。
先程は紙一重で躱せたから良かった。けれど、それが本当に日向の死を切り裂いていたら、今ここに日向はいなかったはずだ。
はあ、と息をつく。先程まで感じていた寒気を感じながら、日向は眼前にいる二人の吸血鬼を眺めていた。
「ねぇ、苗木クン、帰ろう?」
「……いや、だよ」
小さな声で、けれどはっきりと苗木は拒絶を口にした。しかし、そうだというのに狛枝は満足気に頷く。まるでそれを待っていた、というように。そしてぎゅ、と自身の身体を抱きしめてぞくぞくと身体を震わせた。
「ああ、苗木クンがいる、ちゃんとそこにいるんだね」
恍惚の表情で呟く狛枝を、苗木は眉を下げて見つめていた。相変わらずの知人の姿に思わず頭を抱えたくなってしまう。
狛枝は死徒だった。瞳の青い色は日向同様魔眼によるものだ。本来ならば赤い瞳であるはずのそれは、人であった時の名残か、普段は殆ど青く染まっていて、けれど死徒としての本能が強く出た時だけ赤く濁る。
死徒としての本能――血を吸いたい、という。
けれど、狛枝には苗木の血以外を吸いたいと思ったことはない。実際、狛枝が死徒になってからゆうに百年を越えていたけれど、その間に狛枝が口にしたのは苗木の血液と、人間の食事ぐらいだった。そこまで吸血衝動の強くない狛枝ではあったけれど、苗木を見ればぞくぞくと気が昂って、その血を口にしたくなる。
とろりととろけるまるで甘露のようなそれは、最後に口にしたのは多分十年程前だろうがそれでも忘れることなど出来やしない。何にも代え難いごちそうが、狛枝にとっては苗木の血なのだ。
だからこそ、あんな美味しくなさそうな人間達の血なんか吸うはずがない。仮令苗木を見つけるためとはいえ、出来るならそんなことは避けたかった。だから、苗木を探している過程で噂を聞いたとき自分の幸運を喜んだ。いなくなってしまった苗木を引き寄せる一番の餌は、勿論吸血衝動に支配された死徒か、魔王なのだと、よくよく知っていたからだ。
「どれくらいぶりかな、こうやって起きてる苗木クンに逢うの」
はぁ、と荒い息をついて、狛枝はどろりとした瞳を苗木へ向ける。青い瞳――その向こうに見える、まるで血のような濁った色を見つけて、苗木はそっと顔を顰めた。
「確かに、苗木クンは寝るのがお仕事なところはあるし、寝てる苗木クン見てるのも嫌いじゃないんだけど」
こうやって動いてる苗木クンがやっぱり一番だよね!
うん、と満足気に頷いた狛枝を、苗木は険しい瞳で見つめている。暗緑色の瞳が一瞬だけ色を変える。それを見て、狛枝は何も言わずとも更に笑みを浮かべる。
「……どうして」
「どうして?さっきも言ったけど、当然だよ」
苗木の尋ねを、狛枝は何を当然なことを、というように笑った。
「ボクはキミを愛してる。それは、誰がなんと言おうと変わらないし、」
そうじゃなきゃ、あんなことしないよ。
優しく言い聞かせるような口調の、狂気さえ孕んだ愛の告白。それを聞いた苗木は、ぐ、と唇を強く引き結ぶ。あんなこと――脳裏に浮かんだ過去のことを思い浮かべているのだろうか。今の苗木も十分に魅力的だけれども、あの時の彼とは比較することが出来ない。それだけ、あの時の苗木は狛枝の中で神聖視されている。真祖の処刑人。輝くわけではない、けれど華やかな金色の瞳はとても冷たく、ただ万物を映していた。全てを愛し、同時に全てに興味を持たない世界の調律者と逢った、百年前のあの日――何を見ているわけでもないその瞳を見た時に狛枝は確かに恋に落ちたのだ。
そんな過去のことを思い浮かべながら、狛枝は右手に握ったナイフをかちんと鳴らして、再度その視線をこちらへと向ける。
「ねぇ、苗木クン。聡いキミだから、ボクがここにいることはわかってたでしょ?何で逃げなかったの?そんなに仕事が大事?」
「……それがボクの生きる意味だから」
苗木の言葉を聞いて、狛枝は笑う。その表情が不可解だったのか、苗木の瞳には疑念の色が混じった。狛枝の笑顔も、行動の理由も、苗木には理解出来ないのだろう。
「ふぅん、それはボクから逃げるよりも大切だったんだね」
「……別に、ボクは狛枝クンが嫌いなわけじゃないよ」
「アハッ、わかってるよ。じゃなきゃ、あんなことしたボクを傍においてくれるはずがないよね」
くすくすと笑う狛枝に、苗木は再度顔を歪めた。
その表情を見てぞくぞくと背筋に快感が走る。嗜虐心でも、加虐心でもない。ただ、苗木の心を微かでも動かせたことを狛枝は喜んでいた。
初めてその姿を見たあの日に、狛枝は苗木に恋をした。ただ月を見ながら立ち尽くす細い身体の少年に、金色の瞳の処刑人に、間違いなく狛枝は囚われてしまった。目的遂行以外の時間は、眠り続けるその少年に、狛枝はそっと近付いた。苗木の目的は吸血衝動に取り憑かれて堕ちた死徒と魔王の処刑だったから、人である狛枝はその攻撃の対象となることはない。その時の狛枝はそんなことすら知らずにただ、欲のままに動いただけだったのだけれども。
出会い頭を襲うなんて卑怯な気もしたが、恋愛と戦争においては全てが公正である。驚いた顔をした少年に、けれど遠慮などせずに狛枝は刃物を突き立てた。額から頬、肩から胸、腰、腕、足――気がつけば赤い血の海の中で、肉塊に変わり果てた少年がそこにいた。
それは、あの日、日向がしたことと同じこと。きっと、狛枝が切り裂いたその場所をそのままなぞったのだろう。一度死んだ部位は、他の部分と比べやや脆くなっている。古傷が疼くことに似ているかもしれない。新月の夜――真祖の力が弱くなるその日に、日向と苗木は出逢い、そして殺された。それは、百年前、狛枝が苗木を殺した夜のことによく似ていて――だからこそ、二番煎じ、なのだ。
そんな日向が、のうのうと苗木の横にいられるという事実に、きっと狛枝は一番苛立っていた。しかも苗木は笑っていた――自分にはそんな笑顔を碌々見せてくれないのに。
「……」
「ねえ、苗木クン。知ってるんだボク。キミは殺されたんだって」
苗木は答えない。ただ睨むように、強く見つめているだけで、その唇はぎゅっと引き結ばれたままだった。
「ね、苗木クン。なんでボクは今夜キミの前に現れたでしょう」
改めて口にした狛枝の問いに、苗木は答えない。強く見つめる視線の中に交じった戸惑いは、答えを探しているのだろうか。けれど、苗木には導き出せないだろう。狛枝と苗木の関係が昔のままであったのならば、また違っていたのだろうか。けれど、どんな仮定を口にしても現実は変わらない。今の苗木と狛枝の関係は出逢ったあの頃とは全く違うものになっているし、だからこそ、狛枝が何度告白をしても、苗木は本気で捉えない。
「……」
沈黙が、場を支配する。
それを破ったのは、苗木が小さく狛枝の名を呼ぶ声だった。
「狛枝クン」
「だめだよ」
続きを遮るように、狛枝は否定の言葉を口にする。
「苗木クンは放っておけばどこでも行っちゃうんだから」
にいと口元を歪めて、狛枝はそっと地を蹴った。少しだけ空いていた距離を詰めるように苗木へと近づく。狛枝の突然の接近に、苗木は驚きに目を見開いたが、けれど躊躇することなく、狛枝は右手を振り上げた。
「苗木!」
「苗木を、どうする気だ」
倒れ伏した苗木の傍に膝をついた狛枝へと、日向は声を掛ける。広がる赤の中、しかし気にしていないというように、狛枝は血塗れの苗木を抱き上げた。
振り上げた狛枝の右手に握られていたものは当然のようにナイフだった。そして狛枝はそれを思い切り苗木の胸へと突き立てた。流れる血の赤色に、日向は初めて苗木を殺した時のことを思い出していた。
「帰るっていったよね」
一応、とばかりに狛枝は日向の問掛けへと答えを返した。けれど、その視線が日向の方を向くことはない。
「ありがとう」
突然の礼に、日向は眉を寄せた。訝しげな視線に気付いたのだろう、狛枝はちらりと日向のほうをみて、小さく口端を吊り上げた。
「だから、褒めてあげるっていったじゃない」
それだけ言って、狛枝は再度視線を苗木へと戻した。
「……どういうことだ」
「苗木クンと本気で戦ったらボクなんかが勝てるわけないじゃない。ボクは確かに苗木クンの血を貰って吸血鬼になったけど、苗木クンは吸血鬼のヒエラルキーで言えば一番上にいるんだから」
呆れたような声。その瞳はまっすぐに苗木だけを見つめている。白い頬を優しく撫でる白い指。ああやっているところをみればなんとなく兄弟のようにも見える。違うと思っていた二人だが、一緒にいるところをみればなるほど雰囲気がよく似ていた。あの二人が人外だということ信じられないが、けれど日向はさっき狛枝に殺されかけているし、苗木にいたっては一度殺している。
今狛枝の腕の中にいる苗木は、ただ目を閉じて眠っているように見える。狛枝は確かに苗木の身体の線の一つをあのナイフでなぞった。だから、苗木は死んでいるはずだった。日向が殺した時のようにきっと容易く蘇るのかもしれないが、それでも心臓には悪い。日向がしたように細切れになっていないだけ、マシなのだろうか。考えたら少しだけトラウマを刺激されて、思わず日向は口元を抑える。
狛枝に言わせれば、ちょっと死んでてもらおうと思って、ということだが、狛枝がいう程苗木が強いようには見えない。実際に戦っているところを見ていないからだろうか。真祖や死徒の何が違うのかもわからない。そこら辺の死徒よりは強いと自称した苗木の言葉を疑うわけではないけれど、しかし、あの細い腕や武器すら持っていないただの頼りなさ気な少年にしか見えない苗木が魔眼持ちの狛枝よりも強いなんて、どうしても思えなかった。
「本当はキミみたいなちょっと魔眼持ってるだけのただの一般人が気軽に話せる相手でもないんだよ?」
狛枝の声からは、確かに不機嫌さが見て取れた。いや不機嫌、というよりもそれは憎悪を押し殺しているようにも聞こえる。先程の殺意からわかってはいたものの、初対面の相手からこうも嫌悪感をぶつけられるのはなんとなく心が折れた。
「……そんなにオレのなにがきにいらないんだ」
「全部だよ、全部……苗木クンと一緒にいたことも、毎晩一緒に散歩してたことも、苗木クンを殺したことだって」
すい、と赤い瞳がこちらを見る。そこに溢れているのは殺意と紛れもない妬心。ぐちゃぐちゃに潰した苺のようなその色の中にどす黒い毒が込められていることを見て取って、日向は無意識のうちに一歩後方へと下がっていた。
「でも、キミのお陰で苗木クンを連れていけるよ、ありがとう」
同じ瞳を向けながら、決して笑わずに狛枝は形ばかりの礼を口にした。いや、形ばかりというのは失礼だろうか。けれど、その表情も、口調も変わらず不機嫌さが滲んでいるものだから、そう思わずにはいられなかった。
「……連れて行くって」
「勿論、元々ボクたちが住んでたところにだよ」
それだけいって、狛枝は立ち上がる。
「おい」
「ただの人間が関わるような事じゃないよ。確かに、苗木クンを殺したキミはただの人間とは言い切れないけれど、だけどボクたちにとって無関係なことに変わりはない」
冷たい口調で、狛枝は言い切った。
「……もうすぐ夜明けか。じゃあね、」
空を見て、狛枝は呟いた。苗木を抱いたまま、す、と視線を日向へとうつして、はじめて日向へと向かって笑顔を浮かべた。さっきまで赤く染まっていた瞳は、元の青い色に戻っている。あの青い瞳にも、きっと日向と同じものが見えているのだろう。黒い線。それをなぞれば、狛枝は死に、苗木はここに留まり続けてくれるかもしれない――そんなことを一瞬考えて、すぐに慌てて浮かんだことを消し去るように大きく首を振った。
狛枝のいうように、苗木は吸血鬼で――魔眼持ちとはいえ、ただの人間である日向とは違う種族だ。だから、この数ヶ月で、ふと抱いてしまった感情はきっと勘違いだと、自分へと言い聞かせる。
日向は楽しかった。苗木が夜な夜な誘いに来てくれることは寝不足の原因でもあったが、確かに心待ちにしていたし、ああやって、苗木が笑いかけてくれることもまた嬉しかった。
そこからいつの間にか芽生えてしまっていた感情へと、そっと蓋をする。今なら大丈夫だと。戻ることが出来るのだと。そう、心中で呟きながら。
そんな日向の想いを知ってか知らずか、狛枝は口元だけを歪めた。それはまるで嘲笑うかのような笑顔で、そこには確かな勝者の優越が浮かんでいた。
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