籍を入れているといっても、一緒に住んでいるわけではないし、日常的に連絡をとることも許されない。左馬刻としては、毎日おはようからおやすみまで、寧ろおやすみ以降だって常に一緒にいたいぐらいなのに。そういえば、まず告白すれば? なんて乱数の声が聞こえて来るようだが、そもそも告白はしているのだ。何度口説いてもスルーされているだけで。苦い――それでも幸せだった過去を思い出して遠い目になる。寄せられる好意に慣れていないらしい一郎は、そこに含まれる熱を判別することが非常に苦手らしい。なので周りからはわかりやすいと言われる左馬刻の好意にも気付いていないぐらいだ。単なる親切心で籍まで入れる必要はないだろ、なんて思ってはいるのだがありがとうございますなんて嬉しそうに笑う一郎をみれば抱いている下心や劣情を表に出すことが憚られて、結局なにも言えないままだ。成人までは手を出さないなんて彼女の弟や元チームメイトたちと交わした約束もあるからちょうど良かったのかもしれないが――手を出せるような関係になってしまえば、今の離れている状況も一郎を憎んでいる演技もできなくなってしまうだろうから。
 ――だから本当は、こうやって単身イケブクロに来るべきではなかったことも、左馬刻は理解している。どこにあるかもわからない中王区が設置した監視カメラに左馬刻の姿が写っていれば疑心を招く。表でバチバチと不仲を演じ、そのために逢瀬も連絡も断っている現状を全部無駄にしてしまう可能性だってあった――それでも左馬刻は、黙ってヨコハマにいることなんてできなかったのだ。
 問題ないとは思うけれど、と前置きのある寂雷からのメッセージを読んだ左馬刻はイケブクロまで車を走らせ、そして今山田家の玄関の前にいる。
 信頼していないわけではない。一郎の強さを誰より知っているのは自分だという自負もある――それでも、無抵抗の一郎はマイクの被害を受けている。それが正規のものかどうかはわからないが、どんな影響があるかなんてわからないのだ。その時は良くてもあとから苦しむこともある。お粗末とも言えるリリックでも正面からそれを受けたのだから、尚更左馬刻は心配だった。
 キーケースの中から鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。軽く捻れば、かちりという解錠の手応えが伝わってきてほっと安堵の息をした。子供三人で暮らす家だ、警戒するに越したことはない。静かに扉を開けて、それからまた鍵を締めた。

「左馬刻さん?」
 突然現れた招かれざる客に、家主である一郎は赤と緑の目を大きく見開いた。もう夕食は終わっていたらしい。片付いた机には、仕事用だろうか? 二、三枚の書類とファイルがのっていた。
「どうしたんですか、いきなり」
 乱数に怒られますよ、なんて一郎は言うが、その顔は笑っていた。突然の来訪に驚いてはいるが、咎めるつもりはないらしい。一郎自身は、連絡もダメ、会うのもダメ、人の前ではバチバチしててね、なんていう乱数の言葉を律儀に守ってはいるけれど、多分芯から理解しているわけではないだろう。だからこうやって左馬刻と会えた時には嬉しそうに笑うのだ――だからこそ、勘違いしそうになるのだけれど。

 座ってください、コーヒーで良いですか?という一郎の言葉に頷いて左馬刻は腰をおろした。いつもどおりの一郎の姿に心の中だけで安堵の息をつく。どうやら杞憂ですんだらしい。それでもいてもたってもいられなかったのは、自分の知らぬところで一郎に傷ついてほしくはなかったからだ。これから始まるディビジョンバトルのことを考えれば頭が痛い。なんで別チームを組むことを――ひいては一郎との間に確執を作ることを了承してしまったのか。そうでなければ今頃は一緒に住んでいたかもしれないのに。
「今日」
「今日?」
「ニュース、見た」
「あ、あ?あれですか」
 そんな心の内をごまかすように、キッチンに向かいコーヒーの準備をしている一郎の背中に言葉を掛けた。ふわりと漂う匂いは左馬刻が作るものとよく似ている。自分の好みを教え込んだのだから当然なのだけれども。
「もしかして心配してきてくれたんですか?」
 二人分のカップを手に一郎が食卓へと戻ってきた。左馬刻の前におかれたカップの中身はコーヒーにミルクを少し。普段はブラックを好んで飲む左馬刻ではあるけれど、夜だけはミルクを少しだけいれるのだ。
 一口飲んで、変わらぬ味に堪らない気持ちになる。なにもかも投げ出して抱きしめてしまいたいという恋心や、寧ろ抱き潰したいという劣情に、必死に理性という鎖を掛けて、ただ一言答えを返す。
「まあ、な」
「あれくらい平気ですよ」
 一郎はそう言って、自分用に作ったカフェオレを一口飲んだ。牛乳多め、砂糖少し――昔とすると、甘さ控えめになったそれが一郎の好きな味だ。まだブラックは飲めないんですよね、なんて笑う一郎の顔は年相応のものでどうしようもなく愛おしくなる。
 既に籍を入れていて夫婦という間柄だというのに、手を出せないというのは生殺しだと左馬刻は改めて思った。
 だって、嫁がこんなに可愛い。
「わかってっけど、心配ぐらいさせろや」
「ありがとうございますって」
 くすくすと笑って一郎は、まるで子供が親にするように、今日の出来事を話し出した。二郎が、三郎が――当たり前のように出てくる弟二人の名前を、左馬刻は溢れ出る欲望を隠しながら、柔らかな笑みを浮かべて聞いていた。










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