はぁ、と溜息をつく。
卒論の提出も終わって、口頭試問という名の公開処刑も終えた。
幾つか残っていた資格のための授業のテストも終わって、数日間、ただ家でぼうっとしてるだけの日常を過ごしていた。
卒論に苦しむのはわかっていたから、割と早々にバイトを辞めてしまったのだけれども、こんなに暇ならば辞めなければよかったと思って、いやいやそれはない、と首をふる。
卒論は地獄だった。今まで先輩たちが苦しんでいる姿を見ていたからわかっているつもりだったけれど、あくまでわかっているつもりだったのだなぁと十二月から一月に掛けての日々を思い返す。
帰って来い、と母は言う。確かに、卒業式まではまだ日は長い。
けれども、帰った所で暇なことには変わりない。まだ、友人や後輩と逢うという選択肢のある現状のほうがいいと私は思っている。どうせ就職もこっちなのだから、何も問題はない。帰るとしたら、二月の後半か、三月の頭か。どうせなら皆と逢いたいので、同窓会に合わせて帰省をしよう。あーそうなったら、あの子に予定聞かなきゃ。どうせあの子が幹事なんだろう。

ぼうっと手にとった電話がタイミングよく震える。
何、どっからか見てたの?と思わせるそれに表示された名前。
わかってはいたけど、と私はまた小さく溜息をついた。

電話は案の定、実家の母親からだった。
理由は説明したよね、と言っても母親がこっちの言い分を聞いた試しはないんだったと心の中で一人つぶやく。
わかってはいたけれど、通話の中で早々に私は諦めた。
これ無理だ。
お金を出してあげる、という言葉はバイトをしていない今の私にとってはとても魅力的だったし(貯金はあるけれど、四月の給与を貰うまでは無職無収入なのだ、節約出来るところはしなくては)、結局こっちにいてもあっちにいても暇は暇で、それに程度の差があるぐらい。確かに四月になって、就職してからは地元に帰れる日も少なくなるかもしれない。
なんか母に丸め込まれたような気もするけれど、それはそれでいいと納得した。
そうして、翌日。私は家に帰るためにいつものように新幹線に乗っていた。
今回は帰省時期じゃないからと、指定席はとらなかった。
平日の昼間、ということで私の思った通りに席には楽々と座ることが駅た。
駅について、新幹線を降りてから、いつものように普通電車のホームへと向かう。
ぽつり、ぽつりとまばらなお客に紛れて私はシートの端っこにそれなり大きな荷物を持って腰をおろした。
ふう、と息をつく。いらないものは捨てるにしても、捨てることは出来ないものもある。特に本なんて売ることが出来ない割に、大分場所をとるものだ。少しだったらいいのだけれども、自分の趣味が祟ってもう部屋は古本屋?資料室?と言われてしまうほどの本屋敷と化している。それをわざわざ送るのもどうだろう……と思って詰められるだけ詰めてうっかり持ってきてしまったがために、私は酷くしんどい思いをした。
あーもう、いいや。お金かかっても今度は荷物で送ろう。
うん、と頷いて取り敢えず読もうと思って昨日買ったばかりの本と飲み物をかばんから取り出す。
本を読み終えて、どれくらい経っただろうか。時間を確かめようと、本を閉じ、私は腕時計に目をやった。意外と時間は過ぎてない。結構集中してたからかもしれない、と私は読み終わった本を再びかばんへと戻した。向かい側の窓から外を見る。まだこのへんは家も多いし、見える景色には建物が多い。
そのうち山と海しかみえなくなるんだよなぁ、と考えて、前も同じようなことを思った気がする、と自分の思考回路の単純さに一人心の中でツッコミを入れた。

どうせなら、もう一冊買ってくればよかった。
手持ち無沙汰になってしまって、携帯をそっと覗き込む。圏外。
溜息をつきながら、携帯をそっとかばんへと仕舞いこんだ。
大量に詰め込んだ本を読めればいいのだけれど、できるだけ沢山いれようと結構ぎちぎちに詰め込んだせいで、出すのも一苦労なのはわかっている。電車の中で本をぶち撒けて大惨事なんてもう見たくないので、私は本を読むことを諦めた。
暇だな、そう思ったら小さく欠伸をしてしまった。
と、向かい側のボックス席にいる男の子がふあ、と欠伸をしたのが見えた。
あ、なんかこれ既視感だぞ、と頭を巡らせるとその子は多分、思い違いでなければ前の帰省で逢った子だ、と思い出した。
(えっと、名前、はなんか、木っぽかった気がする)
意外と覚えてるな、と驚いたけれど、結構あの時のことは印象に残っている。寧ろ、この欠伸の子よりも、一緒にいた男の子……。
「コマエダクン?」
男の子が、不思議そうに尋ねる。
そうそう、こんな名前。白いイメージの整った顔の子。
声と、イメージ。そこから、あの夏の日がするすると頭の中へと思い起こされる。
目の前じゃないけど一応ポーズとして本を手に、視線と耳を二人のほうへと向けた。

「眠そうだな、って」
くすくすと笑うコマエダクンに、男の子は少し拗ねたのか、むっとした表情をする。
「眠くないよ」
「苗木クン、凄く眠そうだよ」
苗木君(そうだ、そういえばそんな名前だった)は、確かに少しうつらとしていて、声も幼く聞こえる。いや、いつもそうなのかもしれないけども。
コマエダクンはきっと苗木君を寝せてあげたいんだと思う。確かに、あの日もコマエダクンは寝ていいよ、って苗木君に言っていた。
気遣いできて、顔もよくて、背も高くて。
そして、凄く凄く苗木君のことを大切に思っているそんな男の子。
たった一回、あの日に電車の中で少しの時間を共有しただけだけど、私の中のコマエダクンはそんな人だった。
つらつらと考えていると苗木君の反応がちょっと鈍くなってきはじめた。
その顔を見ると、ああやっぱり眠いんだろうなと思って、こっそり笑みが漏れる。でも頑張って起きているのは、眠くないよ、と言った手前の意地なのかもしれない。苗木君も男の子だし、そういう意地があったって仕方ない。
それをわかっているのだろう。コマエダクンは苗木君に「ほら、眉間皺寄ってる」と優しく笑った。
多分、この角度から見るに、指でそこをつついてるんだろう、うー、とむずがるような声が聞こえた。
そういえば、と思う。
この二人、何歳なんだろう。
コマエダクンなんかは、同じ年、って言われても頷くだろう。だけど、苗木君はどう考えても未成年。高校生。へたすると中学生。
同級生?いやいや、うーん、でも凄い仲いいし。
でも、今この時間にいるってことはもしかして大学生?
そんなことをうんうんと考えていたら、苗木君はいつの間にか寝てしまったらしい。
やっぱり眠かったんだ。眠そうだったしね、と一人頷く。

苗木君が寝てしまった以上、私の位置からは苗木くんの寝顔しか見えない。
流石に寝顔を不躾に見ているのも失礼だと思って、私はかばんに放り込んだ携帯を手にとった。アンテナ三つ。圏外脱出。

静かな車内。
いつもは駅を通過する毎にどんどん電車の中の人が減っていくだけなのに、今日は平日の昼間だから尚更だ。最初から人なんてほとんどいなかったからしょうがない。
私の座るシート席にはもう誰もいないし、向かい側もいない。
ぶっちゃけた話、この車内には私と件の二人だけだ。

携帯を弄っていたら、ふと小さい声が聞こえて私はまた意識を二人へと戻した。

「……着いた?」
「まだだよ、あと……うん幾つか先かな。まだ眠いでしょ、寝てなよ」
「ううう……」

もそ、と苗木君は眠そうな目を擦る。悔しそうに声を漏らして、唸るその姿はとても幼く見える。
そんな苗木くんを見るコマエダクンは、きっと凄く優しい顔をしてるんだろうな、と思う。夏の日のあの笑顔を思い出す。本当に苗木君のことが好きなんだろうな、って顔。
丁度私の位置からはコマエダクンの顔は見えないから、それがどうかはわからないけれど。
……でも、声とか、背中とか、雰囲気とか……なんか凄く嬉しそうだな、って気がした。

「狛枝クン!?」

苗木君が、ちょっと大きな、でも電車の中を意識してるんだろう、ひそひそ声でコマエダクンの名前を呼んだ。
「なぁに?苗木クン」

驚くほど優しく、そして甘い声でコマエダクンは笑う。
それを受けて苗木君は照れて顔が真っ赤に染まった。
可愛いなぁ、と思う。凄く可愛い。
溢れてる恋愛事情なんて、結構どろどろしてたりえぐかったりするから、こんな可愛い二人のあれこれはある意味で癒やしだ。

はっとした苗木君がコマエダクンにこれ、と何かを指差す。
どうしても気になってしまって、横目でがっつり、ちょっと体勢を崩して、でもばれないかな、ってぐらいの姿勢で二人のほうへと視線と意識を一生懸命に向ける。
見てしまった。
苗木君の左薬指。それをみた瞬間に、多分色々なことが吹っ飛んだ。
体勢をそっと元に戻す。漏れそうになる声を必死で抑える。

自分の町の名が車内に流れた。目的の駅にもうすぐ着く。
手にしていた携帯をかばんへ入れ、荷物を持って立ち上がる。
ぐ、と口元に力を入れた。

──扉が開きます、ご注意下さい

電車が止まり、私は外へと足を踏み出した。
駐車場にきっと迎えが待っているはず。荷物と一緒に駅の中を歩く。重いはずの荷物もあまり気にならない。
「ただいま」
車の中の母にそう声を掛けると、あんた何か嬉しいことでもあったの?といきなり尋ねられた。
嬉しいこと、というよりも、幸せなこと、というか。
ふふふ、と思わず顔がにやける。
良い物をみたな、と思った。
「ありがとう」
そういえば、何いきなり気持ち悪い、と来たもんだ。まぁいいけど。
母の強制召喚で、夏に引き続きいいものを見せて頂いた、と思う。偶然だけども。
でも偶然とは言え、二度あることは三度ある、という。
そしてそれは、またなんとなくだけど、あるような気がした。
車を運転する母をちらりと横目で見やる。次、また帰って来い、って言われた時。その時がまた来ることを願って。




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