狛枝が戻ってきた時、苗木はソファの上でころんと小さくなって眠っていた。
可愛いな、と思ってその隣に空いた空間へと腰を下ろす。
その時目を引いたのは、彼の手首をくるりと一周回る赤い痣。
それを認めた瞬間、狛枝は小さく顔を歪めた。
そっと指でなぞる。片手ではなく、両手首についた痕。
それは、道具や何かのあとではなく、強く握られたあとだと狛枝は気付いていた。
きっと彼は遠慮さえなく、ただただ力任せに掴んだのだろう。
手首をそっと持ち上げて、その痕へと舌を這わせる。
強い力でついた痕が消えるはずはないと理解っていても、彼の身体に他の誰かの痕跡を認めることが許せなかった。
確かに苗木は、狛枝だけのものではない。
選べない、といった彼に、日向と結託して半ば押し切る形で思いを遂げたのは狛枝だって覚えている。
だから、こういうことがあることも理解はしている。けれど、それを納得できるかどうかはまた別の話だ。
手首の痕が消えることは、勿論なくて。
だから、と、対抗意識だけで苗木のシャツに手をかける。
上から二つ。ぷつんぷつんとボタンをはずす。そこに覗く白い肌に口づけて、吸い上げた。
一つ、二つ。赤い花のような痕がついていくのを見ると、少しだけ気が紛れた。

「苗木クン」
ゆっくりと顔を近づけて、耳元近く、吐息さえかかるような至近距離でその名を囁く。
それでも起きる気配がないのは、それだけ疲れているからだろうか。
それだけのことをしている、自覚はある──けれど、苗木を目の前にすれば止められない。
他の、火種があれば、尚更のことだ。
重い息を吐いて、狛枝はそのまま苗木の唇に口付けた。
柔らかいそれと、二度、三度重ね合わせる。
けれど、それだけでは満足出来るわけがない。
唇を舌でなぞり、軽く開いた隙間からへとそっとねじいれる。
あたたかい腔内に、少しだけ満たされる。
ぴくん、と身体が反応した。呼吸を妨げられて苦しいのか、苗木は身じろぐ。
苗木は無意識のうちに、自身の安眠を妨害するものへと反応しただけだろう。
けれど、狛枝はまるで自身を拒否されたような感覚に陥っていた。
他の誰に拒絶されることも構わない。けれど、苗木には。苗木だけには。
その感情は、すぐに強い衝動へと変わる。
受け入れてくれないのなら、受け入れさせればいい。
控えめだった口づけは、次第に深くなっていく。
眠りながらも、苗木の舌は応えてくれた。それが、嬉しくてもっともっとと貪るようにキスをする。
「っ、」
苗木の瞳が薄く開いた──かと思うと、ぱっと見開かれた。
ぐ、と押してくる苗木の腕に従って名残惜しいながらも、狛枝は唇を離した。
二人の唇を銀糸が伝う。それを、舌でそっと舐めとると一気に苗木の顔は赤く染まる。
「な、にやって」
「え、苗木クンにキスしてる」
そういって狛枝は微笑んだけれど、苗木の表情は変わらなかった。
「だって、苗木クン寝てたし。寝顔可愛かったし」
だから、キスしたくなったんだ。
そういうと、苗木は俯く。それでも、覗く耳まで真っ赤に染まっているのがわかってなんとなく、心が穏やかになっていく。

独占なんてできるはずない。それは最初から理解っていたことだった。
それでも、どうしても狛枝は苗木が欲しかった。だから、同じような想いを抱えていた日向と手を結んだ。
お互い、その感情の色も形も違うと知っている。それでも、似ていた。
その最たるもの──それが、酷すぎる独占欲だった。
苗木を愛している。お互いの感情を認めている。
それでも、苗木が他の誰かに抱かれているところなど、見たくはなかった。
それを想起させるものすら、妬心の対象になるのだから、罷り間違ってその場に居合わせた時はどうなるのだろう。
考えたところで、最悪の結末しか脳裏には上がらないのだけれども。

「……苗木クン、疲れてる?」
そっと声をかけると、苗木は顔を上げて不思議そうな顔をした。
多分、いつもの行為が始まると思っていたのだろう。その顔にはうっすらとではあったけれど確かに欲の色が混じっていた。
けれど、ソファで転寝をしていた、ということを考えると、無理をさせるのは、悪い気がする。
毎日、とは言わないけれど多分苗木にとってはそれに近いだけ、そういうことを行なっているのだろう──腹に色々溜まりそうだから、深くは考えないけれど。
狛枝は苗木のことが好きだけれど、そういう欲をぶつけるだけの相手であると思っているわけではない。
確かに、そういう行為をしたいというぐらい愛しているけれど、何より狛枝は苗木誠という一個人を大切にしたいのだ。
それが行きすぎて独占したいとか、閉じ込めたいとか、自分一人だけのものにしたいとか、自分だけに見せる顔があって欲しいとか思うわけで。
「え、っと」
「疲れてるよね、……ボクも、疲れてるんだ。今日はゆっくり寝よっか」
狛枝がそういうと苗木は少しだけ目を瞬かせたあと、小さく笑ってゆっくりと頷いた。
疲れている、というのは方便だ。本当は、こんな顔をした苗木を前にして、大人しく眠ることなんて出来ないと狛枝は理解っている。
けれど、そうでも言わないと苗木は多分騙されてはくれないだろうから。
そういう行為をしなかったとしても、狛枝が起きているのに合わせてきっと彼は眠らないで横にいてくれるだろうから。
──きゅ、と服の端を握る仕草が可愛くて、それを撤回したくなったのは、また別の話だけれども。
そのまま、眠る準備だけ整えて、ベッドの中苗木を抱き込む。すると、割とはやく寝息が聞こえてきた。
「……おやすみ、」
小さく笑って、ぎゅ、と抱きしめる。
その温もりが、何よりも尊いとそう思った。








「おかえりー」
ご飯で来てるよ、そういって振り向いた苗木の首元──上まできっちりとボタンを止めてはいたけれど、それでも隠しきれていない──にそっと覗く赤い痕を見て、日向は思い切り顔をしかめた。
まるで、花のように散らされたそれは昨夜まではなかったはずだから、日向が居ない間に付けられたものに他ならない。
空腹はそのまま独占欲、そしてただの欲へと切り替わる。
「ただいま、」
荷物を放って苗木の元へと近づく。
一歩、二歩。
進むうちに、苗木の顔が強張るのがわかった。
「え、と、日向クン?」
不安げな表情、戸惑うような口調。
けれど、それらを一切無視して日向はその細い手首を掴んで壁へと押し付ける。
「は、っん」
無理やりに唇を奪う。なぞり、隙間から舌をねじ入れて、歯列をなぞる。
腔内を荒らしているうち、そこに粘着質な音が聞こえ始める。
無理やりともいえるキス。苦しいのか、苗木は顔を真赤にしている。
掴んだ腕が動くから、多分抵抗したいのだろう。けれど、力の差はわかりきっている。日向に苗木は敵わない。
そんな苗木の反応すら、日向の欲の火の種になる。
唇を離して、至近距離でその瞳を見つめる。
揺れる大きな瞳には、確かに日向の姿が映っていた。
「なえぎ」
ゆっくり微笑んでその首元へと唇を寄せる。
無防備な首元に触れた息で、苗木の身体がびくんとはねた。
その反応に満足して、日向は口を開く。
「っ、ぁ」
細い首筋に、噛み付く。
考えていたのはただ一つだけだった──胸元に散る赤より、ずっと鮮明な痕を。

自分一人のものではない。痕を付けるなという、決まりはない。
実際に、日向自身も痕を残すことはある。
大きすぎる独占欲を少しでも昇華するために。その小さな身体に、柔らかな肌に自身の痕をつけ、それで小さな充足感を味わうのだ。
その時だけは、苗木が自身だけのもののような気がして。
けれど、何度見てもダメだ。他の誰か──それは、たった一人で、手を結んだ相手ではあったけれど──の所有の証のようなそれを、見ながら心穏やかでなんて到底いられるはずはない。
そんな狭い心で、よくもこんな選択が出来たものだと思う。
──だけど、そうでもなければきっと彼は日向の腕の中にはいなかった。
「っだ、」
訴えるような、悲鳴にもにた苗木の声に、ようやく日向は顔を上げた。
噛み付いた歯型が生々しい。滲むのは血の色。
「……ひなたくん、」
弱々しい声。そんな苗木の声ですら、日向の頭には届かず滑り抜けていく。
こんなに酷い痕なのに。
胸に湧き上がる、罪悪感。けれど、その痕が呼び起こすのはそれ以上の確かな歓喜と充足だった。
腕を掴んでいるから、苗木は逃げられない。付けられた痕を手で覆うことすら出来ない。
ひたりと瞳をあわせる。その大きな瞳に映る日向の顔は鮮やかな笑みを浮かべていた。
「苗木」
欲しい、と思う。
火種を用意したのはきっと狛枝で、火を付けたのも、狛枝だ。
けれど、その火を煽ったのは、苗木本人だと、日向は思う。

「いいよな」
そう、微笑んで日向はもう一度首筋に歯を立てた。
聞こえる、苗木の悲鳴染みた声が心底愛おしいとそう思った。






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